PICTURE DIARY 0605SU2012


東京国立近代美術館JACKSON POLLOCKの最終日に滑り込み。禅坊主の修行のようだ。それはある見方をするとまるで書、筆を画布に触れる事無く描くとは。アメリカ人らしくスナップを利かせて絵具を蒔く。露地にに水を打つにも似て、ただし無心になろうとするばかりに考えないように素早く。若い時からアルコールに依存し、苦しめられた。30年代のアルコールは質が良く無かったのだろうか。など考える。アクションペインティングにおいて、ある境地に達したかと思えるが、晩年になって具像的なモチーフが顔を出す。POLLOCKは描かずにはいられなかった何かがあったのだろう。無心になって絵具を画布に蒔き、偶然に浮かび上がるかもしれない天からの霊的な像を求めたかも知れない。古代人のように。そのことを知っていたのだと思われる。絵具を蒔くのは楽しかったのだと思う、最初のうちは。次のステップを求めた。当然だろう、修行の途中だと思えば。アクションペインティングの時代に、それ以外の修作もあっただろうと思う。アクションの傍らで製作した何らかの作品。それはどんな物だったのだろう。床に敷いた画布の外の、床に飛び散った絵の具、それが大きな意味を持つように。筆を画布に触れる事無く抽象から具像を描き出そうとしたアイロニカルな禅坊主。POLLOCK。展示品の最後にあった錨が面白かった。

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