
白金のTAKAKOさんのお店「TAKAKO BEAUTY VOYAGE」へ。ハンドミラーの相談。TAKAKOさん自身、既に何枚かのミラーをお使いいただいていて、半年程前のお店がオープンした時からハンドミラーを置きたいし、置かせて欲しいとお話をしていたものだったが、そろそろクリスマス等のプレゼントシーズンも近付いて、久し振りにお顔を見がてらお伺いしようと思い連絡を取った次第。白金のメインストリートに面した可愛らしい店内にはTAKAKOさんの美に対する考えがキュートに凝縮されていて面白く可愛らしい。お店の中でお客様方やスタッフの方々を交えてお話をするうちに、ややもすると「ベリちゃんはさぁ」などと、どうしても昔馴染みのベリンダに対する口調になってしまって可笑しい。何しろベリンダが18の頃からの付き合いなので、今更TAKAKOさんと呼んでいるのもお尻の上の尻尾の辺りがムズムズとして不自然だ。TAKAKOさんの新しい若いスタッフの皆さんの前でヘアメイク界の大御所に向かって「ベリンダさぁ!」など呼び掛けるのも馴れ馴れしくてそぐわない気もするのだが、やはり「ベリ」とか「ベリちゃん」と呼ぶのがぼくには自然だな。ベリンダのチャーミングな夢が一杯の魔女っ子ショップで、ムクムクのムク犬ヒカル君の瞳と小さな数々のお守りのような品々の煌めき中に、誰かの手に取ってもらうのを待つ宝物がある。今日からハンドミラーの何枚かが仲間入りした。よろしくね。

artist:Mic*Itaya
title:Penguin Music
size:150×50cm
material:Acrylic on Canvas
date of birth:29092012
ミック・イタヤの参加する展覧会が開催中です。
80年代に一世を風靡したPENGUIN CAFE ORCHESTRAの来日公演を記念した展覧会です。
10月1日月曜日ー11月3日土曜日
A Tribute To PENGUIN CAFE
at Coolies’Creek
http://cooliescreek.jugem.jp/
★SUZUMO CHOCHIN プレスリリースPDF ダウンロード

すずも提灯 ミック・イタヤシリーズ ICHI-GO 提灯、ミック・イタヤシリーズ 球面台座、びん型提灯の3種が
「2012 年度 グッドデザイン賞」を受賞いたしました。
「使いやすいデザインとして」高い評価を獲得いたしました。
株式会社鈴木茂兵衛商店では、このたびすずも提灯のミック・イタヤシリーズ2種と、びん型提灯で「2012年度 グッ
ドデザイン賞」を受賞いたしました。すずも提灯は、ユーザーの年齢層や男女差を問わず、誰でも簡単に、安全に使用することができる製品として、デザイナーを交えて積極的に「使いやすさ」を追求した商品開発に取り組みました。
それに対して今回、グッドデザイン賞では特に「人種や国籍を超えた普遍性がある希望の光をデザインしている」といった点が高く評価されました。当社では、今回の受賞を契機に、さらにこれからの優れたデザインの特徴をアピールすることを通じて、すずも提灯を世に広め、デザインの観点から優れた物づくりに真摯に取り組んで参ります。
なお、すずも提灯は11月23日 金曜日から東京ビッグサイトで開催される受賞発表展「グッドデザインエキシビジョン2012」に出展されます。表彰式は、11月22日 木曜日に同会場で開催される予定です。

■ 製品名称:すずも提灯 ミック・イタヤシリーズ ICHI-GO 提灯
□ デザイナー名:ミック・イタヤ / 株式会社鈴木茂兵衛商店 由元君平
□ グッドデザイン賞審査委員による評価コメント:
置く、吊るす、持ち運ぶ。室内ではテーブルを彩り、野外では木の枝にかけることも可能な、汎用性の高い提灯である。和紙には防水加工が施され、日本の伝統工芸品である提灯を、古くて新しいインテリアの照明器具、美的なオブジェ作品として捉え、現代から未来を明るく照らし出す希望の光として巧くデザインされている。仄かな灯りと和紙の持つ温かさや手作りの優しさは、人種や国籍を超えた普遍性がある。

■ 製品名称:すずも提灯 ミック・イタヤシリーズ 球面台座
□ デザイナー名:ミック・イタヤ / 株式会社鈴木茂兵衛商店 由元君平
□ グッドデザイン賞審査委員による評価コメント:
類型の照明器具は存在するが、愛らしい起き上がりこぼしの動きを持たせ、プログラミングされたLED光源を用いて、音感センサーによるスイッチ点滅や柔らかい光の表情を変化させるなど、伝統の提灯に新しい機能技術を内包させている。またバッテリーによるコードレスでも使用でき、15 時間点灯可能なことは、魅力的である。

■ 製品名称:すずも提灯 びん型ちょうちんスタンド
□ デザイナー名:株式会社鈴木茂兵衛商店 武政賢次、由元君平
□ グッドデザイン賞審査委員による評価コメント:
生活に溶け込み、馴染み深い形状である。一升瓶のフォルムが、合理的な灯りとして成立している。光源には安全と美しさを求め、オレンジLEDにゆらぎ機能を組み込み、本物のローソクが灯されたように揺らめく工夫がされている。また簡便な組み立て方法も良く考えられている。
http://www.suzumo.com/
・写真データを用意しています。下のお問い合わせ先までご連絡下さい。
・すずも提灯はDESIGNTIDE TOKYO 2012に参加いたします。 10月31日 水曜日ー11月4日 日曜日 東京ミッドタウンにて。 https://designtide.jp/pc/

グッドデザイン賞とは
グッドデザイン賞は、1957 年に創設されたグッドデザイン商品選定制度を発端とする、日本で唯一の総合的なデザイン評価・推奨の運動です。これまで55年にわたって、デザインを通じて日本の産業や生活文化を向上させる運動として展開されており、のべ受賞件数は38,000 件以上にのぼり、今日では国内外の多くの企業や団体が参加しています。グッドデザイン賞受賞のシンボルである「Gマーク」は、すぐれたデザインを示すシンボルマークとして広く親しまれています。
このプレスリリースに関するお問い合わせ先
株式会社鈴木茂兵衛商店 担当:由元
電話:029-221-3966
メール:info@suzumo.com

打ち合わせのため原宿へ。自転車で街を走っていると、今日あたりは風強く、登り坂の向かい風ともなると、信じられないくらい進まない。B3のポートフォリオと資料とをバッグに入れてたすき掛けに背負って走るものだから、風の抵抗はかなりのものだ。ほとんど停止寸前の速度で坂を登る。登り坂と向かい風。こりゃあ演歌だ。

星のアトリエはそこそこ古い建物で、多分昭和20年代の終わりか30年代の始め頃の建築だと思う。以前にもリビングの吹き抜けの天井から雨漏りがしたり、古い電気の配線は電気の流れが不安定でデザイン作業用のコンピューターにとって都合が良く無く、家中の配線を全て取り替えた。古い一軒家は何かと手の掛かることが多く、面倒を見るのが大変だ。今回は、キッチンの出窓付近からの大量の雨漏り。以前からやや怪しく、最近の激しい雨によって出窓の上方の雨樋に木の葉などが詰まって溢れ出る雨水が、外壁をつたい降りて出窓の隙間から入り込むのだろうと思った。激しい降雨でいよいよキッチンが大変な状態になり、葉っぱを取り除いて貰おうと急ぎ出入りの工務店と職人さんに来ていただいた。状況を助手Aが説明し、現場を一緒に見て廻り、果たして、2階の方の出窓の下部の木材が腐り果て、そこから吸い込まれるように雨水が浸入して1階のキッチンの出窓の上部から室内へと水が流れる道があることが判明した。明日も雨になる予報が出ているので、工務店さん、職人さんの計らいで、急ぎ工事をして貰うことが出来た。明日の雨でもう雨漏りがしないといいんだけどね。と職人さん。雨漏りの修理は難しい。雨が降ってみないと水の流れる道筋が正確に分からない。かと言って、雨の中での工事は出来ないから。職人さん、急な工事ありがとう。そんな修理が終わり、工務店さんも職人さんも帰ってホッと一息付いた頃、助手Aが「今日はショックなことがありました」と言うので、どうした?と訊ねると、修理が終わり職人さんの帰り際に「奥さん!終わりました!」と声をかけられたと。てんやわんやの対応の末の締めの言葉としては、ナイーブな助手Aにとってはかなりの衝撃か。「お嬢さんでしょ」と小声で。

急に夜など寒いので体が大分冷えるようになった。ハンドミラーの納品に街を廻る。空はやや重く、明るいグレーの雲に覆われて、雨粒が落ちて来ないのが不思議なくらいだ。保湿性の高い雲なのだろう。訪れたショップのスタッフに、もう今からクリスマスのプレゼントを探しに来て、目星を付けるような人はいるのですか?と訊ねると、さすがにそれはまだ早いという答え。秋物の服が入って来た所で、例年なら今頃は大分動きがあるのだが、今秋の顕著な傾向としては、あちらこちらのお店を見て歩きつぶさに比較して、これは!と思う物にお取り置きや予約を入れるというお客様が多いのだと聞いた。じっくりと見極めて手に入れる。キャンセルもでますね、とスタッフは微笑む。

この間まで星のアトリエに在籍していたM女史に男の子ができた。H君はまだ9ヶ月の小さな紳士だが、テーブルを両手で叩いてリズムの研究をしたり、手の甲や指を吸ってラッパの練習をするのが最近のご趣味のご様子だ。音楽に造詣が深いらしい。初のご訪問ではあらせられるが、臆することなくご自分の意志を素直に表して場を和まし、盛り立てる。遠慮なく星のアトリエ内の有り様にご興味を示し、どうやら新しい知識をたくわえ、いにしえの記憶をたどり、何かを思い出すような顔付きをお見せになる。まだ歩くことがお出来ではないので、ご本人としてはややご不満があるようではある。が、しかし椅子につかまり立ちはお出来で、堂々とご自身のお姿をお示しになる。お顔はなぜか泣き顔に変化してしまうのがご本人としては無念のご様子だ。星のアトリエの諸公や主に代る代る身を委ねられ抱き上げられ、祝福を受け記念の写真を撮られるのだが、なかなか良いお顔を撮らせない。写真を撮る者にあらゆる意味で高いレベルを要求なさる。サッチモ、昔のJAZZの音楽家ルイ・アームストロングの真似がお上手なので皆を唸らせるが、本人直伝だとは誰も思わないだろう。見事なお耳に可憐な頬に、誇り高い男子の魂が現れている。「また来る。」と無言で言い残して、母なるM女史の押すベビーカーの人となった小さな王様は、遅めの午後の日溜まりの中を、厳かにご自分の居城にご帰還なされた。

朝、目覚めたら雨音がするのでそのまま昼過ぎまで眠る。幾らでも眠れそうだ。ぼくの幼時に、ご飯を茶碗に盛りつけて出しても、どうしても手をつけず食べないことがあった。どうしたものだろうかと両親は困ったのだが、そのうちにお櫃から杓文字を手に取って、杓文字に付いたご飯を食べ始めたのだと言う。このことはぼくの遠い記憶の底に微かに残っている。杓文字と米の香りが好きだった。行儀の良くないことだが、杓文字からご飯を食べることで得意気な心地がした。今思うことだが、幼いぼくの野性が茶碗に盛られた米の飯よりも、米櫃や飯炊き釜から直接炊きたての米を食べたい、生きた米を!という欲求があったのかも知れない、と、ほとんど勝手に格好良く空想した。野性の獣がそうであるように、雨なので狩に出かけられない寝床の中で、空腹を感じながらまどろみの時を過ごす。

秋分のお彼岸。菩提寺の住職と世間話。先代はまだまだお元気で、今日も一緒に提灯の話などした。在職60年余。現役のまま現住職に道を譲られたのだが、そのような例は全国の寺の中でも珍しいのだと言う。ホームセンターの十字路には、この季節の夕暮れ時になると何千何万羽という数の鳥が群をなして飛び、電線のパーツのようにほとんど等間隔でとまっている。すると近所の誰かが「パン!」と銃のような音をたてて追い払う。一斉に飛び立つ小さな鳥たちは、まるでアメリカの昔の漫画映画で見たことのあるような形をして、例えば矢印からアルファベットの形になるような、そして偶然の、必然の数学的とも言える無限のプログラムによって変幻自在に群れの形を変えて右から左へ、左から右へ、右回り、左回りに幾つかの大きな塊となって大空を移動し、ぶつかりあい、吸収され散開する。いつまで見ていても飽くことの無い。訊ねると、以前この十字路に大きな樹があり、渡る鳥たちの休み場所になっていたらしい。今はその大樹は失なわれているのだが、代々の鳥たちの記憶には大樹は存在し、その樹を目指して旅を続けるのだと言う。縦横に交差した複雑な電線が大樹の代わりをしている。付近の人々には迷惑なのかも知れないが、不思議で面白い見事な光景なので、観察する会や研究、鑑賞の、あるいは保護の会など、下手をすると大迷惑の会など、そのうちに出来そうな気がする。鳥の名を聞き忘れた。

STUDIO AZZURROの展覧会オープニングレセプション。川崎市民ミュージアムへ。STUDIO AZZURRO結成30周年、川崎市民ミュージアム開館25周年の記念展ということでもある。「KATARIBE」と題した都市シリーズの映像インスタレーション作品で構成される。イタリア各地の古い町、そしてアメリカの古い町としてのサンタフェ。そこに住み暮らす人々の語りで削り出し構築した町の立体的イメージ。壁面に等身大で映し出された人々に手を触れて呼び止めると彼や彼女たちはぼくたちに語り始める。会場に入るなり作品「Sensitive City」に登場した老女の「わたし、天使に助けられたのよ。」という言葉に引き寄せられた。天使に抱きかかえられて嵐の中から助け出されたことがあるという。サンタフェ、ナバホ族の共同体プエブロの女性の話振りと表情が印象に深い。霊性の高さを思う。日活100周年記念上映。日活アクションの世界という展示と映画の上映が10月一杯の毎週末になされる。赤木圭一郎が映画「打倒ノックダウン」で使用したヘッドギアや石原裕次郎が「零戦黒雲一家」で使用したゴーグル、女優たちの衣装等、こじんまりとではあるが興味深い展示。ぼくが子供の頃に「銀星」で観た映画も何本か上映にプログラムされ、その小道具も幾つかがここにある。人に必要な情報とアトラクションの幅や奥行、さらには浅さ高さと足元の奈落の果て。古代の日本、中世の日本、近代の写真家や日活映画、イタリア、ミラノのアーティスト集団STUDIO AZZURROの映像作品をほぼ同列で紹介しているこのミュージアムで、何をどのような順序で見るか考えると静かな興奮をおぼえて。

歌舞伎の世界の話で、誰の話であったか定かではなくなってしまったが、老境の、女形を極めた大役者が、今は盛りの当代切っての人気役者に言った言葉。「歳を重ねて芝居はだんだん上手くならない。むしろ下手になって行くものだ」と。精進を重ねて研鑽を積み、練磨すればするほど、自ずと芸は磨かれるものと思っていたが、かような努力を持ってしてもそうではなく、ただ下手になって行く。表現の世界全般に当てはまる警句として聞いた。経験を重ねて、色々なことを学ぶ。その時その場に応じた変化の仕様、有様を知る。精神、技術、体力はいつも同じバランスではない。バランスの取り方やアンバランスの極め方も同じように学ぶ。ある高みや頂点を目指そうがそうでなかろうが、最善、最良を求め、緊張と弛緩の出入りを自在にする。下手な自分を知り、諦めることのない。

今日の夕焼けは格別にきれいだった。太陽が沈みかけた西の空には雲が多く、光の筋が幾重にも重なって旭日旗のように光芒を放っていた。真上の空にはまだ真昼の青水色が広がって、所々に浮かんだ雲がピンクオレンジに染まって流れて行った。東の空は重い灰色で、積乱雲が明るい灰白色の巨大な姿を誇らしげに膨らませていた。道を歩く人も気が付くと空を見上げて、きれいだー、とつぶやいていた。一人の老紳士が坂道の向こうに広がる芝居がかった夕焼け空を手を後ろに組んでジッと見つめていた。理容師のご主人がカメラを空に向けていた。車で往来する人々は気付かないようだった。10分か15分くらいだったのだろうか。やがて、美しい夕暮れのページェントは夜の帳に包まれて終了した。作、演出、地球とその大気。そして太陽。

本当にたくさんの星がキラキラと光った。写真スタジオを出る時に、足元に気を付けてくださいね、と言われたので足元には充分に気を付けていたのだが、出入口手前の薄暗がりに、頭上に低く梁が渡してある所があり、そこに頭をぶつけた。その様な訳でまだ暮れるには少し早い時間ではあったが瞼の内側に星々の煌めきを見た。身長が185cmあるので、背が高くていいですねと言われる。しかし、良いことと困ったことが同時にあるのは世の常で、一日に三回位は鴨居等に頭を打つ。それも朝方の気持ち良くぼんやりしている時とか、さぁ!張り切るぞ!とばかりに背筋をシャンと伸ばした時が一番危険だ。その分打率が上がる。日本家屋の基本的な寸法が一尺約30cm、障子や襖等の建具の寸法が六尺の約180cm程なので、家の中ではいつも鴨居を避けて背中を丸めてお辞儀をしながら歩いている。引っ越しの度に頭を打つ危険の無い家へ、とは考えるのだが、なぜかそうはならない。堂々とすればするほど頭を打つ。これは神様が調子に乗るなよ!と諌めているのだと思うようにしている。いつか頭を気にせずに背筋をシャンと伸ばして闊歩出来る所に住まいたい。夜空の星を見上げながらそう思う。神様お願い。

久し振りに東京ミッドタウンへ行った。回廊形式の各フロアはゆったりとしていて、回遊してウインドウショッピングをゆっくりと楽しむことが出来る。レストスペースやプライベートなスペースに余裕があり、改めて心地好いと感じた。個性の強さが程好い所で安定している。人と違うことを喜び、大切にしよう。人と同じではつまらないから。雨がザァッと降って陽が照って、また雨がザァッと降って陽が照って、そんな具合に夏が洗い流されて行く。

近所からは祭囃子の音が聞こえる。外に出ると神輿が交差点の日陰に休んでいる。ぼくの二代目のアシスタントだったY女史の一人息子がウィーン少年合唱団に入ることになった。4年間の寄宿舎生活を送る。1年のうち半年程は公演で世界中を廻るという。天使の歌声を携え、世界平和への親善大使の役割がある。10歳。ご両親の決断は想像に余りある。ご子息本人の強い希望があったという。頼もしい。ぼくの10歳の頃、生まれ故郷の町の体育館にウィーン少年合唱団が公演に来た。ヨーロッパの天使たち、ウィーンの天使たちを見たそれが最初だった。お揃いの制服と美しい歌声に、遠い見知らぬ異国の匂いを嗅いだ。そのステージの光景は瞳に焼き付いている。天使たちは愛と平和への祈りを謳う。無垢な存在のすべてを素直に差し出すようにして。

鋤田正義写真展SOUND AND VISIONを見に行く。今日は写真展をプロデュースした立川直樹氏と鋤田正義氏のトークショーが開催の予定で、お昼頃の会場は、チケットカウンターでトークショーについて問い合わせる人や、会場内には熱心なお客様方が多く訪れているように見受けられた。美大を目指して東京に出て来た18の頃、鋤田氏の撮影したマーク・ボランのポートレイトに色鉛筆やクレヨン等で化粧を施して応募するキャンペーンを渋谷PARCOが開催していた。そのポートレイトは素晴らしかった。その後のデヴィッド・ボウイのアルバム「HEROES」もそうだが、自分にとってアイドルのミュージシャンの素晴らしい写真を撮ることが出来る日本の写真家って凄いな、と強い印象を持った。日本のミュージシャンもサディスティック・ミカ・バンド等、多くの好きなミュージシャンの写真を撮っておられるので尊敬して止まない。鋤田氏の撮影したマーク・ボランのポートレイトを持って近所の美容室に入り、美容師のお姉さんに「頭をコークスクリューにして!」と言って「はぁ?」と言われた。それでも写真を見ながら見よう見まねでロッドに髪を巻いてもらいパーマをかけて、ただのもじゃもじゃ頭になったことがあった。色々とマーク・ボランについて説明もしたのだが充分には届くはずもなかった。改めて展覧している写真を見ると、あれもだったのか、これもだったのかと鋤田氏の写真のそこはかとない強さと広さに感嘆する。写真を撮り始めた18の頃におかあさんを撮った「母」という作品。30歳頃の「JAZZ」のシリーズ作品に後年の、さらには現在の鋤田氏の両極の凄味を見ることが出来て興味深い。鋤田氏と立川氏のトークショーで、どのようなお話しが交わされたのか、ぜひ拝聴したいところだった。

今日も水戸から由元氏に来ていただいてすずも提灯のデザインミーティング。8つのデザインを選び図面を起こす。作業が順調に運べば、10月末のDESIGNTIDEには10種類の新しくデザインした火袋が並ぶ。続いてパッケージのミーティング。火袋や台座、アダプター等、パーツを限られたスペースの中にどう納めるか。由元氏のコペルニクス的転回のおかげで、従来の倍以上のスペースを確保する。由元氏はアイデアに困って切羽詰まると、打開するアイデアを夢に見るそうで、今回のパッケージのスペースについても夢に見たそうだ。そんなことが度々あるという。凄いね。今日は珍しく、昼に由元氏と星のアトリエの皆でサンドイッチやパンを食べながら手頃なプロセッコをあけた。気持ちが良く、嬉しい日だったから。少し酔いが回ってほんのりとした仕事振りになった。

午前中から午後にかけて外でのミーティング。途中、最終日となったTOKYO CULTUARTの「This is Zine」展を見る。 DMO ARTS谷口氏、星のアトリエに来る。12月の大阪での展覧会についてミーティング。内容、PR等、全容についてのアイデアや確認。来週にはメインビジュアルや展覧会タイトル、内容を決める。大阪での展覧会はご無沙汰しすぎだよ、と笑いながら多少のからかいが入る。そんなに空けたつもりはないが、慌ただしく余裕のない日々を過ごして来たのかなと思う。じっくりゆったりと気持ちの良い、楽しい展覧会にしたい。展覧会を観る人、かかわる人、すべての人にとって。

北東方向の積乱雲、立派だった。あの雲の下は大雨なのだろうか。子供の頃、いつも遊んでいた道のこちら側と、あまり行ったことのない向こう側との境目に立ち、こちら側は雨が降っていなくて、向こう側はザーザー降りの雨で、みちの真ん中に立ちつくして不思議な思いをしたことがよみがえった。雨の境目があるなんて知らなかったので。雲の影がグラウンドなどを移動して行く様子などを見るのも好きだ。影踏みをして遊んだ。雲の影から逃げようともした。今でも影を踏まれると痛い。

すずも提灯の火袋デザイン、20点程スケッチする。自然をテーマにして。今のところはとりとめの無い状態。明日の午後、数を絞り込みラインナップを決める。まだまだ暑さが厳しく頭が働かない。何でも熱を持ち過ぎてアツくなると機能しなくなるものだ。ヤン・リシエツキのショパン、ピアノ協奏曲第1番、2番を聴く。14歳とは思えない。この若きピアニストのショパンは流麗で豊かさに溢れている。2008年の録音なので本年18か19歳。10月に日本でコンサートがあるので楽しみにしている。

大阪での個展準備に本格的に入る。12月のクリスマスの頃、大阪三越伊勢丹のDMO ARTSで。大阪での個展は2004年の2月、dig me outでの展覧会以来になる。長いご無沙汰。ギャラリーからのリクエストはクリスマスの時期でもあるし「GIFT」をテーマにと言われている。展覧会のタイトルなどはまだ決めてはいないが。久し振りに会う皆とパーティーやイベントなども自然に出来ると良いと思う。何しろ9年振り近くになるので。久しく会えずにいた人も多い。作品を通して、そんな再会や出会いの喜びや幸せを表せたとしたら、ほんとうに嬉しいと思う。未来はいつも行先に横たわって、ぼくらはそんな未来の傍らををゆっくりと、柔らかな光の中で、生まれたばかりの赤ん坊を優しく静かにあやすように見守りながら歩みを進める。未来を驚かさないように、不用意に目覚めさせないように。

景色があるといいなと思う。内外に限らずホテルや旅館などに宿泊する際に、部屋の窓から見える景色は何よりも重要だ。景色が無ければ部屋の居心地がいかに良くても趣は半減し、どのような最新の設備が備わっていたとしても充分とは言えない。日本人としての特質なのか、可能な限り、どのような場所にも景色を探し、求める。料理の盛付けは良い例だ。季節の風景や名所の景色を料亭の膳や皿の上に見ることが出来る。先日は釜飯の中にも見た。古い町並みや日本庭園、昔の建物には備わった景色がある。そんな日本の景色を大切にしたい。ぼくらが用意することの出来る未来の美しい景色を育みたい。

森から帰ると東京は別次元の世界。好きな場所があるって本当にいいな。自分の気持ち良く解放された心を素直に表わすことが出来るのは素敵なことだ。好きな場所にだけ、点と点を線で結んで移動する。厭だと思う場所には二度と行く必要は無い。そう考えることが出来ると気持ちが楽になる。ラスカルに寄って、森から戻る。

渓流の岩の上に座って水の流れるのを見ている。上流から下流に向かって。現在が岩の上にある。上流が未来で下流が過去。そして海は記憶の溜まり場。上流は過去で、下流は未来。そして海は夢の溜まり場。流れの中の小さな岩の上に、苔が生え、名も知らぬ一本の草が伸びて名も知らぬ花を咲かせている。ここに来て、いつも思うことだが、これが自然の生け花なのだなと。

池袋へ。取材。メガネのお店OWNDAYSとのタイアップで古くなって使われなくなったメガネフレームに新しいレンズを入れて、心機一転、復活させて再び使用できるようにしよう、というmono magazineの企画。長年メガネケースにしまってあった、80年代のイギリスのハンドメイドサングラスを近々レンズと言って、手許と距離のあるところの両方がくっきりとカバーできるレンズに取り替えることになる。一抹の心配は、サングラスとしては自分に似合っていたと思うが、新しいレンズにして、ちょっといまいち似合ってるかな?という感じになりはしないかということ。17時、東高円寺U.F.O.CLUBへ。例によって色々な理由でOBANDOSのメンバーはサウンドチェック、およびリハーサルの定刻に集合することはない。U.F.O.CLUBは小さなCLUBだが居心地も音もスタッフの皆さんの気持ちも良くて好きだ。19時30分の出番まで、皆で近所のそば屋で腹ごしらえ。足りない人は泡の出るエネルギー補給。40分間のステージは、朝倉くんの口から出た曲タイトルのイメージを即興演奏するスタイルはいつもの通り。久し振りに参加のナギちゃんがOBANDOSに声の魂を入れてより満足できるステージになった。ライブレコーディングされたのでU.F.O.CLUBのレーベルから発売することになるかもしれない。メンバー全員が気に入れば。一緒に出た女性3人のバンド「にせんねんもんだい」が素晴らしかった。いっぺんにファンになる。

OBANDOSのリハーサル。明日のU.F.O.CLUBでのライブのために一回。今回は長い間ライブに参加できずにいたナギちゃんが久し振りのカムバックステージなので、ナギちゃんの歌の部分をやや重点的にリハーサルする。歌と言っても意味のあるような無いような、無意味なものに限りなく近い、理解出来る言葉であるような無いような。OBANDOSはかなりのインプロビゼーション・グループなので、仮にタイトルが同じ曲であったとしても演奏は同一ではない。同じ曲を同じようには二度と演奏出来ない。個々のメンバー、プレイヤーの意思が音に込められる。曲のイメージが重要で、曲ごとの解釈と発露は各々に委ねられる。朝倉君が演奏する前に発表する曲名が曲のイメージの強い動機となって音楽になる。各自が工作して手作りした楽器はシンプルで力強いインパクトがある。

午前中スカーフの打ち合わせなどして、午後からは外へ。恵比寿で一件ミーティング後銀座へ。銀座三越さんのクレデュボヌールで手鏡のお買い場を見て、イメージを具体化するための意見交換。スタッフの皆さんと少しお話をして内容が明確になる。ITO-YAで必要な買い物。7階のカランダッシュのスペースで長い時間を過す。色出しが好き。続いて山野楽器へ。リュート奏者エドゥアルド・エグエスのCD、ジルヴィウス・レオポルド・ヴァイスの「ハルティヒ男爵の死に寄せるトンボー」と、ポールバターフィールドブルースバンドの5枚組CDセット、それに2mと3mのシールドを1本ずつ。銀座三越さんに戻り、地下食でサンドイッチを星のアトリエのお土産に幾つか。それに海苔巻き。お昼食べるの忘れてた。

夜、渋谷で映画「クレイジーホース」を観る。問題は提起するけれど着地点が無いプロセス。帰りに寿司を食べる。寿司や天婦羅はパパッと食べるに限る。今日は一日外で打ち合わせの日。あまり暑くはなかったので少しは楽。「BEAMS LIGHTS with MIC*ITAYA」 のWOMEN’S, MEN’Sを個別にミーティングする。2013年春夏のラインナップ。まだ小規模だけれど素晴らしいスタッフに恵まれて楽しみな仕事。「福助」さん130周年記念紳士靴下、全8型16種類のカラーサンプルを確認。1種類だけ色変更する。問題無くチャーミングな出来。「925」のゴエモンとコンパクトミラー、アクリルのダブブレスレット、ダブリング等のサンプルについてのミーティング。

昨日、久し振りの雨になる。身も心も休まる。コンパクトミラーのデザインを考える。カリグラフィックな一筆描きの絵柄はどうかとスケッチをしたり、トレースをしたり、ラインを決めて洗練する。絵やデザインに限らず直感は最も大切で、第一印象による直感は消し去ることの出来ない鮮烈な刻印を残し、払拭することは困難だ。しかし、デザイナーとしてはいろいろな角度から、その直感が相応しく正しいものであるかどうか検証する。デザイン作品として世に出すためには。世の中は直感だけで成り立つわけではないから、特にデザインというスタッフワークの場合。アーティストが、それこそ宇宙的な啓示というほどに何人の介在も許さない神秘的な直感で何かしらを表現する場合と、デザイナーのそれとはプロセスが違う。必ず万人が納得できる説明が必要だ。特に生活に必要なものである以上。究極まで考えぬいて、なおかつ考えていないような自然な居住まいを醸し出せるものか。すでにこのようなことを記していることこそおこがましいが、楽しい遊びの力量を磨いて顕すところ。研鑽を積んで。

若い友人の結婚式とパーティに招かれる。美しい新郎新婦の晴れ姿に瞳が潤む。自然な気持ちの行き届いたパーティで、心から和んだ。料理も程好く吟味されて、魚も肉も体におさまりが良かった。弦楽四重奏とピアノが、宴の空気を高い次元に運び調和していた。モーツアルトを中心に出過ぎず引っ込み過ぎず、宴の間いつも心地良い音を奏でていた。今朝方に、朝食を摂りながら聴いた曲が演奏されていて、なお良かった。モーツアルトの華やかな、ロマン派の当時のサロンもかくやと思わせる気持ちの通った演奏を感じることが出来た。アフターパーティで四重奏団をひきいたチェリスト氏と話をする機会を得て、氏も当時のサロンを想像して演奏したと伺い、嬉しい思いをした。四重奏が奏でられる中、演奏する皆さんの前を歩くことがあり、ひとつひとつの楽器の奏でる音が歩調に合わせて右から左へ、左から右へと変化するのを聴いて、こんな風に自由に場所や動きを選んで楽しむことの出来るサロン風の音楽会が出来たら素晴らしいと思った。若い二人の友人の結婚は、たくさんの物事を結びつける橋渡しをする。

初めてドラムのセットを買うとき、楽器は最高のものを手に入れなさい、と物知りの人は言った。高いものを買えば、おいそれともうやめよう、と言わないからね、と笑いながら。一眼レフのカメラを買うとき、カメラ屋の主人は真剣な顔をして言った。人に絶対に貸してはならない、これは君のもので、君の一部になるものだから、シャッターボタンひとつとっても、他人の癖がついてはならない。画材を選ぶときに、最高のものを選ぶ。それは高価なと言う意味ではなく、自分に合ったという意味での最高のものを。しかし、そうやって選んで愛用して来たものがいつしか製造の中止やその他の理由で入手できなくなることがある。そして、その都度、作風に変化をもたらし、変更を余儀無くされた。それはもちろん必然の変化で、失われた画材に替わるものを求めるよりも、その作風を捨て去るべき局面だと感じた。そういう風にして新しい道を歩む。去るものは決して追わず。

一昨日、鈴茂の隆ちゃん、由元氏と話をしていて子供の頃には軍歌を唄いながら遊ぶようなことがあったことを思い出した。両手を広げて自分が零戦のパイロットで撃墜王のつもりになってキィーン、ブーン、ダダダダダッと両の手のひらを方向舵に見立て友達を追いかけて、追いかけられて走った。大人になったらそんな遊びはしないし、出来ない。本物の道具が必要になる。そうすれば笑われることはない。子供時代の遊びは大人になってすることと相似型をしている。福助さんから靴下のカラーサンプルが届いた。届いた6型とともに、美しく良い出来にアトリエのスタッフも皆喜んだ。全部で8型あるのだが、あとの2型のうちの1型は技術的に難しい部分があり研究中。紳士用の靴下ではあるけれど、女性にもおすすめ。福助さん130周年の記念の縁起物。来年春の発表が待ち遠しい。

今夜!ミックが参加するOBANDOSがU.F.O.CLUBに出演!!
ステージは19:30-20:15を予定!
詳細はこちら
http://www.ufoclub.jp/

夕焼けが美しく短時間のうちに空の青と雲の橙色から橙桃色に移って、夕陽のやんわりと射る光が逸れて軽い灰色になり、やがて夜空の闇にうっすらと混じり込み夜の黒になる。東に満月に近い月がおぼろに輝いているのに気付く。あそこまで行って帰って来た人が10人いる。人類の一番長い距離の旅だろう。この、どれだけ広いかもわからない、だれもまだ知らない宇宙のどこかに、この星、地球と同じような仕組みかもしれないし、まったく想像もつかないような思考の形態や生命の仕組みを持つ生命体が、ぼくらには考えも及ばないような意志を持って存在しているのだろうと思う。ぼくら人類が考え、想像するありとあらゆることはこの宇宙のどこかに存在する。おそらくは。ぼくらは、存在しないはずのことを考えつくことは出来ない。多分。知っているから考え思い付くことが出来る。いつも思うのだ、ぼくらは、あらゆることをただただ思い出しているのに過ぎないのだと。なので楽しいことを考えて生きよう。

ぼくがこんなはずじゃないなと思うことのひとつに、ものを作って売るということがある。小さな頃からものを作って売るようなことは考えたことも無く、ただ絵を描いたり工作したり、鬼ごっこをしたり野球をしたりが大好きな毎日で、駄菓子屋でキャンディを買うことはあっても、友達や見知らぬ人に何かを売るなど考えることはまるであるはずも無かった。家族も母がお隣さんの付き合いで内職をしたことがあるくらいで、ものを売るという商売は有り得無い。大人になったら何になるか、どのような職に就くかと悩んだ時に、考えの中に商人は無かった。中学から高校生になって、大学進学の進路を決めようと言う時にも、商学部と言うのは無かった。美大に進もうと決めて絵を描くことやデザインをする道に進んでも「商売」と言う考えは少しも無かった。けれど外資系の広告代理店で、正社員にという時に自分には合わないとフリーランスのイラストレーター、デザイナーとして仕事を始めた時から、意識しようがしまいが、「商人」になった。経理や経営のこと等、どこで習った覚えも無く、見様見真似でやって来た。仲間に助けられて続いて来ている。昨今の美術大学や専門学校にはマネージメント学部や課があるのだろう。作家やアーティストが充分な力を発揮するには、マネージメントしプロデュースする能力が不可欠だから。アンバランスをバランスに変える強い力で生き抜く力が必要だ。煌めく宝物のようなロマンチックな夢やファンタジーを変質させない強い意思と同時に、しなやかな柔軟性が必要だ。商人の遺伝子。王の遺伝子。美の遺伝子。

光。それによって知覚することの出来る実体。50億光年の彼方からの光。50億年前にその星々が存在した証し。そして闇。闇の中で感じることの出来るかたち、伝わる音の輪郭や触覚によって知覚する。宇宙の広さや大きさは時空を超えて想像を絶する。ミクロとマクロの世界。ぼくは双方のつながりを線で現す。概念。色即是空 空即是色。眼で見ることの出来る、闇を照らす一条の光。その光の元へ歩みを進める。あるいは真昼間の黒点。果たして誰かそこへ歩む者があるか。真昼を照らす太陽。太陽よりさらに明るく輝く光があれば、それは何を意味するだろうか。過剰なこと、超越的なものはどのように必要とされるだろうか。何のプレゼント、何のギフトであろうか。楽しみ。喜び。スター。

恵比寿ガーデンプレイスで野外映画。イギリスBBC製作のドキュメンタリー映画「ROCKET MEN」邦題、「宇宙へ」を観る。NASAの映像を使用してテンポの良い編集がなされて98分はあっという間だった。終わって爽やかなものではなく、むしろ少し重苦しさがあるのがぼくには難点だったが、アメリカと言う国のフロンティアスピリットは永遠に活き続けるのだろうと思うに充分な内容だった。美しい宇宙の映像と共に数々の打ち上げの失敗。それらに打ちのめされながら臆することなく立ち上がる勇気と力に心を動かされる。悲惨な事故は起るものだと言うこと。しかしチャレンジは続けると宣言するレーガン大統領の子供たちに語りかけるシーン。そして、映画の中で二度出てくる宇宙飛行士の大切な資質の一つに運の強さがあるというナレーション。成功の確率が50%だったらやると言うこと。印象的だ。

初めて買ったレコードはBEATLESのヘイジュードだった。確か中学二年生の時だと思う。野球部の後輩の田所君と野球の練習をしながら「ヘイ!ジューン!」と唄っていた記憶がある。ジュードというのが何の意味があることかわからなかったので、何となくジューンという女性の名だと思っていた。そんなヘイジュードのEPレコードを買って飛んで帰った家の中で、ポータブルのレコードプレーヤーにドーナツ盤を乗せて聴いた光景を思い出す。恐る恐るボリュームを上げながら何度も聴いた。しかし、その時のぼくにとっての衝撃はヘイジュードのB面に入った「REVOLUTION」と言う曲の方にあった。その曲はボリュームのつまみを即座に右いっぱいに回させた。その時の気持ち良く歪んだ音がぼくの原体験にある。BEATLESというグループは、好きとか嫌いとかのカテゴリーを超えた所に居るバンドだと思う。だから好きだとも嫌いだとも、その時の気分でどちらとも言える。ついでに言うと、初めて買ったLPレコードアルバムは、「FLOWER TRAVELING BAND」の「SATORI」だった。ジョー山中の声はすごいなと思った。日比谷野音へ何度も見に行った。親分の内田裕也氏が共にステージに立ち、アメリカツアーなどもして華やかだったが、確か夜の9時頃になると、というよりも大概ステージが押して、約束の終演時間を過ぎても演奏が続くので、会場側が電源を切って落としてしまうと言うのが常で、そのたびにステージ上手上方のコントロールルームに向かってステージ上のマイクとかボトルとか、その頃はペットボトルは無かったのでガラス瓶だったか缶や何かを投げ付けて怒りをぶつけていた姿を思い出す。いつもそんな幕切れだった印象だ。内田裕也さんが最後は締めていた。その後ジョーさんとはぼくがアートディレクターをしていたGRASS MEN’Sと言うブランドの関わりで会う機会があった。ドラムの和田ジョージ氏は、ぼくが福生のハウス時代に開いたパーティの乱痴気騒ぎにやって来てセッションをした。ぼくのドラムを叩き壊さんばかりに叩いてくれた。パトカーと警察官が来るまで。

東北道を新郷、岩槻方面へ。すずも提灯用のパッケージ試作品を見に行く。なかなか斬新な、そしてシンプルなデザインのパッケージだが、それだけに細かな所が重要になる。10月末からのDESIGNTIDE TOKYOに間に合うようにスケジュール等確認する。グレン・グールドのピアノ、チェンバロ、オルガン面白い。ポロシャツのデザインを考える。自分に似合うポロシャツは。人に着せたいポロシャツは。今日は胎動の日。新しいものが従来のものに入れ替わろうとする動きを感じる。

夕暮れるのが大分早くなった。公園を歩いていると蝉時雨とスケボーの音、テニスのボールがラケットに当る音、団地の広場の盆踊りの民謡、ジョギングの足音と追い抜いて行く呼吸音や頭上のカラスの鳴き声、走る車に子供の自転車のベル、噴水の水音と鳩の羽音や遠く、近くの人の声が渾然一体としてシンフォニーになる。それらは不規則な調和を持つ。指揮者が居るとすれば、彼が望むならば公園の広場の隣にある小山に登り、観客を見渡して足早な太陽の沈む音を聞き、夕闇を器用に飛び始めた蝙蝠たちの聞こえない楽器のチューニングの後、静かに、しかもくっきりと力強く鳴り始めた夜空のフルオーケストラの望洋とした満天に、一番星がまたたき始める澄んだ高い音が響くのを聴く。夜の帳につつまれて昼の部は厳かな色彩を帯びて終了し、夜の部では煌々とした月の光が弧を描き、ゆったりとしたテンポで眠りを奏でるだろう。夢から覚めないように気を付けて、朝のファンファーレまで。

東京アーティストマンションスペシャルショップ
ミック・イタヤが参加する東京アーティストマンションが、今秋1周年を迎える有楽町ロ フトに期間限定ショップをオープンしています。ミック・イタヤのスターピッドセットやカップ、クロネコミックのタオルハンカチ等のグッズが並びます。有楽町にお出かけの際にはぜひお立ち寄りください。
会期:2012.08.28TUー09.18TU
時間:10時30分ー21時30分/日曜・祝日21時終了
場所:有楽町ロフト1Fロフトマーケット
参加アーティスト
ひびのこづえ/日比野克彦/生意気/タナカノリユキ/秋山具義/カワムラヒデオ/菊地敦己/Bob Foundation/立本倫子/天明幸子/押忍!手芸部/安齋肇/le point/rouge/sekiyumi/tamao/kokeshi pop/TORAFU/TEDARA MOKEI/ミック・イタヤ
http://www.haction.co.jp/tam/event.html

夜になると秋の虫の音が聞こえ始める。夕暮れ時の雲と夕陽の光のコントラストがダイナミックだ。甲子園の高校野球大会も終わりに近付いて、優勝校が決まる頃には、急に秋の気配が迫って来る。残暑の酷しい今日この頃。アトリエのアプローチの砂利道に打ち水をすると、少し涼しくなるが、瞬く間に乾いて陽炎立つ。今年は水不足と言う話は聞かない気がするけれど、無闇に水を撒いたりするのはどうかなと思いながら、水を得た小さな庭の植木が喜ぶので惜しまない。涼し気な音楽や爽やかな香り、軽やかな衣類、穏やかな表情、気持ちが涼やかになるような配慮は貴い。怪談などの怖い話は苦手なのでとても涼しくはなれないし、オカルト物の映画なども好まないのでなかなか見ることもない。映画なら無条件に笑えるものが好きだ。リラックスした笑いが過剰な暑さや余計なものを吹き飛ばしてくれる。日常生活の中の自然な気持ちの流れが滞らないように。

ほんのたまに肉が食いてえなぁ!という日がある。むかしむかしはそんな日の方が主だったが、さすがに近頃ではまれになった。下手な肉を食べると後に響くことがあるので用心用心。昼に焼き肉とか生姜焼きとか食いてえなぁ!と思ったがすんどめして、夕方可愛くレバーの串焼きをいただく程度のことにした。何だか体の要求するままにしないように、と抑制する力が働いたのだ。無性に何かを集中的に、しかも大量に食べたい、と思うことがある。海藻やキャベツ、スイカとかトウモロコシ。リンゴ、甘栗、小豆、ヨーグルト、ニンジン、チキン等。環境等による体内の栄養状態を現し、身体に必要なものを要求するのだろう。明日、まだ肉が食べたいと感じたら食べることにしよう。以前トウモロコシを大量に食べて、それ以後の10年位トウモロコシは食べないということもあった。何を食べるか、つまりはどう生きるか。

銀座に行ってパレードを観たかった。メダリストの姿は美しかっただろうなと思う。そもそもパレードって好きな言葉だ。明るく楽しく誇らしい。ロンドンでひいきのフットボールチームの優勝パレードを見たことがある。見るというよりも参加したと言ってもいいかな。選手たちの乗った二階建のバスを追いかけて地元のサポーターたちと走った。知らない家の塀を越え、ごめんなさいね、失礼しますよ、と庭を抜け、二階建バスを先回りして何度も見た。選手たちは誇らし気に気高く恥ずかしそうに、同乗の奥方や家族と大きな笑顔で歓喜の声に応えていた。優勝パレードなど見たことも参加したことも無かったので、どんなものだか半信半疑だったが、そんな気持ちは瞬く間にひっくり返った。誇らしいことを誇らしいと思い、讃えるべきを讃え、共に喜ぶこと。何と素晴らしい一時だろうか、お互いを確かめ認め合う機会と言うものは。

代官山パントリーで東恩納裕一氏にばったりと会う。ヒルサイドテラスのギャラリーなど、周辺の各所で美術展の準備をしているな、と思ったら氏も出品する現代美術の企画展だと言うことだ。それにしても東恩納氏と会うのは福生以来か。電気が止められた時に電気を分けてくれた隣人で、同じ多摩美に通った同窓なのだ。あの頃の、上品で静かないたずらっ子なネコのような目付きも佇まいもまるで変わらない。氏と出会ったその一瞬だけ、70年代の多摩美と福生の風がさあっと吹いた。代表作、蛍光管を使ったシャンデリアのオブジェ作品は、今はもうコムデギャルソンの青山の店に飾られていないと聞いた。あの作品は好きだ。原宿へ、婦人服のデザイナー岡野隆司氏の主催するイベント「over flowing」を観にVACANTへ行く。先の2013SSのコレクションで会場を彩り構成していた音楽や絵を中心にして企画したライブステージ。岡野氏のFlower of Romanceの服を着て、岡野夫人のla fleurのコサージュを身に付けて。湯川潮音さんの音楽の世界には初めて接したけれど、声と詩、言葉が素晴らしい。特別な品格を持つ。吉野友加さんのアイリッシュハープ、さらに嶺川貴子さんの歌、小林エリカさんの絵、東野翠れんさんの写真、Dustin Wongさんのエレクトリックギター。好きな世界を観た、聴いた。

子供の頃、大人になることに憧れて、大人の食物を大人ぶって食べたりしたものだ。これを平気で食べられるなんて大人だなあと思う物。塩辛、焼きピーマン、カラスミなど、大概ビールや酒のつまみのような物で、大人たちの酒席の端っこで、スルメやカキピー、サラミ、チーズなどを賜り、美味い!と喜んだり顔をしかめたりしたものだ。翻って、子供の頃には大好きでよく食べたのに、大人になってもうたくさん、あるいは体が欲しないものも多い。油を使うものには敏感になった。古い油、質の落ちる油はいけない。辛いものもハードルが下がった。しかし、このようなことを書き記しながら、我家の躾の一つに「食物に文句を言うべからず」というのがあり、食卓に上がったものにあれこれと文句を言うな。食卓のものは何でも美味しく、きれいにいただくのが作法であり美徳だと教えられた。残さず食べよということではなく、しかし、残さず食べれば当然喜んだ。年月を得てだんだん残さずというのは難しくなり、無理だと思うものはきちんと残すようになった。それと酒は元来量を必要としなかったが、いよいよもって必要とせず、口に少量を含むだけで充分。大人になったらたくさん酒を呑んでみたいと思うこともなかったので、当然と言えば当然か。野球のスバイクや大人の革靴がコンクリートの上でカチャカチャ鳴るのが格好良くて、道端に捨てられたジュースの空缶を運動靴で潰し、そのまま足裏にはめて、ガチャガチャと得意気に歩く少年の夏。

「福島クダラナ庄助祭り」。13時、OBANDOSのメンバーがインフォメーションセンターとになる「まちなか広場」に集合。市内9ヶ所に分散し設定された会場でのライブステージや、特別なメニューを用意したカフェ、レストラン等が開かれて盛り上げている。全てを見て廻ることは出来なかったが、いくつかの会場に足を運んだ。メイン会場にあたる「福島テルサ」で開催された「クダラナお宝鑑定団」が面白かった。家庭にある、はたから見ると価値の無い物だけど我家では宝物だ、と言ったあんばいの物を競い合う。どれだけクダラナイ物かどうかが勝負。いつから家にあるのか分からない、引き出しの奥の小さな謎めいた人形、大相撲の懸賞金の袋、懸賞金の袋はクダラナくはない気もするが。そして24時間テレビ第一回目から昨年までの黄色いキャンペーンTシャツコレクション、ガリガリくんの当り棒28本、さて堂々の優勝は、マスクの鼻の上のところに付いている針金のコレクション。花粉症気味の福島の男子高校生が栄冠に輝いた。全体がおおよそそんな調子のクダラナ庄助祭り。OBANDOSのステージは15分と短いものだったが、ゲストのマンドリン奏者、井上太郎さんと充実した時間を過ごした。来年も再来年も続いて欲しい。