PICTURE DIARY 0402MO2013


夕方、星のアトリエの皆で黒豆茶を飲み、神社で頂いた紅白の豆を食する。それとはなく、たくさんのミラクルが皆を取り巻き、自然に、相応しいこと、そうでないことを選り分けている。

PICTURE DIARY 0302SU2013


節分、豆まき。鬼は外、福は内。明日は立春、もう春である。

PICTURE DIARY 0202SA2013


今日の東京地方の気温は20℃はあっただろうか。最低気温も10℃以上ではあったかと思う。気象庁が何と発表したかは定かではないが、立春の前でもあるし、風がさほど強かったとも思えないので、春一番ということはないのだろう。それにしても暖かなー日だった。ほんのりと生暖かい風を頬に感じて、春の匂いを探し立ち止まる。見付からないまま、また歩みだす。こうして一日が過ぎ、重なってゆく。

CURONECOMIC 87

PICTURE DIARY 0102FR2013


天井の低い、人のたくさん居る、ごちゃごちゃしたような閉鎖的な場所。呼吸を止め、早い速度で人と人の間をすり抜ける。誰かに足を踏まれ、肘や肩を擦り付けながら。ここでは大音量の音楽は音であって音楽ではない。精一杯怪しい色に調光した照明が、野放図に人の顔を照らして、デッサンを狂わす。知った顔は無く、顔を知る必要も無い。誰かに出会ったとしても話は出来ない。耳に口を近付け、届かない言葉と漂う仄かな酒の匂いが、魚網へ誘い込む撒き餌のように絡み付いて重心が後ろに傾く。扉の向こうには冷たい空気の夜空があって、この世の連続性について証明しようとしている。地下の暗闇の空気が街を走り出しても離れない。

NEWS-TWINKLE FACTORY FEB. MAR.

DMO ARTSでのTWINKL展、JR大阪三越伊勢丹で昨年末に大好評だった展覧会イベント、「TWINKLE FACTORY」が2月10日日曜日、3月10日日曜日と二日間の開催が決定しました。両日共に14時から18時までJR大阪三越伊勢丹3階のギャラリーDMO ARTSで開催されます。10種類のプリント作品の中から、あなたが選んだ作品にミック・イタヤがご希望を伺いその場で加筆します。バレンタインデーやホワイトデーのプレゼントにいかがでしょう。予約制ですのでご希望の方は以下のホームページをご覧ください。また、スタッフがご希望をお伺いしてミック・イタヤに伝え、加筆制作してのお届けも承っています。詳しくはDMO ARTSのギャラリースタッフにお尋ねください。

http://www.dmoarts.com/news/2013/01/2640/

PICTURE DIARY 3101TH2013


両親の結婚記念日。忘れずに、ふと思い出すものだ。故川勝正幸氏一周忌のパーティー。参加はしないが、その人となり、徳を思う。

PICTURE DIARY 3001WE2013


BEAMS LIGHTS、そしてBEAMS LIGHTS with MIC*ITAYA、2013春夏の商品説明会。ショップにデビューする前に、全国から集まったショップスタッフの皆に、改めてブランドコンセプト、及びデザインした服等の一つ一つについてを説明する。BEAMS LIGHTSのために、星のアトリエのスタッフと手作り制作した、50部限定の小さなストーリーブックとブランドコンセプトシートを配布する。ストーリーブックは3号目になる。洋服などのデザインの説明書やカタログのようなものではなく、洋服が出来上がる物語が詩的に綴られる。スタッフの皆に感謝の言葉、協力をお願いする。

PICTURE DIARY 2901TU2013


自転車に乗って目黒通りへ出る。風もさほど冷たくはなく、日だまりは暖かい。友人と待ち合わせて昼食をとる。以前から、キャバレーヴォルテールなどがあった時代のヨーロッパのように、カフェやサロンなど、上質なたまり場があったならと考えたことがたびたびあった。今、そんな場所が必要だと感じる。「サロン」。夜会服に身を包んで集まり、ゆったりと楽しみを分かち合うような場所と時間。昼食後の日だまりのテラスで、これからの真剣な遊びのうちのひとつを計画する。

PICTURE DIARY 2801MO2013


穏やかで明るくて真っ直ぐな優しい世界。そんな世界を蔑視する人もいるだろうと思う。この世界があるがまま、ありのままの世界であるならば、絵空事ではないのだから。人々はそれぞれに大切なものがあって、人それぞれに大切なものは違う。蔑視と言うのは極端で強すぎる表現だろうとは思うが、ぼくは少年の頃に、そんな気持ちを持って過ごした時期があった。そんな気持ちを持つことが、あの頃とても大切だった。自分が自分であるために自分勝手に考えていた。人が人であるためにと言うことはなく。自分自身の小さな世界の中の大きな不満が、あらゆるものを押し退けて、我が物顔で笑っていた。今、自分の中に蔑視と言う態度はありはしない。この広く大きな世界の中の小さな幸せが、あらゆるものに押し潰されて、やっと微笑んでいる。自分が自分であり、人が人であるために。穏やかで明るくて真っ直ぐな優しい世界。そんな厳しく激しい美しさ。

PICTURE DIARY 2701SU2013


昨日の続き。集中力の高さを維持している。その集中力とは執拗な種類のもので、単純化された作業や仕事に向いている。用紙に同じ図形を延々と描き続けて、白いスペースを埋めて行く。そんなことが苦もなく楽しい。その日その日のコンディションによって、どのような仕事や作業に向いているかは全く違う。今日のようなコンディションの日は、大胆な、大きなストロークの絵などには向かない。小さな細かな仕事を続けたいと思う。日によって、生まれ出るものは違う。

PICTURE DIARY 2601SA2013


懸案になっているデザインプランに手を付けてみる。取り散らかり気味なアイデアのまとめに入る。スケッチ作業が主だが、そのまま原画として使用出来る形式で進める。描きながら徐々にモチーフの組み合わせやフォルムが自分の身体と精神状態に一致し始める。双方のコンディションがシンクロして、まだ少々ぎこちなさが見えてはいるが、味としての部分も含め、軌道修正可能な、良いと言える範囲のものが生まれ出る。こういう時は仕事の手を休める訳には行かない。集中出来るぎりぎりまで進む。ピークが見えたのでひとまず止めて明日にする。

PICTURE DIARY 2501FR2013

NHKの海外向け放送、NHK WORLDでSUZUMO CHOCHINのドキュメンタリー番組の制作が決まり、担当してくださるディレクター氏から丁寧な連絡があった。28分程の番組になる予定だが、海外のみの放送なので、残念ながら国内で視聴することは出来ない。どのような内容になるのか再来週第一回目のミーティングがある。4月3日の放送。陶器のデザインをしているが、なかなかテーマに沿ったプランとして、これだ、と言う落ち着き方をしない。テーマを大きく漠然とさせ過ぎているのだろうかとも思う。もう少しゆったりと時間をかけてものにしたいが、核心の周辺をぐるぐると回っている感じ。道が何本もあるロータリー、落ち着いてゆっくり走れば目指す方向の標識がある。日本語や英語のような、解り易いと思えるサインだけを頼りにして探そうと考えてもいけない、行先は未知の場所なので。もう少しか。アイデアよいつでも来い。毎日のことではあるが、今日も助手Aがくるくるくるくると良く動き回った一日。銀座、青山、近所のお使い等々、予定していたこと予定外のこと等色々と。星のアトリエの内外でのきびきびした動きを見ていて思うのだが、バスケットボールクラブのキャプテンをしていたのでフットワークが良いのだ。

CURONECOMIC 86

PICTURE DIARY 2401TH2013


何物にも愛情を持ち接すること。そして素直であること。さらに、自分の感覚に正直であること。しかし、自分で感じていることを知覚出来ない場合は多い。体が自然に反応しているのを知る。頭ではなく体で知る。頭ではなく体で表現する。

PICTURE DIARY 2301WE2013

夜1時半を回ったところ。さっきまで聞こえていた雨音が止んだような気がする。雪になるかもしれないと言うので、ひょっとしたら雨が雪に変わって音をたてなくなったのかとも思うが、すぐに確かめてみようとは思わない。たいてい夜の今頃に一日の整理をする。日記をつけたり、アイデアのスケッチや資料などの分類をしたり、眠りに入る前なので、出来るだけ難しいことを考えないようにする。一日を思い返してみるときに、嫌なことは飛ばして思い出すようにする。ややこしいことが頭に浮かぶと眠れなくなって困ると思うから。しかし、仮に思い出したとしても寝付きは素晴らしく良いので、枕に頭を載せたまま悩んでいるという記憶はない。瞬間に眠っている。どんな夢を見るかいつも楽しみにしている。予想出来ない夢の世界。そんな夢の世界と現実の世界の境目を作品にしたいとも思う。

PICTURE DIARY 2201TU2013


今日の雑感。歩くこととは何だろう。散歩ではなくてリズムを刻むこと。水溜まりをよけてダンスをするように進むこと。ピエロとぼくは、自分と一番遠くて自分と一体の存在。大道芸のピエロを見かけたら、見て見ぬ振りをして出来るだけ早く通り過ぎる。絡まれることがないように。自分と一体の存在、それは影。ピエロは近付いて来ようとする。ぼくはある距離を置いてピエロを観ている。ピエロは勿論見られているのを知っている。ピエロに絡まれるのは恥ずかしい。なぜなら自分の影だから。ピエロは万人の影だから。手品の鳩はシルクハットから飛び出して羽ばたく。鳩が愛と平和のシンボルなら、シルクハットの中と外の意味とは?シルクハットから飛び出して、どこかへ飛んで行く、種も仕掛けも無い愛や平和を伝えに。公園は空想の劇場。出会った犬とぼく。お互いに横目で見ている。カフェの椅子に座る。静かな四つ足の生き物。椅子とテーブルの王国。ぼくは王様。

PICTURE DIARY 2101MO2013


いい辞書があったら、知識と空想の旅に出かけることが出来る。いつでもどこでも。子供の頃は、国語や社会などの教科書の中を自由に旅して廻った。学校の授業は夢と空想の時であり、出来れば誰にも邪魔されたくはない至福の甘美な時間だった。先生は、通知表に「お宅のお子さんは授業中にぼんやりしていることがあります」と書いた。正しくは、「授業中はいつもぼんやりしています」だ。先生の質問に答えられるように、空想の世界と現実の世界の間を行ったり来たりしていた。今でも。

PICTURE DIARY 2001SU2013


喉が渇く。水分が足りないかな。塩気のものを摂り過ぎたはずもないけど。いつものバランスが、天気や気分や、何かの理由で少し狂う。そして、欲求を急激に満たそうとする時、癒そうとする力が働く。水分が足りないという感じは居心地が良くない。潤いは大切だろう。塩分は必要だが過多は。適度であれば寂を生み、多ければ錆びを生む。作品制作において、潤いと渇きの欲求は色々な意味で重要だ。

PICTURE DIARY 1901SA2013


香を焚き、立ち上る香の煙の中に居るとどこか別の世界へ行くようだ。未来へではなく、時代を遡る。古の人も部屋の宇宙に漂う煙の変容を香りと共に愛でただろう。そうして更に時代を遡る旅の心を持ったであろうか。香道のことは良くは知らないが、いずれ、よりそちらに近付いてゆくことがあるかと思う。煙の描く絵文様を見ながら世阿弥の能のことを物想うような時が訪れた。

PICTURE DIARY 1801FR2013


「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」平家物語の冒頭にある盛者必衰は、この世の中の無常をあらわす仏教の言葉である。所用があり池袋へ。明治通りを車で走った。行きは渋滞して、見越した分早く出発したにも関わらず、何とか約束の時間には着いたが昼食をとる間が無くなってしまった。そんな時間のことが気になっていて向かう時には感じなかったのだが、帰路、時間の余裕を持って同じ道を辿り感じたこと。無常感。池袋の駅前から新宿、渋谷、渋谷は寄る所があり、横に入って公園通りを上から下って、渋谷駅横を通り星のアトリエに帰る道々。今日のぼくにとってこの道筋にはそれがあった。

PICTURE DIARY 1701TH2013


午前中から昼にかけてBEAMS社WEBの取材。BEAMS LIGHTS with MIC*ITAYAを同社のサイトで初めて大きく取り上げてもらう。撮影とインタビューを星のアトリエ吹き抜けの部屋で。インタビュアーは梶井誠氏。旧知の間柄ではあるが、ぼくのデザインする服を見るのは初めてになる。そもそもファッションの世界の仕事の係わりも長いが、MIC*ITAYA DESIGNの服作りは初めて。それこそTシャツのプリントデザインやテキスタイル、ワンポイントの刺繍のためのデザイン、あるいはファッションイラストレーション、スタイル画などは美大生時代の仕事として経験し、その後フリーランスのイラストレーター、グラフィックデザイナーの仕事の中で、コレクションやファッションショーのアートディレクション、演出、そしてポスターやインビテーションカード、雑誌広告のデザイン、アートディレクション等、数え切れないファッションの仕事に携わり、参加して来た。ビジュアルアーティスト、ミック・イタヤとしての服作り。今までしたことがなかったのが不思議。長年の夢でもある仕事なので、まだ小さな範囲の自由だが、機会をくださったBEAMS社には、クリエイションを通じ大きな自由を手に入れてお返ししたい。

PICTURE DIARY 1601WE2013


ベトナムの蓮の花と葉のお茶をいただいた。ほんの少しだけ泥の香りがして、そこから立ち上がり水面に咲く花の清らかで力強い野生を伝えている。その癖が好きだ。午後は久し振りに会った友人に茎茶をいただき、茶の日になった。友人が静岡の出身で、お年始のお裾分けだ。街中の小さなホテルのラウンジで紅茶を飲みながら近況を語り合った。茎茶は熱湯で乱暴に煎れても大丈夫とのことなので、案外がさつ者のぼくには適していてありがたい。友人も癖の強い男なので、いただいたお茶もそこはかとない癖のものか。人と人の間に茶があり、それは平和のしるし。

PICTURE DIARY 1501TU2013


色々なことを、色々な人が、色々なかたちで知らせ、教えてくれる。わざわざだったり、知らず知らずだったり、出会い頭の偶然だったり。何かから、例えば日常の出来事や、些細と言えるような気付いたことから変化してゆく。生活や人生に結び付く考え方、捉え方。いつも心や気持ち、全部ではなくても、その一部分だけでもオープンにして受け入れてみる。否定したり拒否したりすることは容易い。認め肯定することも容易い。否定し拒否する理由を考えることと、認め肯定する理由を考えることと、楽しみなのはどちらだろう。

PICTURE DIARY 1401MO2013


雪が降り積もる。街中が白くなってゆく。白が汚れてゆく美しさ。人は天使として生まれる。この世に何を伝えに来たか、どのように塗れるのか。

PICTURE DIARY 1301SU2013


OBANDOSの夢を見た。朝目覚めたら何の夢を見たのか忘れてしまっていて、何かの夢を見たな、ということだけ覚えていたのだが、夕食を食べていて突然思い出した。だからといって夕食の内容と夢には何の関連もないのだが。OBANDOSのコンサート会場は満員で、歌舞伎のように花道をメンバーがぞろりぞろりと中央のステージに向かう。そうして客席と向かい合うと、目の前にいるのは、ステージ上のメンバーや関係者と同じか、それよりも少ない15人から20人程の客で、あれ?と思う。ステージ上手に大きな泥のプールがあり、メンバーは次々に入って泥まみれにならなければならない。そういう段取りを踏んでコンサートが始まるらしいが、そんな段取りは知りもしないし聞いてもいないので「いやだ」と言うと「ワガママ」だと非難される。メンバーは平気でズブズブと足を入れたまま笑ったり、腹這いになって泥んこのままソリのように滑ったりするのだが、この会場には風呂は勿論、シャワーさえも備えはないではないか。ステージがはねたらどうするのか、その泥んこで。などと考える。ミックは格好つけだから人前で裸になったり出来ない臆病者だ、と誰かの囁きが聞こえて来る。夢の中のぼくはそうか!と気が付いた。ここは一番、空中三回転とか二回ひねりとか、とにかく出来るだけ派手な技を決めて思い切り飛び込むぞ!どうなっても、それで拍手喝采だ!と泥のプールへ向かったところで目覚めた。夢って。

PICTURE DIARY 1201SA2013


早朝から水戸へ。鈴木茂兵衛商店で茨城の工芸品を紹介するBSの番組の取材がある。ナビゲーターは宝塚出身の女優、檀れいさん。鈴木社長と出演する。素の檀さんが美しく面白く、楽しかった。いつもは車なのだが、ぼんやりしたくて水戸への行き帰りは電車で。上野から水戸まで1時間12分。特急「スーパーひたち」は快適。午前中の取材を終えて一行を見送り、鈴木社長こと隆ちゃんと昼食。散歩がてら近所を散策する。鈴木茂兵衛商店は共に通った中学高校の通学路にあたり、当時の裏通りには何軒かの料亭があって良い雰囲気だったのだが、今は無い。水戸黄門でお馴染みの格さんの眠る古い墓地を訪れるが、震災で倒れ、ひっくり返った墓石などがまだまだ多く見られて痛々しい。クレーン車などを使用して作業が続けられている。高校生の頃に通ったジャズ喫茶「DOWN HOME」ももう無い。隆ちゃんに聞くと、数年前まではあったらしいが。マイルスやコルトレーンの水張りしたパネルに白と黒のポスターカラーでダイナミックに丁寧にハイキーな写真のように描かれた数点の絵が記憶に残る。茨大の学生が描いたものだったと思う。電車の窓に張り付くようにして、子供のように外の景色を追いかけて、沿線の面影を探した往路、復路だった。新しい物語の始まり。

PICTURE DIARY 1101FR2013


旅をすることを考えていて思い出したこと。そして、今からしてみたいことの一つ、絵のツアー、展覧会ツアーをすること。以前展覧会ツアーをしたいと思ったことがあった。最初の画集、赤と青を出した頃のことだった。展覧会をしながら全国を回ってみたいと。音楽家の演奏旅行のように。スケッチしたりポートレイトを描いたりしながら世界を回る。各地で人々と親交を深めながら。今からならどんな風に出来るかなと考える。小さな、あるいは、コンパクトな展覧会と、望む人々に絵を描いて差し上げながら旅をする。やはり今からしてみたいな。

PICTURE DIARY 1001TH2013


太陽の反射。以前開催した鏡作品の展覧会タイトルである。ぼくらの存在は太陽の光の中にある。光の反射によって、光の中で生まれ育って来たものだ。太古、宇宙空間の全てはあらゆるところ灼熱の太陽であった。永い時を経て太陽から生まれ出た全てのもの。夜、部屋の灯りの下で考えている。この電気の光は太陽ではないのか、それとも太陽なのか。あるいは、太陽になりたいと願ったものなのか。人間の作り出すものは、全て未完の、不完全な太陽なのか。

NEWS-SUZUMO CHOCHIN MIC*SERIES at"MEISTER"


SUZUMO CHOCHIN MIC*シリーズのお取り扱いが目黒通りの家具店「MEISTER」で始まりました。店内の家具との美しい調和をお楽しみください。数種類が常設展示されておりますので、ぜひお立ち寄りください。

MEISTER
東京都目黒区目黒4-11-4
Tel:03-3716-2767
http://www.meister-mag.co.jp/

PICTURE DIARY 0901WE2013


ホロヴィッツによるラフマニノフの「音の絵」。ピアノの金属音が好きだ。なぜあんな音が出るのだろうかと思う。何回も聴く。ぼくは音によって描かれる情景を見るのが好きだ。一定のリズムで描かれる絵は無く、不思議、不可思議、不規則なリズムとストロークでぼくの「音の絵」は現れて来る。虚無から。ぼくのピアノの鍵盤は指先そのものだ。

PICTURE DIARY 0801TU2013


David Bowieの新曲「Where Are We Now?-The Next Day」のPVを観る。美しい曲。Walking In The Dead.

PICTURE DIARY 0701MO2013


仕事初め。みんな元気に星のアトリエに来る。にこやかで曇りのない、楽しげな様子を見たり感じたりするのが何よりも嬉しいものだ。それぞれがそれぞれに意味のある休暇を過ごしただろう。「明けましておめでとうございます」。表情も晴れやかな新年の挨拶。

PICTURE DIARY 0601SU2013


明日7日から仕事初め。準備をする。主に明日のことについて。新しい作品に着手する。まずはスケッチ以前のことから。夜の銀座通りを端から端まで歩いてみる。ゆっくりとウインドウなど見ながら。

PICTURE DIARY 0501SA2013


だいぶゆっくりとして体を休めるこの日一日。最低限必要なこと以外はせずにぼんやりと過ごす。手水に番の鳥がやって来て、寒さなどは感じさせず勢いよく水浴びする。二度、三度、四度。気持ち良さそうに。身を震い、水気を飛ばす。その鳥が去りややしばらくして、今度は先程の鳥たちよりも小さい、ホオジロのような、やはり番の鳥がやって来て、同じように何度も水浴びをして去る。微笑ましい。夜になり出かける。ちょっとした文房具や買いそびれていたスケジュール帳のリフィルなどを求める。星のアトリエ用に安価で出力のあるCDコンポーネントを選ぶ。石油ストーブの芯を調整して、炎が美しく上がるようにする。

PICTURE DIARY 0401FR2013


夜空を見上げると星が美しいのでしばらく見とれる。星はまたたいて、眼をしばたかせているよう。たくさんの瞳がこちらを見ている。瞳のひとつひとつが真実であり事実であると伝えている。冷たさにうっすらと涙目になってうなずくと、周りを囲む建物のフレームに見切れた星空が、そのまま笑顔になって近付いた感じがした。星、光輝く神話、無言で語る物語、知っているだろう、あらゆる物事、出来事、この世の顛末を。であるならば我々には伝えないでくれ、まだまだ準備が出来てはいない。

PICTURE DIARY 0301TH2013


用事の後にクイックかつ早めの夕食を、と入ろうとした寿司屋の入口のところで、蝶ネクタイの案内係が眉をハの字にして何か早口に詫びる。コンディションが良くないとか何とか聞こえるので、寿司屋の板前さんのコンディションをどうこう詫びるのも変わった事だと思いながら、はあ、どうしましたか、と改めて尋ねると、エアコンのことであった。エアコンが壊れてしまって寒い店内なのだが申し訳ないけれどもそれでもよいかと。正月三ヶ日のことなので修理がままならないのだろう。確かに少し寒いが、気にするほどのことではないと伝えて、ちらし寿司と握りの幾つかを頼む。お詫びに縁起が良いからと静岡の酒だと言う「開運」を出してすすめてくれるのだが、呑まないし車だし。気に入ったような建物や店に出会うと、ここをアトリエにしたらどうだろうかと考えることがままあるが、変に気に入ったキャラクターの人物を見付けると、自分のマネージャーだったらどうかな、と思ったりする。この寿司屋の蝶ネクタイ氏、コメディタッチの映画になるかな。

PICTURE DIARY 0301TH2013


用事の後にクイックかつ早めの夕食を、と入ろうとした寿司屋の入口のところで、蝶ネクタイの案内係が眉をハの字にして何か早口に詫びる。コンディションが良くないとか何とか聞こえるので、寿司屋の板前さんのコンディションをどうこう詫びるのも変わった事だと思いながら、はあ、どうしましたか、と改めて尋ねると、エアコンのことであった。エアコンが壊れてしまって寒い店内なのだが申し訳ないけれどもそれでもよいかと。正月三ヶ日のことなので修理がままならないのだろう。確かに少し寒いが、気にするほどのことではないと伝えて、ちらし寿司と握りの幾つかを頼む。お詫びに縁起が良いからと静岡の酒だと言う「開運」を出してすすめてくれるのだが、呑まないし車だし。気に入ったような建物や店に出会うと、ここをアトリエにしたらどうだろうかと考えることがままあるが、変に気に入ったキャラクターの人物を見付けると、自分のマネージャーだったらどうかな、と思ったりする。この寿司屋の蝶ネクタイ氏、コメディタッチの映画になるかな。

PICTURE DIARY 0201WE2012


正月二日。水戸の薗部のビストロに市村、関、鈴木の4人で集まった。桜井は風邪で欠席。皆、小学校、中学校、高校の同窓である。思い出話が紫煙と杯の彼方から繰り出されて、眼を細くしたり丸くしたりする。他愛無い話に尾びれ、背びれ、腹びれが付いて笑いの渦になる。少年の頃と同じように5時間も6時間も過ごす。薗部のあつらえた皿の上の料理はゆっくりと平らげられて、不埒な5人の男達のどんな栄養になるものか怪しい。

PICTURE DIARY 0101TU2013


初陽を浴びる。初詣へ行く。茶虎の、首に鈴を付けたネコが境内の大木に登ろうとする。登れ、と言うとバリバリと爪音をたてて登り、すぐに飛び降りたが、ぼくが行こうとする方へ先回りする。小さな祠の前で、手を合わせ願い事をする女性の足下を、素早くすり抜けて祠の中に入り込み隠れる。ぼくの番になり賽銭を投げ紅白に縒った紐を引くが、その先に鈴が付いてなく、音が無い。その時を計ったように祠の暗がりからネコの首の鈴の音がチリンチリンと聞こえ、覗くと暗闇から双眸を光らせてこちらを見ている。可笑しくて可愛くて大笑いした。大笑いしながら短い参道を引き返す目の端に、元気良く祠から飛び出して本殿の床下に走り込む茶虎のネコが映った。初笑い。面白いヤツだ。

PICTURE DIARY 3112MO2012


通りかかると、以前CLUBKINGのオフィスが入っていた建物が無くなって更地になっている。背の低い白の工事用シートに囲われて新しい建物が生まれるのを待っている。その消え失せた建物は、寺山修司氏が晩年を過ごした家で、ぼくはある憧れを持つ景色として記憶に残している。このようにして東京と言う都市は変貌を続けている。礼をする間もなく。

PICTURE DIARY 3012SU2012

ほとんど一日雨。吉田秀和氏「名曲のたのしみ」最終回。今年5月に吉田氏が亡くなって半年。12時20分から17時まで、特別番組が放送された。じっと謹聴しようと思っていたのだが、片付けやちょっとした仕事などしながら、努めて流すように聴いた。いつものように自然に。吉田秀和氏を知ったのは最近のことで、まるで偏食の子供が嫌いな食べ物を好むようになったのに似て、最初の一口二口は恐る恐る、吉田氏の語り口が引き金となりどんどんとクラシック音楽の世界に分け入ることとなった。必要な時に必要なものに出会うのだろうか。いつの間にかつましい生活の潤いと支えになった。吉田秀和氏の死後、放送用の原稿が半年分遺されて、半年間番組のチーフプロデューサーが代読するという形式で番組は続けられた。何と言うことか。死してもなおその情熱は聴取者に届けられた。奇跡的だと思うと同時に、心底好きであることを仕事として向き合った結果の必然なのだとも思う。今はただ、ありがとうの感謝を捧げるのみだ。吉田氏の情熱と音楽の世界は残されている。まだこれから先に広がって行く。古く新しい音楽の世界を開いて見せてくださった。これからぼくが表現するものに、吉田秀和氏の記憶が宿り、続いて行くのだろう。

PICTURE DIARY 2912SA2012

額装作品のメンテナンス。星のアトリエに置いてある10数点のガラス磨きなど。内側外側を手入れするが、フローティングの額装をした油彩画の額内部の下の辺りに黒かびが出ている。内装を張り替えなければいけない。湿気とカビを防ぐのは難しい。キャンバスにアクリル絵具の作品「つばさのていれ」と言うF30号の三枚続きの作品がある。これは意図的に作品表面のカビを成長させたものだ。アクリル絵具の水色系にはカビの出やすい性質のものがあり、容器に絵具を調色し、カビの出やすい環境を選んで適当な期間放置しておくと、表面に白カビが発生する。その絵具を使用して描いた、幼い天使のつばさを手入れする二人の女神を描いた絵は、水色の背景の部分に白カビが見事な文様を成長させ続けている。倉庫の奥に隔離しているが、今頃はどのような画相を見せているだろうか。

PICTURE DIARY 2812FR2812


仕事納め。一日朝から大掃除をし、星のアトリエは見違えるように美しく輝いた。夕方には蕎麦を茹でて年越しの蕎麦とする。天婦羅と日本酒で労をねぎらい、新しい年に向かう。長い休みはぼくにとって集中して考え、仕事が出来る時。貴重な毎日だ。余計なものを忘れ、排して力を抜き緊張をゆっくりと緩める。冷ます時間が必要だ。星のアトリエの近くで毎年門松を求めるのだが、今年は訪れると丈も枝振りもまるで不揃いなものが一対だけ取り残されたように置いてあり、ご覧のようにもう良い形のものが無く、申し訳ないと告げられた。毎年ここと決まっていたのにな、と少しがっかりした気を取り直して駅前の花屋に行った。忙しいその花屋を臨時に手伝うらしい少年がたくさんの門松を入れた桶からおもむろに一対の松を引き選び、「これでいいですか!」と言う様子が清々しく生き生きとして良かった。気持ちの良いことと、どのような所でどのように出会うか、来る年が楽しみになった。

PICTURE DIARY 2712TH2012


年の瀬も深まり今頃ともなれば、一年の全てが凝縮されたようになり、慌ただしく濃密な時間がより速く、駆け足で過ぎ去って行く。今年はどんな一年だったか、来年はどんな一年になるだろうか、あるいはするか。反省や希望や、見果てぬ夢のような想い。そして、自分の誇りとするような出来事もまた意識の水面にのぼる。今はただ、楽しいと思えることを、楽しいと感じられる仲間と楽しく進めて行きたいと望むだけだ。

PICTURE DIARY 2612WE2012


神社へお詣りに行く。だあれもいない。大きな太い銀杏の樹がずどんと立って実を落としている。御神木である。道々ファッションとアートの新しい関係性について考えを深める。神話、伝説、民話についてもっと知りたいと望む。古きを訊ねて新しきを知る、これが第一歩。

INFORMATION-WINTER VACATION


本年もありがとうございました。みなさまもお変わりなくお過ごしのことと思います。
この一年、みなさまとさまざまな形でご一緒させていただきましたこと
ミック・イタヤをはじめ、スタッフ一同、心から感謝申し上げます。
まことに勝手ではございますが12月29日土曜日より1月6日日曜日までを年末年始の休暇とさせていただきます。
新年は1月7日月曜日からの営業といたしますのでどうぞよろしくお願いいたします。
新しい年2013年には、美しく新たな気持ちでみなさまとお会いしますことを楽しみにしております。
素晴らしい一年になりますように心からお祈り申し上げます。

MIC*ITAYA and Power of Beauty
MIC*ITAYA MODERN MUSEUM
pob design
MIC*ITAYA INSPIRATIONAL

PICTURE DIARY 2512TU2012


TWINKLE展楽日。大阪はもちろん、近県や、遠く東京や福岡からも多くの人々に来ていただいた。DMOARTSは百貨店の中の小さなギャラリーだが、お客様方やスタッフのみなさんの気持ちの良さと、熱のある思いが伝わって心地良かった。有形無形の実りは大きい。ぜひまたやりましょうとの言葉が、本当に心から嬉しい。

PICTURE DIARY 2412MO2012


都市と自然界では、同じ寒さでも寒さの性質が全然違うと感じる。無論暑さについても。冬の森へ行く。滝の飛沫を被る岩には氷柱が下がっている。いつも通る道には雪が積もり、ザクザクと音をたてる。落葉した森や林の景色は夏とは違って遠見が利いて、丘や山々の稜線の緩やかな形が裸になった木々の間に見える。見えなかったものが見えるようになる冬景色。いつもくつろぐ岩は美しく雪に被われて、座ることはおろか立ち入る気にはならない。教会の近くを歩くと、クリスマスイブの礼拝に、人々が輝いた顔で集まっている。「RASCAL」へ寄ってシロタさんに野菜のたっぷり入ったピラフを作っていただく。それに紅茶を一杯。世間話。

PICTURE DIARY 2312SU2012


星のアトリエの片付けをする。暮れの大掃除一日だけではとても片付かない。デザインの仕事は、片付けること、つまり整理整頓の美しさの延長線上にある。デザインの仕事が出来るかどうか見るには、きちんと片付いた環境で仕事をしているかどうか見ればわかる。ただし、ある次元の上のほうになると片付こうがどうであろうがそんなことは関係がない。平凡なデザイナーが平凡にデザインするのであれば、これもまたあまり関係がない。しかし、平凡とは。