PICTURE DIARY 1804SU2021
色見本帳に、「日本の伝統色」、「フランスの伝統色」、「中国の伝統色」などがあり、それぞれの色に短い解説も付く。色の美しさもあり眺めているだけで楽しい。「日本の形」、「フランスの形」のように「形」のシリーズもあれば面白い。帽子や乗物など各国の古典的、伝統的で現代にも通じる共通の項目を設け、プロダクツを対比すると、国々固有の文化の流れや個性が際立つ。
色見本帳に、「日本の伝統色」、「フランスの伝統色」、「中国の伝統色」などがあり、それぞれの色に短い解説も付く。色の美しさもあり眺めているだけで楽しい。「日本の形」、「フランスの形」のように「形」のシリーズもあれば面白い。帽子や乗物など各国の古典的、伝統的で現代にも通じる共通の項目を設け、プロダクツを対比すると、国々固有の文化の流れや個性が際立つ。
宵から夜になり本降りの雨。雨はいつでも恵み。大地を潤し、植物や動物を渇きから救い、川となり流れる。雨が激しければ氾濫し流す。全ては海が受け入れ浄める。自然の仕組みが狂うとしたら、大概は人間の都合が引き起こしている。人々は都市という幻の中で葛藤し、何も感じない振りをしても、雨は頬を濡らすように降り始めている。
一雨ごとに色を増す緑。黄緑から明るく深い緑へ。絵筆をとり、写生して見事な彩りの変化を留めようとするよりも、移り行く季節への心持ち、心象を素直に表したい。人それぞれに上手下手があるものだから。
説明不要のセンス。説明や解説をするのは無理。説明しないセンス。
自分たちの場は自分たちで作る。作品として、生活としての場。
早起きしたら、一日眠い。不安定な天氣のせいもあるか。長い間放って置いた作業にやっと着手。整理整頓は続く。
「永遠の少年とロック」。ファッションテーマのひとつでもある。ファッショナブルかアーティスティックなことか、「少年とロック」は19の時から内在するテーマ。あのころの所在無さと闇雲、反抗心のままに今がある。
運命を築き、拓いて行くたゆまぬ力。
再放送や聴き逃し配信は有難いことだ。本放送に集中して聴くことが少なくはなるのかな。何度でもとなると聴く態勢と密度は薄くなる。どちらにしても一回だけ聴き、聴こえて来たことが自分に必要なことだと思う。希に放送の全体が愛しく必要だと感じることがある。物事は何につけ、何時でも出来るから良いということはない。最善の間合いを選ぶのだが、相応しくないとわかれば、失礼や残念であるにしても、止める勇気を持つ。全体を愛しく感じた時にこそ集中して身も心も解放する。
アスリートの食と成果について、専門的な研究がなされ始めてそれほど月日を経てはいない。何を飲食し競技に適す身体を作り整えるかの大切。翻ってアーティストたちの、飲食の嗜好と作品の性質に関係が無いはずはない。調べると面白いだろう。アーティストに限らず、自分をより良く変えたいと考えるのなら、先ず食生活からだと思う。人は飲食する物で出来ている。
花祭。夕方雷雨。洋紙を求めに画材店へ。西ノ内和紙もそろそろ補充したいところ。モチーフは勿論だが、画材との出会いや相性の善し悪しは大きい。品位が備わり、相応しく感じられるものを選ぶ。
パッケージデザインの校正。昨年初夏からの仕事が、諸事情もあり長引いて校了間近。根氣よく続けて来た甲斐があるというものだ。市場での行く末を楽しみにしながら。
春が足早に走り去る。何をそんなに急ぐのだろう。夏が来て、秋が来て、冬が来る。季節の尻尾を噛んで輪になり、ぐるぐると溶け合って、童話のようにバターになりパンケーキを焼くことになる。季節も先手必勝ということなのか。勝つとか負けるとか、一体何に?いつもイメージは愚かしい程に他愛ない。それでも美しく勝負無しとなりますように。
○○をW.で調べてみたら載ってない。大したことないんだな。と誰かが言うのを聞いた。W.に載るのを目標のひとつにして頑張る人もいる。多くの人は、人の評価や評判を氣にして生きている。生きることとは、人の評価や評判ではない。
ゆっくりとブランチ。暖かくなり、今氣に入りのサラダ。レタス、生玉葱のスライス、人参、りんご、枇杷、柑橘、煮干、焼いた椎茸、ヨーグルト、豆腐、きな粉、小麦と豆類のオーガニックグラノーラ。醤油と蜂蜜、胡麻油のドレッシングをかけ、思い切りナイフで刻み、ほどほどにかき混ぜて。煮干がポイント。
白い蝶が飛んで来る。この春、庭で初めて見る。移り行く季節のなかに変わらぬ営みがあり、何処で生まれ、何処へ行くのか。追いかけることも、ついて行くことも出来ない彩りの杜へ。
星のアトリエの小路には、風が吹くと、季節ごとに花びらや枯葉、紙屑などが吹き溜る。紙屑は風情があるとは言い難いが、風が掃除をするかのように集めてくれる。巧く設計すれば、ビルの間に吹く風を調節して、塵を集める仕組みが作れるかも知れない。
乾布摩擦を始める。必要と氣付いて、面白そうだと思うことはしてみる。
硬直して頑固すぎるのは考えものだが、ふわふわとゆるゆるの氾濫には馴染めない。しかし、ほんわりした空氣がありがたい世の中。深い意志を持つ。
足の早い春がやって来て、皆を追い越し、あっという間に走り去る。
全ては小さな粒で出来ている。世の中に線は存在しないが、人は線を引き、線を表現し、線を受け入れる。
いつもの日曜日でも日曜日らしくない日曜日があるものだ。
天氣も好いし、明日の午後からは雨の予報が出ているので、花見の人出も多くなるだろう。星のアトリエでは必要最低限の仕事と外出。誰も招かず外に出ず。
少しずつ歩む。常に想いを携えていれば、必ずつながりが生まれ、発展する。思わぬかたちで。
雨の木曜日。高校野球の実況を聞きながら、ムーサ、9人の女神について思いを巡らす。野球は守備と攻撃。人間の性質や能力を球技で昇華しようとする競技のひとつ。9人の女神と9人の選手。それぞれが担う得意な役割を最大限に活かすには、指導者とチームワークが大切。放っておいて上手くいくことは少ないが、放っておかれて上手くいきたい。勝ち負けのないゲームを考える。
ハービー・山口氏に会う。一体何年振りだろうか。先頃出版した写真集”The Britz Kids”の撮影にまつわるエピソードなど、まるで昨日の出来事のように生き生きと。時間を忘れたい。
代々木公園で仕事のミーティング。男四人、草上のブルーシートに座り、思い思いの飲み物に、差し入れのシュークリームを食べながら。誕生祝いにと赤い薔薇の花束をいただき、男四人のシチュエーションで薔薇の花束ね、と笑い合いながら太陽を浴びる。後で公園内ブルーシート禁止と知る。
誕生日。先祖と両親に感謝する。彼岸の頃を選び、産まれたのだな、と沁々想う。
雨中、彼岸の墓参りに。誰も居ない墓地に花々が濡れ、墓石の間に間に鮮やかに映る。
春分は宇宙の元旦だという。何事にも起点はある。人類の遺伝子や魂に組み込まれ刻まれて内在する、遠い記憶の果てにある始まりは、何かの終わりとしてあったのだろうか。ダーウィンの発表した進化論が、当時の世界をセンセーショナルな渦に巻き込んだように、当世あまりにも突飛な感覚が世の中にぐるぐる広がる。得体の知れない何かが人類とこの惑星の幸福や平和を妨げている。何のために?
夜、寝しなのうつつから夢の世界の入口へと、扉も何の標もない安寧に漂うひと時、説明であるようなないような氣ままな絵を添えた、この絵日記は日々雑感、備忘録という趣で記している。その日その時、素直に記憶の淵や心の奥底から意識の水面に浮かび上がる言の葉を、縁日の金魚すくいのように捕らえようとして。
心配性は”心配症”という病気だという。何にせよ病気ということなら、治療法や治療薬があるのだろうが、貧乏性も”貧乏症”という病気なら、治療法と治療薬を知りたいし欲しいものだ。
昭和20年の今日、伯父が硫黄島で戦死した。無事復員すれば、板谷材木店の三代目を継ぐ長男であった。板谷家には墓石の上から水を掛ける慣わしは無いが、伯父の弔いの時だけは「あつかっただろう」と語りかけながら、たっぷりの水を注ぐ父の姿を思い出す。素晴らしい人の早すぎる死を悼みながら。
昔から近い世界に棲み、氣付く機会も出会うことも無く。ここ数年、ふと出会い言葉を交わすようになり、共に仕事をしたり、コンサートに出掛けたりする仲間になった。一回り近い下の世代。美を分かち合う話の出来る友の存在は、心から嬉しい。
美しいや綺麗という言葉は軽くない、重くもない。天使や神の存在と同じで素直に直感的に感じる、浮遊感のある心の自由と豊かさから生まれる。口に出さなくても伝わるたをやかな言葉は好き。
朝早くから活動する。あれしてこれしてと日曜日らしくなく予定を並べるが、結局手紙一つに。書いた何通かの手紙は、メールとは異なる生き物のレトリック。頭で考えた言葉と、手の動きが示す文字の関係は、書き違えたり崩れたり、時にギクシャクとうねり当たり前に面白い。
ぼんやりと、風の匂いを嗅ぐ犬のように過ごす。春の訪れにも情緒無く、何とか趣を見付け出そうと、氣持ちは草土の上に腹這い昼寝する。
アストル・ピアソラ、1921年3月11日生まれ。先の震災から10年経った昨日、生誕100年を迎えた。クラシックギター奏者、鈴木大介さんがピアソラの曲”Milonga del Angel”をYoutubeにあげている。素晴らしい演奏。追悼の氣持ちを込めて昨日11日朝編曲し、アップロードしたという。美しい。
10年目の3月11日。地震の列島。同じことを繰り返さないための準備と行動。平和のために。
物事には順序があり、間違えないように氣を付ける。 氣が付いていて間違えるなら、狡猾か鈍感だろうか。
小学校五年生の時、父兄面談から帰宅した母は、担任の女教師から「お子さんはデザイナーになるとよい」と言われたと話した。それを聞いて「デザイナーは女のやる仕事だ」と言った。今なら大いに問題発言だが、デザイナーという仕事や具体性について、何一つ知りもせず口から出た言葉。後にその先生の言葉が進路を決定する決め手になるとも知らず。果たして、その時「ではデザイナーになる」と受け止めていたら、今の僕は無い。
適材適所。自然界の全てがそうであるように、人工的な環境に居るとは言え、人もまた自然界の一部なので、適材が適所に収まるのがよい。反り返った板や、寸法の合わない材料は、専門の大工や職人が工夫してくれるかも知れないが、先ず自分で感じ、氣付き、考えてやってみると新しい道になる。
文句を言ったり、嘆いたり、怒ったりしなければ平和。語り合ったり、歌ったり、笑ったりしていれば平和。簡単なことなのだが。
ソファーのスポンジを剥がす。接着してあり、きれいには取れない。現れた躯体は、安普請の古家の風。ソファー内部の底に落ちていたもの、10円玉1個、5円玉1個、外国のコイン1個、刺抜き1つ、ヘアピン3本、使いかけのガンタッカーの針。いかにも落ちていそうな物ばかり。