PICTURE DIARY 2606MO2023
籠りきりで仕事。身体固まる。
籠りきりで仕事。身体固まる。
昔馴染みは姿かたちは変われども昔馴染み。思い出の小箱に納められ、開けば重ねた年月を微笑みに変える。
太宰治の”津軽”。素晴らしいエッセイ。
庭に群生するどくだみを摘んで茶を作るのが目下の目標のひとつ。
男には独特の決め事が多い。ロッカーの番号は絶対○番とか。近道でもないのに通りたい道筋とか。時々自分が可笑しいと思う。
夏至。その日のコンディションによって仕事の運びを調整する。季節の変り目は気候も不安定なので、一定のコンディションを維持するのは難しい。仕事は生き物だ。
幼時、急に白米を食べなくなり、親を心配させた。同じ米で出来たものということで、煎餅を渡され、しゃぶる。両親はホッとして、しばらく煎餅食が続いたようだ。以来、毎日食べる訳ではないが、煎餅を絶やすことは無い。
水戸へ行く。生まれて17歳まで暮らした街。だが、この街について知らないことは多い。時を経て、新しい関わりと、水戸に産まれ育った理由が見える。今までもこれからも大切な場所。
草苅。雨の頃は成長著しい。今のうちに整え。枇杷を採る。今季最終。無疵のものは痩せていて、肥ったものは鳥につつかれている。鳥たちも熟すのを楽しみにしている。
あらためて、わたくしめはデジタルにございます、な感じは自分向きではない、と感じるこの頃。やはりアナログとデジタルの間が好きだ。
世の中は、理を知る者には優しいが、知らない者には氣難しい。昔から生きるのは簡単ではなく、難しいぞ、ということを伝えるのが教えの役割であったろうか。今となっては知識を積み重ねるよりも、ひとつひとつ剥がし去ることが面白い。
“ててて”商談会、青山スパイラル、日本の手仕事など紹介振興し始めて12年目だと言う。長年先駆的な取組を続けている主催者に敬意を表する。次のステップが見えて来た頃なのかと思う。
世の中も人も自分も、今が肝心、本当にこれからだと思うこの頃。
人が流れるように通る。子供の頃、生まれた街にあったデパート前のベンチに座り、人を眺めるのが好きだった。顔かたちや着ているものから、どんな人なのか想像し観察する。ときどき宇宙人を見た。
如何にも梅雨らしい空模様。土間のコンクリートが斑になり、湿氣の織り成す作風。
頭で理解しているだけで、実際が伴わない。何しろ実行する。
子供の頃、鉛筆をおぴんちと言った。鯉のぼりをコッポリーと言った。祖父はムとミが怪しく、鉄腕アトムをアトミと言ったし、ジャムをジャミと言った。可愛い。
興味あることのひとつに顔がある。人と言わず物と言わず、あらゆるものに顔がある。意外なものに顔を発見して驚いたり見とれたり、面白く楽しい喜びが生まれる。何かが顔に見え出すと顔以外には見えなくなる不思議。そんな厄介とも言える顔の写真集があったと思うが、無理もない。
男闘呼組いいな。
朝、鳥のさえずり、屋根を跳ね歩く音、遠くの犬、寝惚けた咆哮、露の光る草木、縁側で陽を浴する。
そう言えば、右手の人差し指と親指に一つずつ、二個の血豆が出来た。夢中で力仕事をした結果、何かで挟んだような記憶はあるが、いつの間にか。子供の時以来ではないか。とにかく近頃血豆など見たことはない。そんなことがちょっと嬉しい自分がいる。
作品の保管倉庫を創庫と表すことにする。確かに、場合により作品創庫内で作品製作することもある。
キラキラとした太陽の照らし出す風景が眩しい。印象派の作品のようになる。湿り氣を帯びたこの国の佇まいは、ラジオから聞こえる西洋の音楽も、心なしかくぐもり、奥まって響く。
美術学校の授業、学生たちの完成した課題の講評日。それぞれがそれぞれらしく出来た。好きなことを好きなように定めて生きる、自由な厳しさ。
木の葉で雨樋が詰まっている。大雨が降り氣付く。何かにつけて、流れ、水の流れは特に大切。
枇杷を採る。小さく甘く酸っぱい。完熟した途端、鳥たちがついばむ。その前におこぼれを。
0歳の頃、幼子は官能的な曲線を見た。手に触れ、口に入れたくなった。そして舐めた。セルロイドのアヒルのくちばしの流線型。それが始まり。
朝上天氣。午後、急遽宇都宮へ所用。ならばと土産に餃子。変哲無い店売りの野菜餃子。夕刻帰路、暗雲立ちこめ驟雨見舞う。餃子旨し。
驟雨、霧雨。湿氣のせいか怠い。氣候の変化に対応する身体。あるいは身体の変化が示す季節。身体は一足先に進んでいる。頭で氣付くのは遅い。
シャワーヘッドの取り替え。扉の蝶番の取り替え。木戸の留金の取り替え。柱時計の取り替え。
ホームセンターで買い物とリサーチ。行くとなかなか出られない迷宮。
大子町へ。町役場の方々の案内で袋田の滝など見る。大きな蜘蛛を見て怯えた小学校の遠足以来だ。記憶のまま圧巻。移住して店を開く若い人が増えているという。地元の木材を活かし、新しくなった町役場の建物も面白い。
池袋へ。以前はドラム専門の楽器店や、西武美術館などに行くことがあった。画家の故森田茂さんのアトリエがあり、訪ねたこともある。最近は遠退いていた、が久し振りに訪れると独特の空氣が流れている。氣だるく闊達な創造の痕跡。
進む人、後を濁すことのないように。
運転免許の更新。車の運転は、唯一と言っていい趣味なので、慎重に大切に。
毎年受け持つ美術学校の授業。学生たちの個性や傾向の違いと流行の捉え方、表現の変化がまちまちで面白く、楽しみだ。思うがままに、素直が一番だと天使が囁く。
展覧会千秋楽。素敵な方々来てくださる。今更ながらに成長を感じる。三歩進んで二歩退るような。
サボテンを外に出したら、通りがかりの子供が、あ!サボテンだ!と紅潮した顔で大声をあげる。自分には見慣れた存在だが、初めて見る者は驚く。サボテンまた背が伸びた。
代官山ヒルサイドテラスで結城紬、奥順の展示会。織地の設計と専用の方眼の緻密さに言葉を無くす。神宮前でF.O.R.とla fleurの展示会。服を全てターコイズグリーンの箱に入れ、展示方法のお定まりを軽妙に転換。弛みのない新しい創意の息吹に触れる。
口にした言葉を反芻してみると、説教臭くもあり、自戒的でもあり、吐く言葉にはことさら氣配りと配慮が必要だと、噛み砕き、呑み込み、喰い散らかす。
氣温が高い。真夏日の所もある。凡ては相対的な現象かと思う。同じ場所に、同時に2つの物質は存在しないように。浅はかな欲は禁物。
プロセスはいつも不完全で隙だらけなものだ。完成を想像し到達を目指す。プロセスのチャーミングや微笑みを喜びとし、楽しみとして。それこそが浮世。
空高く、遠見がきく景色。それだけで生き方が変わる。
虚数=i。美の本質。