PICTURE DIARY 2704SA2013
表現者。EXPRESSIONIST。絵を描くが、それはぼくの絵を見たいと思う人がいて、さらにぼくがぼくの絵を見たいと思う人を見たい、あるいは、知りたいと思う気持ちが、絵を描くという理由のひとつになっている。絵の中に何を見たいと思うのか、あるいは見たのか、ということも知りたいことのうちのひとつである。絵の中に、見て感じて欲しいと思うことを表すが、それが必ずしも言葉の表現に置き換えられることではないということもある。隠されていたり、理解に至る複雑な手順や難解な解釈は、時として余計だと感じる。さらに、何も表さないような具象的な絵を描くことは出来ないかなど考える。すでに考えている時点でその絵の成立の困難を表している。空気や水が体に必要で、体に自然に素直に入り吸収されるように、表現したものもそのように染み込んで行きたい。空気や水のように必要不可欠と言う訳ではないが。絵には哀楽や美醜などからの解脱があるのみだ。色々なものを削ぎ落として小さくなって行くような成長と平安、自己の中に何を見たいのか、何を見せたいと思うのか、望むものが有ろうが無かろうが、無意識のうちに見付け出して、常に今、目の前にあるもの。ぼくとぼくの絵を見る人にとって常に等身大のもの。よく言われるように、人は見たいものしか見ないし、見ようとはしない。見えないものを見えるように、それが見たいものだと気が付くように。表現とはとりとめもない。