PICTURE DIARY 2212SA2012


dip in the poolの木村達司氏から連絡があり、以前に画集「Angel」とCD「Angel」を発表した際に、画集「Angel」に掲載した作品「Heavens Above」のイメージで木村氏が作曲し、甲田益也子さんが作詞して歌ってくださった同名の曲「Heavens Above」を今レコーディング中のアルバムに再び録音して収めたいとのお知らせがあった。あの曲は美しく、ぼくのアルバムだけでしか聴くことが出来ないのは勿体なく、そのアルバムも流通していない今では、曲を知る人もかなり少ないと思うので、より多くの人に聴いてもらえる機会を得てよかった。新しいアレンジが楽しみでもある。今のdip in the poolの居場所はHeavens Aboveだとも思うので。

PICTURE DIARY 2112FR2012


15時。天の川、我々の銀河の中心と太陽と地球が一直線に並ぶ1300年に一度の日。仕事の手を休めて「きらきら星」を聴く。大宇宙の指揮に生演奏で。一直線上の均衡は、互いに引き合う力なのだろうか、あるいは離れて行こうとする力なのだろうか。多分そのどちらでもあるだろう。心と体が内側から明るく輝いてふんわりとしたような気がする。そして、我々の居る所は冬至。南瓜を食べ、柚子湯に入る。些細なことのひとつひとつが、我々の宇宙を構成し、動かしている。

PICTURE DIARY 2012TH2012


今朝は大分寒かった。都内でも氷が張ったりしたのじゃないだろうかと思う。毎日の生活の中ではポエジーの世界に浸ることも少なく、何とはなしに忙しくしている。それにしてもポエジーの神様が年中降りて来ていたらば、ぼくはとてもエキセントリック過ぎる男になるだろうから、今くらいが丁度良いのだろう。昨日描いた絵が良い。レターヘッド程の大きさだが、それを下絵としてそのまま大きな絵にしてみたいと思う。とてもゆったりとふんわりとした間合いの抜けがあり、チャーミングな特徴となっている。ポエジーの神様が描くのをお手伝いくださったか。描き上げてからも色々な発見がある。対比の絵だが単純で素直だ。今日は一日ミーティングや手鏡の納品などで動き回って過ごした。もうすぐクリスマスの街は、何となくうきうきそわそわと見える。

NEWS-MIC*ITAYA EXHIBITION TWINKLE FINISH


TWINKLE展が無事に楽日を迎えました。本当にありがとうございました。ご来場くださったみなさん、行くことは出来なかったけれども見たいな、と思っていてくださったみなさん、宣伝本部長の宴さん藤村さん谷口さん古谷さんDMO ARTSのスタッフのみなさん、そして星のアトリエのみなさん助手Aさん、素晴らしい展覧会を本当にありがとうございました。特に谷口さん、2年越しの企画でしたね。重ねてお礼申し上げます。そして、みなさまこれからもよろしくお願いいたします。m*

PICTURE DIARY 1912WE2012


東山魁夷画伯の名作「緑響く」はモーツァルトのピアノ協奏曲をイメージし表現しているという。森がオーケストラで、白馬は主旋律を奏でるピアノだ。その解説はぼくにとって衝撃的だった。ぼくは音楽と絵やデザインのコントラストや出会いを表現しようとして来たが、そのようなアプローチは昔から、すでに高い次元で具体化されている。カンディンスキーやマチスと言った、音楽を主題にした作品を連作した例はたくさんあるので新しいことではないのだが、意表を突かれた。森や湖と白馬。美しい。東山画伯は奈良を愛したという。日本の心や、魂の中心としての奈良なのであろうかどうか、詳しくはない。ただ「緑響く」は、東山画伯がはっきりとモーツァルトの音楽とオーケストラ、そしてピアノを主題として描いた絵であると言う素直で単純明快な事実に感動した。ぼくが考えていたことは、日本人と言う民族が、アジア大陸の片隅の日本列島という島々に辿り着いた様子を音楽として捉え、端的な絵にしたいということ。ヨーロッパにおいて多民族のヨーロッパ人たちが出会い、戦い、交わりを深めたように、ベートーヴェンやリスト、ショパンやドビュッシーやラベルが線で結ばれて不思議な図形を描くように、古代の日本との相似形が生まれ、見出だされるのではないか。五感はもちろん、第六感を呼び覚ますような表現を理想とする。大洋を黒潮に乗って、あるいは大陸を馬に乗って流れて来たぼくやぼくらは、海や風や波の音を音楽として聴き、砂漠の足跡や焚き火の火や煙を絵と捉える。そこには単純で明快な古代の感覚が遊んでいる。

PICTURE DIARY 1812TU2012


車が車検から戻る。車体には何も問題は無かったのだが、右後輪の内側に亀裂が入り、タイヤの表面が剥離しかかっていた。びっくりだ。運転していても何の異常感も挙動の不審も感じることが無かったので気付かず、タイヤの運行前点検もしていたつもりだったのだが、つもりであって、内側まできちんと見ていなかった。道路工事や路上の大きな段差などをある程度の速度で乗り越えたりしていたら、その衝撃でバーストしていた可能性がある。危ないところ。冬用のタイヤに取り替えたので、来年の春には新しい夏用のタイヤにする。

CURONECOMIC 85

PICTURE DIARY 1712MO2012


昨夜は先のポリーニの演奏会を収録した放送が深夜にあり、眠りの中で観て聴いた。昨日、一昨日のイベントでは多くの人に出会い、多くの話を聞き、多くの絵を描いた。そのような珠玉の時は紡がれて流れ行きて、彼方へ彼方へ。そうしてぐるりと眼前へ戻り来て、気が付くと全く違うような形になって戻って来るものだなと感嘆する。変化する、変化させる、そんな潮だ。アトリエのこと、仕事のこと、デザインのこと、アートのこと、居のこと、場のこと、海の向こうのこと、日本のこと、この地のこと。綺麗ごとではないし、綺麗ごとでは済まない、と言う。しかし、本当の美や綺麗を感じず、知らずして何をか言わんや。この星や宇宙は、何も無くて美しく、見る人がいなくても美しい。ぼくらのような人間がこの星や宇宙にいて美しいものを見ることや知ることが出来るのに、その人々の造り出すものが美しくないとすれば、その存在の本質を問うべき。

PICTURE DIARY 1612SU2012


TWINKLE FACTORY2日目。昼前にマダムヨシエの「タルトメッセ」へ。お店はクリスマスの準備で大繁盛。DMO ARTSへ。今日も18時まで夢中で描く。両日ともスタッフの皆さんが上手にフォローしてくれるので、何ら困ることもなく集中する。昨日も今日も大阪、関西はもちろんのこと、東京や福岡からの遠来の方や、通りすがりにご興味を持ちリクエストをくださるお客様、久し振りに会う西の友人知人たちも多く、宴太朗関西宣伝本部長、DMO ARTS谷口氏、古谷氏には特別大きな感謝を捧げる。25日までよろしく。そして、それから先もね。

PICTURE DIARY 1512SA2012


お昼頃に大阪着。JR大阪三越伊勢丹入り。レストラン街で食事でも、と思い10階へ行くと、どこも満員で待つ人が長い列を作っている。奥まったところに「吉兆」が入っていて、待つ人もいない。これ幸い、献立に鯛の料理があり「吉兆」の縁起をかついで、久し振りの大阪と展覧会の、そして今日と明日のイベント、TWINKLE FACTORYの無事と成功を祈る食事とする。14時から18時過ぎまで、ご予約のお客様方のご希望やお話しをお伺いしながらひたすら夢中で絵を描く。リクエストをお伺いしながら描くと、普段は自分が描くことのないものを描くことになり面白い。18時から20時まで展覧会場でオープニングレセプション。その後の打ち上げはオーナーシェフがTWINKLE FACTORYの一番最初のお客様でもあったイタリア料理店「BALTHAZAR」、その名もフランス語で「宴」にて。

PICTURE DIARY 1412FR2012

ゲルハルト・オピッツのシューベルト連続演奏会第5回。東京オペラシティコンサートホール。正直に言ってシューベルトのピアノ曲には馴染みが薄く、それほどの期待は無かったが、あまりにも自然で、舞い降りる妖精や雪片のような音質の柔らかみに、ゆったりと身を委ねることが出来た。客は多くはなく、本当に楽しみに来ている人々なのがホールの空気として伝わり、心に強い。ゲルハルト・オピッツは、ブラームスやベートーヴェンの演奏が有名で、シューベルトはごく最近の取り組みだという。ゲルハルト・オピッツの楽派の流れを遡るとリストやベートーヴェンに行き着くそうだが、その音の下連味の無い豊さに、人柄と解釈の奥深さを感じてあたたかい。以下プログラム。シューベルト、ピアノ・ソナタ ハ長調D279。ピアノ・ソナタ イ長調D664。休憩。高雅なワルツ集D969。ピアノ・ソナタ イ短調D845。アンコール。ピアノ・ソナタ イ長調D664第2楽章Andante。以上。

PICTURE DIARY 1312TU2012


星のアトリエにはグラフィックデザイナーの武者小路君から預かっているターンテーブルと立派なスピーカーがあるのだが、随分前に長年愛用して来たアンプが壊れて、それきり眠っている。星のアトリエで音楽を聴くときにはポータブルなCDプレーヤーで充分なので、何とはなしにそのままにしていたが、やはり大きく余裕のある豊かな音に充たされたいという思いが募って、適当なアンプを探すのだがなかなか見付からない。高価な物は無理なので、何とか手頃なものに出会わないかと思うのだが。今日も電気屋を覗いてあれこれ研究する。CDプレーヤーとFM、AMのレシーバーを装備してターンテーブルをつなぐことの出来る出力の充分なもの。現れよ。

PICTURE DIARY 1212WE2012


TWINKLE展初日。東京から見守る。愛と平和、美しい未来。素直な気持ち。

PICTURE DIARY 1112TU2012


JR大阪三越伊勢丹DMO ARTS、TWINKLE展の搬入と設営。谷口氏、古谷氏、宴氏を初めとする大阪の皆にお任せする。

PICTURE DIARY 1012MO2012


大阪のDMO ARTSへTWINKLE展の作品が出発する。全37作品。京都の辺りでは雪らしいので、どうか遅れることなく無事に着くことを祈る思い。

PICTURE DIARY 0912SU2012


大阪から届いたTWINKLE展用のGICLEEプリント作品にサインをする。サインしながら新しい表現のアイデアがいくつか湧いてくる。そんな日そんな時がある。どのように新しいかこれから時間をかけて確かめてみる。

PICTURE DIARY 0812SA2012


TWINKLE展のための荷造り梱包作業をする。出展作品を整える。額のガラスを磨く。1997年の作品、「YELLOW DROP CURTAIN」はカラーインクを使用したポップなもので、このタッチの作品は製作点数が少ない。「MIROL/MIC」とサインしてあり、未発表の物語「HUEE」に登場する画家MIROLが描いたという設定になっている。15年前の作品だが、今回の展覧会で特に見て欲しい絵だ。夕方、銀座へ。歌舞伎座の前を通りかかり、手を合わせる。

PICTURE DIARY 0712FR2012


筆は槍、筆は指揮棒、柔らかい筆の先から生まれる未来。

PICTURE DIARY 0612TH2012


朝、起き抜けに一筆で絵を描く。閃きの天使。夜、草鍋会。焼鳥の店で。年に一、二回集まる美大の友人たちを中心に。今夜は七人。勘三郎さんの話。時間はあっという間に。

PICTURE DIARY 0512WE2012


坂本龍一氏に会ったのは20数年振りになるかも知れない。「お久し振りです。」覚えていらっしゃらないかも知れないので恐る恐るご挨拶すると「あっ!80年代の仲間だね。」とにこやかな返事が返って来た。ぼくのぶら下げている自転車用のヘルメットを見て、「自転車?いいね。」と嬉しそうに笑った。短い挨拶と会話の中に、隔てた時を瓦解する充足感があった。教授の主宰するmoreTreesの5周年記念パーティー、白金のBIOTOPにて。多くの仲間に出会う夜。木の、森の香りのする夜。父方の家業は材木商で、それで姓が板谷と言うのかな、と思った他愛ない子供の時分を思い出す。

PICTURE DIARY 0412TU2012


子供の時に、何をしていると楽しかったか思い出してみると、鬼ごっこやかけっこなど、とにかく走り回るようなことが夢中になれて楽しいことだったと思う。一つだけ挙てと問われると、鬼ごっこだと答えるかも知れない。今とは違い、子供の頃には天来のすばしっこさがあり足も速かったので、鬼ごっこなどをしても捕まることはなかった。もしも鬼になることがあればすぐに鬼を返上することが出来た。得意なことは楽しい。色んな鬼ごっこがあるが、鬼ごっこのような子供たちの遊びの全てが楽しかった。最後に鬼ごっこをしたのはいつのことだったのだろう。ひょっとしたら、今でも鬼ごっこが続いているのかも知れない。

PICTURE DIARY 0312MO2012


キャンバスの上の、色と色の間にあるもの、ピアノの鍵盤と鍵盤の間にあるもの、空と海の間には同様のものがあると思える。そのことを分かち合える人と出会うこと。宝物だ。

PICTURE DIARY 0212SU2012


ロブションの握った「おにぎり」。ポリーニの弾く「ねこふんじゃった」。
どんなものだろうか。

PICTURE DIARY 0112SA2012


今一番したいこと。

線を引くこと。
たくさん引くこと。
たった一本引くこと。
力を込めて引くこと。
気持ちを込めて引くこと。
何も考えず引き続けること。
無造作に引くこと。
さらにぶっきらぼうに引くこと。
感情を顕に引くこと。
感情を抑え込み引くこと。
眼を閉じて引くこと。
顔を空に向けて引くこと。
線を引くこと。
線など無いと思えるまで引くこと。

線など無い。

NEWS-MIC* TWINKLE START TOMORROW


みなさま

お元気でお過ごしのことと思います。

京都では雪という知らせも聞き
大阪もかなり寒くなったのだろうと想像しています。

JR大阪三越伊勢丹3階DMO ARTSにて
明日12日水曜日からTWINKLE展のスタートです。

15日土曜日14時〜20時
16日日曜日14時〜18時

の両日はイベントを開催し会場におりますので
お時間ございましたら、どうぞお運びください。

ミック・イタヤ

 

ミック・イタヤ トゥインクル展
http://www.dmoarts.com/exhibition/2012/11/2365/

イベント詳細
http://www.dmoarts.com/news/2012/12/2486/

PICTURE DIARY 3011FR2012


日記として、文章として、理由無く書けない日。

PICTURE DIARY 2911TH2012


線の密度、そこに描かれていると思われるものの情報の量を如実に現す。そこに描かれていると思われるものの情報の量を如実に現すものかどうか、一本の線。無を描く。

PICTURE DIARY 2811WE2012


TEI TOWA「ecollage」展オープニング。ALにて。テイくんのコラージュ作品は、彼の音楽のようにセンシティブで大胆に、まるでターンテーブルの上で作られたもののように見える。テイくんの音楽が、気持ちの良い種類のデジタルなものであるのと同じ比重で、彼のコラージュ作品は気持ちの良いアナログなものだ。展覧作品は、主に著作権の消失した古い印刷物を使用して、今時デジタルやアナログなど古臭い言い方だと思う分だけ、恐ろしく鮮度が高い。これもまた、今時音楽アルバムを作るのにコンセプトアルバムと言う発想もあるようなないようなものだが、リスナーに届けようとするあらかたの音楽が、すでに一枚のまとまったテーマのあるアルバムと言う概念からは遠く離れて、アルバムのストーリーが希薄になった分だけ、大いなる意味を感じるコラージュ作品だと思う。展覧会会場に並べて置かれたPINK FLOYD「ATOM HEART MOTHER」の数枚のデザイン違いのアナログ盤ジャケットが実は一番気になった。現在までの音楽や、他の芸術の世界に既に見られたものであるように見えて、実は全く新しい仕組みと方法で表現を組み立てようとすることに賛成する。今日は、強い満月の力で予期せぬ重要なことが生まれる一日。ソラノクニニカンシャヲササゲマス。

PICTURE DIARY 2711TU2012


小さな王様のつぶらな瞳は、あふれる涙にぼやけてにじんでいる。可愛いお声をあげてにわか雨のようにお泣きになられた。母なるM女史をはじめとして、星のアトリエへのご来訪をお待ち申し上げ、揃ってお出迎えの笑顔を並べた諸公は困り果てた。座るべき銀色のスパンコールと白い毛皮の長椅子がお気に召さぬのか、はたまた星のアトリエの主をはじめとするお出迎えの面々の姿形が見馴れぬものだからであるのか、見当がつかない。ほんの少しだけお困りのご様子の母君が、泣き顔のお口もとに持参のビスケットなどをおすすめになると「ウェッ!」というお声をあげられ、ゆっくりと3つ数える間ほどの時間泣くのをお止めになられた。ふたたび泣き顔になられたが、しばらくして小さいながらも威厳のある紳士のお顔付きに戻られた。小さな王様は、出迎えの皆をねぎらう挨拶をと喜びの顔を向けたのであるが、皆は挨拶を返すどころか、むしろ無礼な態度を示す様子に呆れ果てたので挨拶を止めたのだ。時を経てふたたびまみえるような時には、誰しも顔をクシャクシャにして大声をあげ、涙を流し再会を喜ぶものであろう。であるのに、誰も彼もが困ったような深刻な問題でもあるような顔をして、まともな挨拶をしようともしないとは。ある者などは口から舌を出して「ベロベロべー」などと言いながらうつけた笑い顔を向ける。道化。面白いから赦すが、面白くなければ追放を命じるところだ。母には伝えおくべきだった。新しい挨拶の作法を。かくして、ご自分の居城へご帰還なさる際にも、小さな王様は大声をあげて顔をクシャクシャにしかめ、ありったけの涙を流してしばしの別れを惜しんだ。

PICTURE DIARY 2611MO2012


一日中雨。夜には上がる。雨は空気を清々しくして草木を潤す。雨が降りぐっと冷え込むようだ。気持ちは沈静し、考えを巡らすには良い。作品の製作作業は中断して俯瞰する。

PICTURE DIARY 2511SU2012


星のアトリエのサンルームは、入口の門の鉄扉から駐車スペースを通って左に折れた狭く短いアプローチの突き当たり、玄関を兼ねた場所で、隣家の高い塀と星のアトリエの母家にあたる部分の間の、ほんのちょっとした空間だ。南東に向かって開いてはいるが、位置としては明るいけれども陽が当たる時間は限られている。今日は11時30分頃から13時過ぎまで太陽の光が射し込み、とても快適なキラキラした空間になる。昼食と仕事は暫くここですることにしようかと思う。曇りや雨だと底冷えがするけれど、天気が良ければ冬はとても快適だ。

PICTURE DIARY 2411SA2012


作品の製作に集注する。うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。その繰り返し。繰り返しとは言ってもうまくいかないことの方が多い。祈りながら。作品の大小や技術にかかわらず、必要な力に分け隔ては無し。

PICTURE DIARY 2311FR2012


メモや小さなスケッチなどの整理をする。格言めいた言葉や詩のような言葉、そして本当に詩。思い付いた名前やシャレ、デザインのアイデア、絵のモチーフや構図について、電話のメモ書きにTO DO LIST。分類してバインドする。今取りかかっている仕事の役に立ちそうなものは抜き出しそれぞれの仕事ファイルに入れる。面白いなと思うのは、何かのために考えたことが、その何かのためではなくて、他の何かのために考えた何かのメモやスケッチと結び付いて、新しい何かになるということ。不要になったコピー用紙の裏側に未来がある。

PICTURE DIARY 2211TH2012


グッドデザイン賞表彰式。東京ビッグサイトにて。感慨とこれからだなという感覚。

PICTURE DIARY 2111WE2012


すずも提灯の搬入を手伝いに東京ビッグサイトへ。明日からグッドデザイン賞の表彰式と展覧会が始まる。大きな広い会場の展示スペースに、受賞したデザイン作品が箱の中から半分顔を出したり、緩衝材で包まれたりしながら雑然として出番を待っている。人の手は、それらを正しい位置に、正しい状態で並べ、正しく人の眼に触れるようにする。明日、会場を訪れると、見違えるようにきらびやかな会場の風景がぼくらを迎えるのだろう。ここにあるこれらデザイン作品のひとつひとつ、自分の身の回りにあるひとつひとつが人の手を介して作られたものであるのかと思うと、自分たちのしていること、あるいは、することは常にその時代の最先端なのだなと思う。鉛筆を削ることであれ魚をさばくことであれ。

PICTURE DIARY 2011TU2012


2013年春夏物のサンプルチェック。多少の修正。明日、明後日とメンズの内覧会。流れ星のハンドライティングショーツは特別なトライアル、ダンガリースーツは軽妙で着る場所を選ばない。ハトとハートとハットをデザインしたワンポイント刺繍入り「ハットトリック」ポロシャツ、シルクハットからハートとハトが飛び出すアミュレットデザイン。ウーメンズはダンガリーのシャツワンピースにネコがハイヒールになったデザインのワンポイント刺繍「ハイヒールキャット」が入る。その街のことはネコに訊け。「ボンボワイヤージュ」シリーズの第一弾、パリとコートダジュールをモチーフにしたティシャツとトートバッグ、東京で手に入る世界の旅のお土産として。メンズもウーメンズもそれぞれ「ダブ」柄のカットソーでティシャツとワンピース、BEAMS LIGHTS with MIC*ITAYAのメインモチーフ「ダブ」は愛と平和と旅の安全を守護し象徴する。スリーシーズン目になるが毎シーズン配色を変え、2013年春夏はベージュとターコイズのツートーンで。BEAMS LIGHTS with MIC*ITAYAを代表するアイテムとして。このシーズンからぼくがデザインし監修したアイテムには「BEAMS LIGHTS with MIC*ITAYA」の織りネームが付けられる。深い空の青に、白い鳩の文字で。

PICTURE DIARY 1911MO2012


ドビュッシーやラベル、メシアンが自然や風景、絵画などを愛し、好んだように、音楽の情景や、感じられる素直な印象を、絵や立体にしてみたい。

PICTURE DIARY 1811SU2012


決まり

この世の中に決まりなど何も無い
決まりがあるのだとすれば
それは人が勝手に考え見つけ出したもので
本来は何の役にも立たないものだ
自然に任せて生きることを
動物と一緒だと言って軽んじるが
人もまた動物の一種であり
人と動物を分けて考えようと思い
そういう決まりを作って来たに過ぎない
決まりなど何も無いが
人と言う生き物は経験によって
決まりを作った方が便利だ
と思うようになる生き物なのだろう
決まりに守られて縛られて
自由の意味を忘れる
そうして新しく自由の意味を見つけ出す
こうして言葉を連ねて意味を知る
それと同時に意味を忘れる
言葉と言う決まりの中では
ある決まりが伝えられる
その決まりの外で生きることを思い出す
全てが自由だった日のことを思い出す

PICTURE DIARY 1711SA2012


出かけついでに銀座でおでん。「お多幸」では豆腐が好きだ。茶めしに豆腐をドンとのせて食べるのが美味しい。けど今日は止めておいた。おでんもテンポでいただくもの、茶めし豆腐にたどり着く前に仕上がった。雨に濡れながら「あけぼの」で煎餅を買う。夏場にはあまり煎餅が進まないが寒くなって来ると煎餅を切らさない。何種類かを合わせた袋詰めを買う。「LADUREE」でお茶にする。夜になるとお客も少なくなってゆっくり出来る。卓上の薔薇が美しいので尋ねると、パリのLADUREEに花をあつらえていた方が帰国して店を開き、毎週卓上の花の面倒を見ているのだそうで、さすがに店の雰囲気をしっかりと掴まえた色と大きさのものである訳だ。香りのたたない品種を選んでいる。窓の外では雨も上がり、銀座の街角には眠りに就く前の静けさが漂い始めている。

PICTURE DIARY 1611FR2012


池袋の日本料理屋で、幼馴染みの「鈴も」の隆太郎、由元くん、幼稚園の時から同じ小学校、中学校、高校と進んだのに、不思議と同じクラスになったことのない桜井と4人で食事する。一座では若年の由元くんが耳年増に鳴りはしないかと心配しながら色々な話題になる。たらればの話しも多い中で、浪人時代に当時渋谷公園通りの山手教会の地下にあったJean-Jeanで、お父様を亡くしたばかりだと言う井上陽水が泣きながら歌う「傘がない」は隆太郎と見ていて今だに強く心に残るという話しから、その隆太郎が京都の大学に入って、クラシックのことなど何も知らないところを、高校の同窓のFに無理矢理連れて行かれたピアノの巨匠、ミケランジェリのコンサートでそのFがいきなり通路に立ち上がり、写真をパシャ!パシャ!と2枚撮る暴挙に出て、演奏中のミケランジェリは演奏しながらキッ!と睨んで、Fは即座に駆け付けた二人の係員に外へ連れ出されたそうだ。「ミケランジェリは演奏を止めなかった?」、「止められなかった」と隆太郎。ミケランジェリの演奏していた曲の一番の見せ場、聴かせ所での出来事だったのだろう。ピアノやクラシックのことなど何も知らない隆太郎は、途方に暮れましたの巻。ぼくは一番大笑いした。何しろミケランジェリは大巨匠の大変人の気難し屋で名を轟かせており、使用するピアノが気に入らないなどの理由から、コンサートのキャンセルや日程の変更は朝飯前で、演奏中に観客が立ち上がり、写真を撮り始めるなど、演奏どころかコンサート自体が中止になってもおかしくはない。ただそのステージは1974年の大阪フェスティバルホールだと思われ、前年の1973年の同ホールでのコンサートを、例によって自身の我儘でキャンセルした穴埋めの演奏会であったはずなので、瞬時に演奏の続行を判断したのかも知れない。その後Fがどうなったか聞きそびれた。ともあれ、ぼくら4人の小さな宴会は和やかに続いた。

NEWS-GOOD DESIGN AWARD表彰式


去る11月22日、東京ビッグサイトにて「すずも提灯」のグッドデザイン賞受賞表彰式が執り行われました。鈴木茂兵衛商店、代表取締役の鈴木隆太郎氏、「すずも提灯」企画開発担当デザイナーの由元君平氏と弊社グラフィックデザイナーの横田紀行、酒井綾子、「すずも提灯」をデザインしたミック・イタヤの5名で受賞の式典に臨み、その栄誉に浴しました。各々開発の労をねぎらうと同時に、今後のより一層の精進を誓い合う、笑顔と引き締まる思いのひとときでした。写真は右より鈴木隆太郎、由元君平、ミック・イタヤの各氏。

PICTURE DIARY 1511TH2012


夜、佐久間正英1001夜コンサート。Last Waltzにて。佐久間さんの音を慈しむ姿は静かで激しい。常設の音響機材を一切使用せず、PA卓からスピーカーなど、全ての機材を持ち込み、PAは佐久間さん本人が演奏しながら操作する。素晴らしい音だ。小さな会場を包み込み、ふわっと抜けるように染み渡る。おやすみ音楽。goodnight to followersの1001夜は夢見心地に終始した。

PICTURE DIARY 1411WE2012


自転車に乗って原宿、青山まで出かける。TOKITOのコートを着てみた。長い両裾を左右にひょいと捲りボタンで止めて、チェーンに裾を巻き込まない工夫が施してある。良い風合いのカシミヤウール、濃紺やや厚手の生地はぼく好み。着脱可能なフードも付いているので、冬の厳寒にも充分に耐える。TOKITOのデザイナー、吉田十紀人氏も自転車乗りなので、自転車乗りのための美しい服は嬉しい。走っていて気持ちが良かった。A4の書類が腰の部分にすっぽりと収まるフィールドジャケット風のバイクウェアは長年愛用している。福助さんの展示会。大住氏、深津氏と合流。more treesと福助が取り組んだ福助130周年記念のチャリティー靴下が発表された。早く履いてみたい。

PICTURE DIARY 1311TU2012


資料を探しに街へ出る。資料探しは何も本屋へ行ったり、古書店へ行ったり、図書館であるとか、いかにも資料のたくさんありそうなところへ行く訳ではない。街の景色や人々の様子、車の流れ、店の品揃えとショーウィンドウ、眼に触れるもの全てが資料のようなものだ。特定のこれ、といった資料を求める場合はそれなりだが、気分転換や想像も出来ない出合いも含めて、素直に自分の興味の向くところへ移動して行く。所詮一度に出来ることは一つだけなので、切り替えの速さと細かさが楽しい。ぼくの感覚では、ゆっくりと見えるものこそハイスピードだ。細かく早く動いているように見えるものは単に冗漫であることが多い。じっと見つめているうちにも変化はあり、目を離していても同様。どちらが肌に合うかな。

PICTURE DIARY 1211MO2012


大阪の個展までちょうど1ヶ月。大阪から会場になるDMO ARTSの谷口氏が来る。作品やイベントの内容についての打ち合わせ。作品の多くは未完成なので谷口氏に見てもらえるものは少ない。来訪にあたっては申し訳なく思う。とは言え、谷口氏は洒落た大阪人で、関東風を知りながら関西の感覚で物事を考える。展覧の作品にも明確な考えとビジョンを持ち、忌憚なく伝えてくれるので気がおけない。なかなか諾と言えないこともあるが、面白く話を聞くことが出来るので、いつの間にか氏のペースになって、あれ、と思うが、元来態度が重たい感じではないので気が楽である。星のアトリエでは数日前から佐久間正英氏のソロコンサート、1001夜music for followersのための100セット限定のdog boxなるCDパッケージを手作業で製作しているところ。犬が大好きな佐久間さんの趣味を反映して楽しいものだ。ぼくらも日常の仕事の合間を融通して、休日を返上し製作にあたり、夕方にはあらかたの完成を見た。佐久間さんのファンの皆さんが手に取る姿を思うと嬉しくなる。佐久間さんファンがみんな犬好きだといいがなぁ。佐久間さんのグッズな訳だけど、先ずは佐久間さんへの贈り物だ。

CURONECOMIC 84

PICTURE DIARY 1111SU2012


日記を書くのは夜のことで、一日の最後の締めくくりに近い。今日一日何があったか、誰に会って、どんな話をして、どんな仕事をして、何を食べ、何を飲んだか、何を見たか、何に気が付いたか、香りや空気、風、一日全体の印象と、考えたこと、考えるべきこと、忘れるべきことは思い出さずに良いとして、何をしていたのか思い出せないような日もあるが、もちろん決して何もしていない訳はなく、だからこそ大切な一日であり、忙しいからと言って、その日が特別な日であると言えないのと同じように。ただ、今日のように夕方から雨の予報が東京地方に出ていて、少し早めだったかも知れないが、夕方近くから雨になり、夜の今時もしとしとと降る雨音に耳を傾けていると、コース料理の一番最後に出されるデザートがその食事の全てを印象付けるかのように、今日の一日がどんな日だったのか、雨音が語っているように聞こえる。

PICTURE DIARY 1011SA2012


一昨日だったか書店で長い白髪を束ねた初老の男の素敵な写真を見て、ああ、自分の髪も大分長くのびた、この男のようにのびるままに髪を放っておくのも良いかも知れないと思い、その日は、しばらくの間はそうしようと決めた。今日になってそれは自分らしくはないと思い直し、PIPPALAの内田氏に電話をすると、ちょうど今日、ひとつ空きが出たとの答え。良い時間だったので、それではとヘアカットに行った。前回はちょっとイレギュラーな注文をして長めに整えてもらったので、今回はいつものミックスタイルにしてもらう。サロンに入って来たぼくを見て、内田氏は少しギョッとした様子で、あんまり放りっぱなしにしたようなヘアスタイルはミックさんらしくないと、やんわりと忠告をしてくれる。ぼくのように決まったヘアスタイルを持つのは理想であって、皆なかなかそれが見付からないものだから色々なスタイルを試すものだなどと言って上手におだてるものだから、そうかなと、気分を良くする。内田氏のところへ来て世間話をしながら髪を整えてもらうのは本当に楽しみ。ラジオからテイラー・スウィフトが流れて来るので、ぼくはテイラー・スウィフトやアヴリル・ラヴィーンも好きで、彼女たちの曲を車の中で結構な音量で聴くよ、と言うと、とても驚きながら喜んでくれる。ミックさんのイメージからすると、有り得ない感じなのでそう言う話をもっとした方が良いし楽しいとすすめられた。ついでに言えばブリトニー・スピアーズやマイリー・サイラスも聴いた。アメリカンなドライブミュージック。レコーディングの音の良さ素晴らしさにも引き込まれる。YMOのH氏も車の中で聴くと言ってました、と内田氏。鏡の中のぼくは、いつもの見馴れたぼくになって行く。やっぱりこのスタイルですね、と内田氏が肩越しに。

PICTURE DIARY 0911FR2012


以前から思うことだけれど、やはり洋のチョコレートと和の餡は非常に似た存在と言うか、同じようなものに思えてならない。カカオの種子を煎って砕きペースト状に練り上げたものに砂糖や香料等を加えて作るチョコレート。茹でた小豆などの豆類に砂糖を混ぜて、さらに煮て練った餡。日本国内にはこの10年間程の間に国内外のメーカーやメゾンを含めて随分とたくさんのチョコレート屋さんが開店した。日本のショコラティエが海外のコンテストで優秀な成績を修めることも多い。餡の専門店が出来ないだろうかと考える。羊羮や金鍔は勿論、つぶし餡やこし餡、粒餡等、材料も小豆、白小豆、隠元、鶉豆、鶯豆等、あらゆる餡を集めた餡の専門店があれば良いのに。ショコラショーも良いけれど、汁粉なども大歓迎なのだがなあ。と重ねて思う。

PICTURE DIARY 0811TH2012


渋谷シネマライズで「DIANA VREELAND」の試写を観る。1940年代から1980年代に至る50年間余に渡り、ファッションの世界に君臨した伝説のファッショニスタのドキュメントムービー。「ハーパース・バザー」誌のカリスマエディターとしてキャリアをスタートしたダイアナは、25年間における在職中に大活躍し、J.F.ケネディ夫人ジャクリーヌのファッションアドバイザーをするなど、その明るく大胆な信念に裏付けされた個性を発揮して、ライバル誌「ヴォーグ」の編集長に抜擢される。オードリー・ヘップバーン主演の映画、「ファニー・フェイス」の雑誌編集長はダイアナがモデルである。1963年60歳から「ヴォーグ」誌を解雇される1971年68歳まで同誌を、さらにファッション界を牽引しファッションにストーリーを持たせた企画や、無名のツィギーに代表されるモデルやアヴェドンなど、多くの才能あるモデルや写真家を見出だし起用し引き立て、成功させた。1972年68歳でメトロポリタン美術館の衣装研究所顧問となり、まだ現役で活躍中の「イヴ・サンローラン」展を開催し、単なるメゾンの宣伝ではないかと物議を醸し出すなど、今ではポピュラーになった展覧会の元となる数々の革新的なファッションに関する展覧会でファッションは芸術であることを世界に認めさせた。女性が働くということは勿論のこと、ファッション・エディターの社会的な地位の向上はダイアナによって示された。若いダイアナがココ・シャネルと知り合って、シャネルの服を着て踊っているところをハーパース・バザーの編集長に見出だされたことを思うと、シャネルもまた女性の社会進出と言う意味でも革新的な役割を果たした女性であっただけに、無言の導きがダイアナをよりポピュラーな後継に位置付けたのかも知れない。ファッションは確かに流れ行くもので、ダイアナの過ごした時代辿るとファッションを中心にした社会の動向には文字通り敏感に反応をして誌面に、あるいは展覧に反映し、表現として生かした。人々の眼に触れ、見えるように具体的かつファンタジックなイメージを投げ掛ける直感的な仕事は群を抜いている。小さなとき、若いときから意識的、そして自然に磨き上げられたセンスは、結婚を機に更に輝き、ダイアナの自由は高く深くなった。多くの知己を得て、セレブりティたちとの機知に富んだ仕事を介し、いくつもの映画のモデルにもなった女性。シネマライズが久々に買い付けた映画だけのことはある。監督したリサ・インモルディーノ・ヴリーランドは、ダイアナの孫と結婚してヴリーランド家の一員となった女性だが、タイトルとして掲げた言葉は「DIANA VREELAND:THE EYE HAS TO TRAVEL」まさに、そんな女性だ。