
国際文化会館のカフェで桜の花見と昼食。風にゆったりと花びらが舞い、庭園散歩の人々に等しく降る。入学式を終えたばかりの家族。池の端に立ち鯉を眺めるステンカラーコートの年若い異国人男性。若いカップル。クラス会と思えるご婦人方。夕方には昨日良い苺を手に入れたので、黒砂糖のホイップクリームを用意し星のアトリエで苺のお茶会を開く。紅茶はアーマドッティ。思いの外、苺に合う。苺は僕も好物だし、大好きな人は多いと思うけれど、食べ放題と言われても、そんなにたくさん食べれるわけでも無いなどと話す。数えたら7つが皆の平均。それぞれの苺ミルクの体験を尋ねてみると、子供の頃に友達の家に遊びに行ったら出てきて衝撃的だったと助手Aは言う。ただし、何も付けない方が美味しくありませんか、とも。デザイナーのY君は、やはり友達の家で初めて出され、こんな美味い食べ方があるのか、と感動したらしいが、それ以上に出してくれた友達のお姉さんが美人だったので、または美味しさのあまり美人に見えたのか、お姉さんを好きになってしまった、と冗談まじりに言う。苺ミルクはシャレているねと意見は一致したけど、苺に牛乳と砂糖を入れてつぶす食べ方と、コンデンスミルクをかけて食べる方法、どちらが好きかで分かれる。

何も思い付かない。のではなくて、思い付きはあるのだが、ぐるぐると回転し定まる所がない。とりとめも無く、何らまとまる様子が無い。まとめようとする意志が働かない。こうやって書いて行こうとすると、文字や文章となり現れて来るが、意味を、特別な意味を持たせようと思わないでいる。自動筆記のように自動的に書く事は出来るか出来ないかわからないが、とにかく書いている。文字は紙に書く。誤字だらけで、急いで書く文字の崩れた連なりがくねくねと現れる。意味って何だ。考えるけれど、頭の中で何かがまとまる事は無い今夜。無理に文字として残すのはやめにしようと思いながら。だけど書いてみる。これを読んでも意味が無いかも知れない。無いと思うだけで、書けば意味の無いと言う事を示すという意味が生まれる。そうして、何かに充たされた分だけ空っぽになって行く。走ればガソリンが消費されるような、蓄えたエネルギーが無くなる。空っぽになった分だけ何かに充たされて。得るのか失うのか、何かの目的があって走る。意味の無い目的、という目的を持つ事こそ意味のある事。からっぽの意味。意味が有りそうで無いと言う意味。意味が無さそうで有るという意味。

忌野清志郎追悼展
皆さんこんにちは。
桜の季節も過ぎてもあっという間に風薫る五月になりました。
やっぱりあったかいのはいいですね。
今年も恒例になった忌野清志郎追悼展「愛し合ってるか〜い?」に参加しています。
期間:4/30月曜日-6/30土曜日
会場:Coolie’s Creek
パーティーは6/9土曜日です。
大震災から1年あまり経ちました。
多くの日本人が、清志郎のメッセージを心に刻む日々を過ごしています。
今年もまた、たくさんの清志郎ファンのアーティストが参加しています。
ミック*

THE RUDE BAND OF THE SPHERES
ACRYLIC ON CANVAS
500×1000mm
23042012
MIC*ITAYA

目黒川、新宿御苑辺り花見の人で大賑わい。日和は良く穏やか。B GALLERYへ。昨年4月7日に個展「THE STARS ATELIER」の初日を迎えたので丁度一年振りだ。一年前、僕の個展の前に予定されていた大成哲氏のガラス作品展は、製作拠点のチェコから横浜まで作品が到着してはいたが、東日本大震災のために荷を受け取ることが出来ず中止となった。一年後開催となり、今日見に来ている。大成氏のガラス作品は、力強くデリケートで、ガラスに入るひびを自在に操り表現する。一対で対照的に表す作品が多く、例えば一つはガラス中央の一点から全面に細かいひびが走る。それと対をなす作品は、そのひびをルーターで削り出し、ひびと同様のパターンを人為的に作り出している。ガラスに入ったひびで表された世界地図も興味深い作品だ。この世界の脆さ危うさ。ISETAN MEN’S館へ秋濱克大氏の彫金作品を見に行く。チタンの羽根シリーズのペンダントヘッドやブレスレットが展示され販売されている。秋濱氏も来場して小さなチタンの羽根を作っている。チタンの羽根は軽やかな色彩が蒸着されて軽妙だ。チタンの天使がいる。

前衛の華道家、中川幸夫氏逝去の報。悼む。中川氏について多くを知る訳ではないが、華道家としての、あるいは芸術家としての表現には、単なる美に留まらない大きく深淵な感銘と尊敬を感じていた。世界にとって宝のような存在であっただけに、96歳というご高齢で、天寿を全うしたということではあるかも知れないが、惜しい。表現する者にとってみればここまで、ということは無いのだから。ただ、今となってはご冥福をお祈り申し上げるのみだ。最晩年の作品はどのようなものであったのか。作品集や先年のVACANTにおける作品写真展などで知る限り、その気力、活力は制限されたものであるにせよ持続したであろうと思うが、親交のあったsageさんに機会があれば尋ねてみたい。花なるものを根本から解釈し直して、深く軽妙に、力強く優しく、さらに愛情を持ち厳しく、無慈悲に、なおも底知れぬ愛とユーモアを持ち稀有の領域に旅した。美の世界の可能性を押し広げてくださった。本当にありがとうございます。

午前10時10分、ピナバウシュの名作「コンタクトホーフ」を踊る、あるいは表現しようとする少年少女を記録したドキュメンタリー映画「夢の学校」を観る。涙が自然に流れる。一度も踊ったことは無く、ピナバウシュも知らない少年少女40人の踊ることを通じた成長の過程が描かれる。喜びを表現する笑いとは。悲しみを表現する涙とは。ピナの振り付け、表現に理解を深めて行く少年少女の変化が伝わり素晴らしい。ピナの魂、心、精神が彼らを通じて未来へ届いて行くと確信を得る。飾らない生き方。「DOVER STREET MARKET GINZA」へ。下から上へ、上から下へと見て歩く。ハエやバラの大きなオブジェ、白塗りの店内は確実な意志を持つ。ナイストライ。FPM田中知之氏のブランド「LIST」のコレクション展示会を訪ねる。田中氏の微に入り細に入りのディティールフェティッシュ満載のウェアが並び、田中氏自らの解説に深く納得。夜、dip in the poolのコンサート。「サラバ東京」へ。昨年発表した14年振りのアルバムは言うまでもなく美しい。仙台、京都と続いたファイナル。仙台出身のdip木村氏が計画した震災復興のチャリティーコンサート。素晴らしいステージだった。ありがとう!旧知の友人にも多く会うことが出来て楽しい時間でもあった。ヘアメイクアップアーティストの渡辺サブロウ氏とは本当に久し振りだったけれど、連絡先を尋ねても「おしえない」と言って教えて下さらなかった。ボランティア以外の仕事はしないとおっしゃる。以前アトリエで一緒に仕事をしたグラフィックマニピュレーター竹本氏は今夜、カメラマンとして、エドツワキ氏とは皆でD遊園地へ行って一人迷子になった携帯電話普及以前の悲しいエピソードなど思い出して皆で笑った。ごめんね。星のアトリエ歴代のマネージャーが4人ベンチに並んで座っているのを見た。初代の律子姉さんが居たら完璧な惑星直列だったね。遅くまで遊んだ夜。

LAD MUSICIANの12-13AW COLLECTION。代々木第二体育館の館内とBAND、NOVEMBERSのライブ音響。メンバーの動き、パフォーマンスとプレスリーをテーマにしたモデル達のリーゼントの髪とコスチューム。ぐるりとサーカス小屋のように円形に取り囲んだ客とステージ中央のライトタワー。会場までの石畳のアプローチと20時30分のひとけの無さ。開演を待つ間の客達の噂話。身体の細いモデル達の着る細いパンツとたっぷりとしたパンツのコントラスト。ポーズ。歩き。ポーズ。時々焚かれるスモーク。爆発するギターとディレイ。招待されたファンの女の子達。モデルに向けられたカメラ、カメラ、カメラ。一人はぐれたモデル。ヨーロッパの田舎、アメリカの田舎、プエルトリコの田舎町から。じっと正面を向いてパイプ椅子に座っている助手。眼を動かさず全体を見る。足先でリズムを取りながら撮影するフォトグラファー。フィナーレでポーズするモデル達。挨拶に出るデザイナーの立ち位置と素敵なお辞儀。続く演奏。踊るモデル達。一人はぐれたモデル。ステージに走るファンの女の子達。踊るモデル達。ステージから距離を取りながら音楽を楽しむデザイナー。一人はぐれたモデル。

鎌倉へ。KICKAPOOの30周年DMのミーティング。喜内さんと矢澤さんの知る人ぞ知るブランド。美大時代からの友人。自分たちが信じたものだけを作り続けて来た。卸はしないので、鎌倉のお店へ買いに行く。矢澤さんは気骨のある人物で、僕は尊敬を込めて、酋長と呼ぶ。喜内さんは美大時代から敬愛を込めてKINCOと皆が呼ぶ。二人はPARIS,BALI,SANTAFEの三ヶ所を中心に旅を続けている。その旅の途中で出会う人々の作り出す物と、時間と気持ちを込めて付き合い、人と人との関係を大切にして、服やアクセサリーなどを生み出し育むように作り続けている。それらの全てには出会いと友情の、愛に溢れた物語が刻まれている。僕らは、KICKAPOOの鎌倉扇ヶ谷のアトリエを訪れて、酋長から物語を聞かせもらうのが楽しみだ。喜怒哀楽に富んだ物語は驚きや空想を編み込んだ上等なラグのように優しく馴染む。KICKAPOOの服は二人の旅から生まれる日記のようだ。一日の終わりに一人静かに記す日記のように、嘘や偽りのない出来事と印象が綴られる。

人間は自分を大きく見せたい。見たことの無いもの聞いたことの無いものを作りたいと考える。けれども人は見たことも感じたことの無いものを作ることは出来ないと言う。この世界に存在するものをお手本にして新しいものを作り続けて来た。夢の中では見たことの無いと思う風景を見ることがある、と思える。思えると言うのは、見たことのある景色を忘れていたのかも知れないと思うからで、しかし、明らかに見覚えの無い風景がある。それらは巧妙に組み立てられた視覚的な記憶の断片をあつめたもので、目覚めている時には考えもつかないテクスチャーと構造構図を持っている。夢の中で自分は巨大な生物だ。あるいは、低い音波で高い壁を崩す巨大なペニスを持った柔らかなワニだ。そしてその柔らかで巨大なワニは、大きな豊かな田園と丘からなる女体の小川を泳ぎ、美しい小さな泉で遊びに更ける。見たことのあるような無いようなものどもの集まる市場。それらは全て誰かが見たものなのだ。王様は見たことの無いものを探し出して、目の前に持って来るようにと命ずる。頭はライオンで長いキリンの首を持ち、サイの胴体に蜘蛛の足、ウサギの尾を風船のように膨らませて空中を揺らめく生き物。そんな生き物は見たことは無いけれど、部分部分は既知の生き物なのだ。宇宙の果てのどこかの星の上に、見たことも聞いたことも人間の五感にも六感にも感じられたことのないものがある。物質化した心。とろけた魂。

旅とは冒険だ。まだ見ぬ自分と出会うこと。向かい合うこと。日常の軌道を切り換え分岐する。昔、旅に出ることは二度と帰れない、帰らないかも知れない別れだった。太古の人々が食料や獲物を求めて移動する。南へ。雪の山脈を越えて氷河を渡り川を横切り、安住の地を求めて歩く。安住の地へ。

エイプリルフール。ちょっとした悪戯をしてもよい日。だけど、この日に子供の時以来悪戯をしたことが無いな。何となく気付くともう夜だったりして。悪戯出来なくて残念だといつも思う。それにしても、悪戯を仕掛けられたことも無い。バレンタインデーやホワイトデーのように、物質的なやり取りがもしもエイプリルフールにあったなら、可愛い悪戯が盛んになるのかも知れないね。悪戯することと同時に独特のお菓子をプレゼントするのはどうかな。かねがねチョコレートと餡は似ている物だと思うので、2月3月と洋菓子が続くしここはお菓子なら和菓子が良い。エイプリルフールに「絵に描いた餅」はいかが。「画餅」/「がべい」というが、四月の美しい餅、和菓子を考えてみよう。考えるだけで実現しないというのもまさにエイプリルフールの品。見た目に洋菓子を和菓子の材料で作るとか。またはその逆とか。そんなことからかな。

風と雨が強い。桜のつぼみは固そうだがもう一息だろう。星のアトリエの梅の花はほとんど散りかけている。手水の脇の水仙は昨年工事に入った際、踏まれ荒れ果ててもうだめになってしまったかと思っていたが、のびのびと咲いて眼を喜ばせ、香りをひそやかに漂わせている。梅の香から水仙へと。雨の夕方TOKITOの展示会へ。到着早早「ミックにはこれ」と言いながら明らか僕に似合うだろうと思われる、毛のフード付濃紺のウールカシミヤハーフコートを吉田十紀人氏みずから試着させてくれる。しばらくして田辺三千代さん現れる。いつも縁起の良いメールなど送ってくださって、元旦の富士の写真など拝まさせていただいている。変わらず美しく、何やら新しい仕事の相談でもあるらしく、ちょっと楽しみな感じ、吉田十紀人氏とも久し振りに何か一緒に出来ると嬉しい。夜になって以前に買い置いたリシャール・コラス氏の「旅人は死なない」を読み始めるが、その冒頭の短編を読み、近頃の出来事に連なる運命を感じる。北アメリカの先住民の話。ナバホ族アナサジ族の聖地についての、そして縁の話。今の僕には必然的な偶然の連鎖が続いている。そのこと事態が問いであり、同時に回答だ。

世界最古の洞窟壁画シュベールのドキュメンタリー映画を見る。3万2千年前に描かれたという壁画はフランスのロアール川沿いの洞窟で1994年に発見された。すごい筆力であることは画面を通してでも伝わる。実際に見れば圧倒されるだろう。何のために描いたのだろうか。ライオン、クマ、マンモス、シカなど、人は一人だけ描かれており、女性の下半身とバイソンが一体になったような構図で天井から下がる鍾乳石にぐるりと描かれている。古代人は洞窟の焚き火の炎を背にして壁面に映る自身の影を見ただろう。そして壁面に描かれた動物たちと猟の踊りを踊ったかも知れない。ある地域で現在も壁画を描く人々の話として「なぜ、絵を描くのか」という研究者の問いに、描く人は「私は絵を描いてない」と答えたと言う。なぜなら絵は精霊が描くのだと。シュベールの洞窟壁画には「動き」の要素、表現がなされている。足が八本描かれていたり、輪郭線が複数だったりと。そして小さな苗も見付かっている。想像すると洞窟の全体が劇場の様だ。壁から壁へと動物達が動きを持って連なっている。洞窟内を進むにつれて舞台の場面が変わるように。一体何頭描かれているのか、一番奥には30頭程のライオンの群れが描かれていると言う。ここでは、踊り、祈り、奏で、歌い、描く。それらが一体となって奉られたのではなかろうか。洞窟入口付近の赤い手形はその祭事とでもいう集まりの回数かとも思う。ひょっとしたら落款のような。古代人の力と力強い暮らし向き、現代からでは想像も出来ない、信じることもできないような自然と一体となったその力を、その脳が働きかけていたのではないか。今では霊能と言うような。一人一人の一年を3万2千人分集めてそのパラレルワールドを一本につなぐ。

BEAMS社のブランド、BEAMS LIGHTSの初めての旗艦店が2店舗オープンする。その2つの店のために壁画を描き上げる。2人の男女、幼馴染のそれぞれの旅と出会いを主題にした洋服が4月にデビューする。「旅 BとLの 永遠の少年少女よ 世界を旅しよう 世界と恋しよう 旅立に早すぎることはない 遅すぎることもない 好きなところへ行こう 道連れは 夢と希望の太陽天馬 愛と平和の伝書鳩 未来を見つけに出よう 永遠の少年少女よ」壁画のテーマを言葉にしてみた。BEAMS LIGHTSには、僕のテキスタイルデザインと絵を使った服やアクセサリーなども展開される。僕の参加は実績も無く小規模かも知れないが、大きな自由を得られるように、願わくは何よりも多くの素晴らしいお客様方に出逢い支持されるように、自然天然で仕事をしたいと思う。今、洋服に必要なのは実用本意の即物性ではなく、その分野には優れたメーカーやブランドが数多くある。僕からプレゼント出来るのは、夢やロマンチッックなストーリーと、技術や素材に裏打ちされたノーブルなエレガンス、ポップな佇まいで日常を緩やかなイメージとファンタジーの世界へ誘う、活き活きとした非日常的な匂いする旅行服。もはや世間の流行や季節には捕らわれない。世界のどこかは春で夏で秋で冬だから。残念なことに東京という都市にはとっくの昔に季節が無くなったように、今では旅する僕たちが季節と流行そのものなのだろうから。


BEAMS LIGHTS 渋谷ヒカリエ店が4月26日オープンします。本日の内覧会にも多くのお客様に来ていただき、スタッフも微笑みが絶えません。画像はミックのテキスタイル、ダブチェックのワンピースを着たBEAMS LIGHTSの看板娘、安達さんと。ぜひお立ち寄りください。
http://www.hikarie.jp/floormap/4F.html

朝から一生懸命絵を描いた。ある仕事のために50枚描いたけど時間が許せばもっと描きたい。面白くてたまらないんだ。絵を描いてデザインする。デザインに従って絵を描くのではないよ。横田チーフがデザインするけど楽しんだかな。絶妙な密度の作品になるので早く皆に見てもらいたいと思う。お披露目は4月の中旬過ぎに。お茶の時間に大阪のケーキ屋さんタルトメッセのマダムヨシエさんから母の日のためのバラのケーキ試作品が送られてきた。ピンクのバラはカシスとクランベリー。チョコレートのバラはいちじくとチェリーが入っている。どちらもしっとりとして好み。チョコレートのバラは風味に印象深い懐かしさがある。

予定が予定の通りには行かず、思ったことが思ったようにはならない日。それが今日。大きな問題ではないけれど、少しずつ食い違う。したいと思うときにしたいことが出来ない。時間が30分ずれたばかりに全てがずれる。あるいは無くなる。こんな日は意識して柔らかく過ごそうと思う。逆らうと良い結果にならないもの。同様に積極的にトライしても空回りすることになる。流れのままに、ずれればずれるだけ、消えてなくなったものは追いかけたい。新しいことには手を出さない。来るものは来る、去るものは去り、通り過ぎるものは通り過ぎる。腰を据えてゆっくりときちんと出来ることだけやる。思い付きや新しいアイデアは今日役立たない。こんがらがったり、迷惑なことが増えるだけのこと。だけど、こんな日に限って新しいアイディアや素直に良いと思える思い付きがやって来て試してみたくなるもの。やっぱりこんがらがってうんざりしてみる。それも僕。

博多から東京へ。「のぞみ」で5時間程。行きと帰りに車中で絵を一枚ずつ仕上げた。さすがに「のぞみ」は揺れが少ない。多少揺れても描けるもので、揺れを相殺する描き方を会得したもよう。移動時間の中で絵を描き、本を読み、食事をしてお茶を飲み、昼寝をして窓外の景色を眺め、メールやFBのチェックをし返信。することは沢山あるものだね。窓の外を飛ぶように流れて行く景色に見とれる。子供の頃から窓の外の景色を眺めるのは大好きだ。電線が波打つように動いて見えたり、鉄橋の鉄骨がシャッシャッシャッと風を切るような音をたてて過ぎる。音に合わせてその音の世界の中にに入り込んで行く。「のぞみ」は速すぎて情緒的な楽しみは少ない。しかし、ただぼんやりと窓の外の景色を見ていると、気付くことや発見することは沢山ある。見て得ること、感じて得ることを形にするのが仕事なので、いつも自然で力みの抜けた自分でいたい。

博多のキャナルシティで岡部八郎氏主催のイベントに参加。一昨年まで能古島で開催していた「ウクレレバイキング」が「キャナルハワイアンホリデー」と名を変えて新しいスタート。今までは毎年イベントのためにフラダンスやウクレレをモチーフにした絵を描き送るのみだったが、今年は初めて会場に足を運ぶことになった。岡部八郎氏とは旧知の間柄なのだが、申し訳ないことに、イベントをお手伝いするどころか宿の手配やら何から何まですっかりお世話になってしまった。親分肌と言うような激しいことではないけど、兄貴風?岡八といつも呼んで僕より年下なのでそれも当たらないのだが、とにかく僕とは真逆な性格で、いつの間にやら大きな空気の塊のようなさりげなくも人懐こい力でホンワリと組しかれているのだ。福岡では有名人でFMの朝番組のパーソナリティーやテレビ出演も多く、本業はコピーライターなのだが多趣味で、社交ダンスをやったり長唄を吟じたりしたかと思うと、ウクレレ教室を開いていたり一体何を目指して何処へ行くのかと思うが、岡八にとってはごくごく自然なことだ。今回はそんな岡八のイベントでフラダンスの優しく癒やされる動きや、ウクレレの和みの音楽の数々に新たな眼を開かせられた。昼過ぎから8時間。600人もの出演者が次から次へとステージへ上がる。イベントの企画、進行、司会、出演、そして出演者や物販の出店者、もちろんお客様方への気遣いと何しろ良く動く。岡八つぁんは皆に大事にされている。打ち上げの屋台でも、店で一眠りしたと思ったらウクレレを弾いたり、弾いてもらったり、本当に心の底から好きなことなのだなと、大変なこともあるだろうけどこのサービス精神は性分なのだなと、半ば呆れながら大笑い。畏れ多くも尊敬するようなしだい。

塙氏のアトリエにてSKYTREEの内輪の打ち上げ会。塙氏の東宝スタジオ壁面の「七人の侍」は、横尾忠則画伯をしてこの人に弟子入りをしたいと言わしめた程の筆力。今回はその筆力で僕の絵を再現してくれた。全く見事の一言に尽きる。塙氏はイタリアで何年かの修行をしたと聞く。イタリア時代の仲間内ではミケランジェロの再来と形容されていたそうだ。凄いね!SKYTREEの西街区、「そらまちたべてらす」と言ったかな、正式名称を知らないのだが、その西街区を彩るオブジェや壁画を製作した。テナントや人の居ない状態では見ているが、公共施設なのでスペースに人も流れてテナントも営業をしている環境で、オブジェや壁画が伝えることを伝えられているか確かめたいな。がらんとした、人の居ない状態と、人や商店の活力が生まれている状態とでは全然違うだろう。本当に楽しみだ。

雨が降り寒い。今年は桜の開花が遅い。この様子だと4月の初め頃になるのかな。人の感覚だと、少し暖かな日があって、少し寒い日があると大分寒く感じる。人の身体は毛皮のある動物と違って、冬の毛や夏の毛と言うようには分かりやすい変化をしないので気付かないけど、実は身体の内部や肌などは目には見えないような大変化をしているのに違いないと思う。人もまた動物たちの毛が生え代わるように変化するのだと思う。そのことは心や気持も同様に大きな影響を与え、体や体調の変化によって不安になったり喜びに充たされたりと、気分の振り幅は大きく早くなる。雨が降れば元来、動物は活発には動かないものだろう。人もまた然り。個人差はあるにしても、はしゃぐ気にはなりにくい。寒ければじっと石のように固まってまんじりともしない。食物や空調のお陰もあり、人と四季の関係は曖昧なものになった。地球の温暖化と言うのは、四季を無くした人々の代償になってしまうのだろうか。だとすれば、地球と人間本来の季節を愛する心を大切に思い、感じようとすることが温暖化をほんの少しでも解消する道に繋がるのかも知れないと思う。

誕生日というのはこの上もなく個人的な記念の日だが、この世界に生まれて来た日を年に一回祝うことは、正月を祝うこと以上に意味のあることだと思う。一体人は、人々はどこからこの世界に来るのだろうか。あの世からなのか。お彼岸の間に生まれたので、暫しそんなことを考えた。帰郷し、母にお礼と、今日の僕に連なる先祖の墓にお参りをし感謝を捧げた。星のアトリエに戻るのが大幅に遅れて皆には大変に申し訳なく、予定がありやむなく帰宅したスタッフもいて全員でというわけにはいかないが、誕生日の歌を歌いリクエストして探してもらった最上級のチーズケーキのキャンドルを吹き消し、バースデイプレートの乗ったピースをいただいて、これもまたスタッフ皆がそれぞれプレゼントにと用意の大好物、煎餅の各種に囲まれ、午前中に冷凍で届いた水戸の幼馴染み、隆太郎から誕生日をこれで祝えとのメッセージ付で大量に送られて来た餃子をしっかり食べて、人の気持ちが身に染みる一日になった。ありがとうございます。

ハービー山口さんの写真、LAICAのギャラリーに見に行く。12点あまりのプリントが壁に架かり小ぢんまりと佇まうが、内容は厳選されて、濃く深くそして軽やかな見応えの最高のものだ。写真として眼に写るものとその背景が言葉で綴られて、ハービーさんの被写体との関係性が、ハービーさん、被写体、プラスα、と言う三角構図なのが特徴的で大変面白いと思う。例えば、カメラを構えるハービーさんがいて、陰画紙に焼き付けられたのは公衆トイレで並んでオシッコをする表情豊かな幼稚園児たち。実は、ハービーさんの横に、トイレにご用のボーイ・ジョージ氏が立っていて、オシッコをする幼稚園児たちがカワイイ!と大喜びなのだ。振り返った幼稚園児たちはお化粧姿も艶やかな身長も高いボーイ・ジョージを見てビックリ驚きながらオシッコをしているのである。写真にはボーイ・ジョージは写っていない。ハービーさんの写真に添えられた文章でそれと知るのだ。雪化粧の駐車場と轍、そして一人の足跡の俯瞰。そこには、たった今ハービーさんのもとを去って行った恋人の不在がファインダーの外に暗示されて、やはりハービーさんの言葉で語られる。勿論、完成した写真の高い芸術性が全てを語っているわけだが、言葉によって全ての構図と視点の角度が再構築され、写真の意味がさらに強調される。強調がハービーさんの人柄を浮き彫りにして、とても愛しく感じられる。

ミック・イタヤがお手伝いさせていただいている、BEAMS LIGHTSのフラッグショップがお台場、DIVER CITYに4月19日グランドオープンいたします。ミック・イタヤがデザインするテキスタイルを使用したカットソーやワンピース、ストールなどメンズおよびレディースのウェアもデビューです。ぜひご覧ください。また、ショップのカウンター越しにはBEAMS LIGHTSのコンセプト「旅」をテーマに描き下ろしたミック・イタヤの絵が飾られています。そちらも楽しみにしてお立ち寄りください。
http://www.beams.co.jp/shop/east/odaiba/beams-lights-odaiba.html

春分の日。快晴。暑さ寒さも彼岸までと言うけれど、今日あたりを境にして暖かくなって行くのだろうな。星のアトリエの小さな庭の紅梅、白梅も陽を浴びてほのかな香りを漂わせている。朝、パンを買いに公園の方へ歩くが公園の中には入らない。きっとそこには春の訪れをおおらかに告げるサインがたくさん見つかるだろう。何をしていても時間は経つ。時間を忘れて没頭したり、早く時間が経たないかとそわそわしたり、時間は変幻自在な幻想だ。僕らはそれぞれ思いのままに時を重ねている。時間の経つのが早いと言う。それは早い流れの時間の中で生きているからかも知れない。奥深いところで早い時間の流れを欲しているのかとも思う。ゆったりとゆっくりと暮らそうとすればそう出来るだろう。僕らは相対的概念の世界に生きている。時間が早く経つと感じるのであれば、同様に時間の遅延を感じることも出来る。春が好きだ。冬の堅く閉ざされたような表情が徐々に和らいで微笑むような季節。だけど冬も大好きなのだ。寒い寒いと縮こまりながら、身の内の炎を守り育むように生きる準備と試練の季節。公園にはもう冬は無いだろう。名残はある。今日は見るのはよそう。冬から春へのページをめくる。

野宮真貴30周年記念ライブ。残念ながらお祝いに駆けつけることは出来なかった。野宮さんは大好きな歌い手だ。80年代から未来まで、僕らのクイーンは暖かくクールな歌声で、音楽とファッションのランナウェイをモデルのように歩く。とても素敵だ。野宮さんと一緒に出来ることがあるとすれば、と考える。僕に出来ることと言えば、ドラムを叩くこと。叩きはするが人に聴かせられるレベルのものではない。作曲には微かな可能性があるかも知れない。ほとんど恐ろしい妄想である。やはり妄想はポートレイトを描くとか何かしらのデザインをすると言う、現実的で得意なことに落ち着く。今頃会場はどうかな、7時のスタートなので「東京は夜の七時」が一曲目だろう。「マジックカーペットライド」は大好きな曲。アンコールかな。おめでとう!

涙が流れた。馬頭琴の話だ。モンゴルの羊飼いの少年が、ある日、親の居ない白い子馬と出会う。美しく力強い馬に成長し、競走に参加して勝者には王様の姫君との結婚と褒美が約束されていたが、王様は白い馬に乗って一番になった薄汚れた羊飼いの少年を見て、銀貨三枚をやるから美しい白い馬をよこせと言った。少年は馬の競走に来たので、馬を売りに来たのではないと言うが、王様の兵士たちに打ちのめされて白い馬を取り上げられてしまう。大きな宴を開いて美しい白い馬を自慢しようとした王様は、跳ね上がった白い馬に振り落とされて恥をかき、羊飼いの少年のもとへ走り去ろうとする白い馬を弓矢で射るように命じる。たくさんの矢で傷ついた白い馬は、少年のもとへ戻り息絶える。悲しみの少年は、幾晩も眠れない夜を過ごす。疲れ果ててやっと眠りについた少年の夢に白い馬が現れて、私の身体を使って楽器を作るように。そうすれば、いつもあなたの傍にいることが出来ます、と言い、作り方を教える。目覚めた少年は、無心に教えられた通りに楽器を作り、嬉しい時、悲しい時、楽器を奏でた。いつでも美しい白い馬と一緒。馬頭琴の話。

今日は一日雨。中学、高校時代に仲のよかった二人の友人の誕生日。何故か毎年思い出す。二人には今年の正月2日に、水戸の幼稚園からの友人、薗部のレストランで美大を目指していた頃以来の再会をした。少年の頃、同じ場所に生きながら、成長するにつれて進む世界、身をおこうとする世界が違うということに気付いた。友情に変わりはないのだが、目的に向かって夢中でもがいているうちに見覚えのある岸辺から遠く離れて行ってしまった。水戸で生まれ育ち、高校卒業と同時に列車で1時間程離れた父の故郷に家が越したために、たまに帰郷する場所が離れた町になって、17までの思い出と水戸の仲間や幼馴染みは、風景と共に心の奥底に封印してしまっていた。久し振りに会って変わったことは無かった。人は根本的には変わらないね。あっという間に少年の頃の友達同士に戻りながら話していると、経験して来たことや辿って来た道の印象はそれぞれに、生まれつきや個性をコーティングして、仕事の上での地位もあり少しは上品になっているかなと思ったが、しか
し、コーティングはすぐに剥落し、嬉しかった。大いに笑った。選んだ、または選ばれた仕事はそれぞれにそれぞれらしい。仕事は常に天職だと思う。人はどのような仕事に就こうとも、その他にどのような道も無い。必然の道。当日一緒に居た幼稚園からの仲間の一人、桜井が僕の展覧会の芳名帳にメッセージを残さなければ、この大切な仲間たちとも再び会うことは無かったかも知れない。隆太郎とのSUZUMO提灯も然り。生まれ故郷水戸との縁は続く。関と市村、誕生日おめでとう

T.E.カーハートの「パリ左岸のピアノ工房」を途中まで読んでいる。子供の頃からピアノが好きだった少年が大人になり、子育ても一段落して、仕事も自由な時間を選んで出来るようになったある日、パリの住居の近くにピアノ工房を見つけて、ピアノに再び出会い、ピアノの抗しがたい魅力を語り綴る。パリに住むアメリカ人の書く本は、文化や考え方がフランス人とは根本的に違っていて、アメリカ人のフランスへの、あるいは、ヨーロッパへの恋にも似た憧れのような気分が垣間見えて、面白く読み進んでいるところだ。まだ三分の一も読んでいないので、これから話はどうなるのかはわからないけれど、僕自身がだんだんとピアノの魅力に取り付かれ始めている。子供の頃、ピアノを習いには行っていたが、自らの意志で行くようになったわけではなく、両親が通うように段取りした。田舎の町の暮らしでピアノを習う男の子は少なく、その年の頃は野球に夢中になっていてそちらが楽しく、仲間と野球をして遊んだ後の埃だらけの手で、白い鍵盤を黒くする不躾な有り様で、ピアノの発表会が近付き、半ズボンのスーツを着て人前でピアノを演奏するなどは耐えられず、身震いがしてピアノ教室へ行かなくなった。女の先生は素敵な美人でとても優しく、教室へ行くとラーメンを作ってくれたようなことなどもたびたびあり、小学校4年生の僕にはピアノに馴染めず、面白さを見出だせずにいるのが申し訳なく、苦しかった。ピアノが好きだと言うのにも、人に演奏して聞かせることではなくて、ただピアノを弾くのが好き、またはピアノという楽器そのものが好きと、さまざまな好きがあるものなのだなと、本を読んで今更ながらに目を開かされている。星のアトリエにピアノがあれば、と思うこともあったので面白く読み進んでいるところだが、これからピアノを習おうか。自分だけの愉しみのために。

ベレロフォン、ギリシャ神話の英雄。ペガソスに乗り、冒険旅行に出る。リキュア王に命ぜられた無謀な冒険だが、キマイラを退治し、アマゾン族を征した。キマイラとはキメラのこと。一個体の内に遺伝子型の異なる組織が入り交じること。アマゾンとは弓を引きやすいように右の乳房を切り落としたことから、アマゾン=乳無し、と呼ばれる女戦士族。慢心して天に昇ろうとしたベレロフォンは、ペガソスの背から墜落する。ペガソスは天に昇り星座になった。キマイラは頭はライオン、尾は蛇で胴体は山羊、口から炎を吐き、小アジアのリキュアを荒らしていた、とギリシャ神話は伝える。キメラ商品と言う言葉があり、異なる種類の機能を持つラジカセとか、時計付き計算機のことを表したものだが、現在では携帯電話に代表される、多機能性を備えたものが当たり前になり、キメラ以上の怪物になっている。そうなると、一つで一つの機能と言うのが理想になる。または、キメラと言うよりも、愛すべき美しく控えめな佇まいのアマゾンかな。

僕は水戸で生まれ育ったので納豆が大好きなのは言うまでもない。子供のころは朝晩の食卓にたっぷりの葱を混ぜた納豆が必ずあった。今も一日一食は納豆を食べる。納豆売りはどの地方にもいたかどうかは知らないが、毎朝自転車に乗ってやってくる納豆売りのおじさんの「ナットー、ナット、ナットー」と言う売り声を懐かしく思い出す。歳を得るにつけてとろろ芋やオクラなどが好きになり、トロトロやネバネバのものを偏愛する傾向が著しい。呑み込むように食べる癖もあるので直さなければと思う。癖ともなるとなかなか頑ななもので、余程意識し注意を払わなければならない。玄米のご飯と納豆の組合せは、特に良く咬まなければと思う。玄米は消化するのに力が必要なので、よく咬まないで食べると眠くなってしまう。本日の昼食は豊前房へうどんを食べに出る。散歩にも丁度良い距離だ。頼むものは決まって梅ワカメにオボロを載せトロリとした組合せだ。眼と脳を酷使する仕事柄、おまけに動かすのはほとんど右手だけなので、血液のためにはトロリとしたものや、解毒のために梅干しは欠かせない。それに加えて大量のカルシウムが絶対に必要になる。質の良く無い油分と糖分は僕にはご法度だ。時々考えることだけど、職業による栄養学、または個人に合わせた食生活のフードスタイリスト、アドバイザーと言った分野、デザイナーやアーティストのための基本的な健康と栄養の講座は、美術大学や専門学校のカリキュラムにぜひ欲しい。

今日は朝方少し冷えた。暖かくなって少し寒い日があると、とても寒く感じる。根をつめた仕事に一段落を付けて外出。書店とCDショップへ。両方共に苦手な場所だ。本やCDを見る喜びよりも、店にある本やCDが身にまとった、こっちを見て、手にとって、開いて!聴いてみて!という存在を主張するノイズィーな強い力に圧倒される。美しく、可愛く、慎ましやかな佇まいに洗練があれば嬉しいのだが。気持ち良く、行き届いた書店やCDショップは本当に無きに等しい。なので長居は難しい。本は、僕の絵が一点掲載されているMagnitude 0、CDはシューベルトの歌曲集、野宮真貴さんの30周年記念のアルバムなどを入手。野宮さんのCDのライナーノートは、先頃逝去なされた川勝正幸氏の1600字。笑えた。川勝さんでなければ書けない角度。そんな独特な切り口で編集して欲しい、人のことやモチーフになる出来事、状況が山のように残されている。惜しい。書いて欲しい。誰が言葉で表し、記せるだろうか。思い出の中では、川勝さんはいつものニンマリした笑顔で生きているので、たまにはインスピレーションをくれるかな。川勝さんが選んだ本やCD、レコードアルバムの並んだ店があれば、きっと落ちついて長居を決め込んだだろうね。

全くの運動不足なので、せめて散歩に出る。近くの公園でベンチに座り、噴水を眺めながらぼんやりとする。噴水の吹き上がった水の頂点が一瞬無重力になり、その水の煌めきと言えば宝石のよう。太陽に暖められた木製のベンチと、微かな水飛沫を身体に感じて気持ちが安らぐ。今大切なのは自分を磨くこと。磨き方はそれぞれが工夫して。歩いていると、アトリエの机の前や部屋の中では考えもしないことに思い至る。己を磨くことが、ひいては人の役に立つ行為につながるだろう。楽しみや喜びに結び付くのが理想かな。京都に哲学の道と言う散歩道があるけれど、僕には創作の道がある。大きな木や噴水や鳩や鴉のいる、猫が横切り、杖をついた老人が、時が止まっているように歩き、ベビーカーの赤ん坊が驚きと小さな太陽のような笑顔で空を見上げ、犬が退屈を嗅ぎ回る。肩の荷や、身体の内に溜まった重たく、不要な力をゆっくりと自由にする。自由になると、色々なことが扱いやすくなって軽くなる。曇りのあるものをサッと磨きあげることが出来るようになる。アトリエで久米さんの誕生日パーティー。リクエストにより、軽くて甘味を抑えたロールケーキ。プレーンとイチゴの二つ。おめでとう。

東日本大震災から一年が経つ。14時46分、黙祷する。この国の、あるいは世界の地震を防ぐことは出来ないのだろうか。より正確に予知する方法は無いのだろうか。地震や津波に対して安全な建築の仕組みを考え出せないのだろうか。復興の計画と同時に研究を進めるべき主題がある。今日を節目として、この一年を振り返り、被災地を訪れることは無かった。自分たちの置かれた状況が許さなかった。そして、全世界が被災した、という認識に変わりはない。原子力発電所の事故を考えると、地球全体に及ぼす影響は計り知れないのではないか。放射能は世代や種の連鎖、環境を超えて伝わる。これからも僕たちに出来ることを続けて行かなければならない。無力ではない。地震について、断層の有無や、過去の大地震の規模、大津波が襲った例や証拠が次々に情報として明らかになっている。知らなかったこと、忘れ去られていたこと、僕たちはいつか、いつも思い出す。思い出させられる。忘れまい。忘れまい。自分の表現する作品の中に深く強い記憶は自然に生きる。そんな意識を持続した一年でもあった。そしてこれからも。生き残った者たちのみが死者を弔うことが出来るのであるから。無駄にしてはならない。

雨が降り寒い。外に出ず。運動しないので余計に寒く感じる。絵を描くための資料を物色。コラージュと簡単なドローイングを3点程描く。吉田秀和氏の”永遠の故郷”4部作を読了する。吉田氏の”名曲の楽しみ”は愛聴して久しいが、改めてクラシック音楽の楽しみ、面白さに夢中になり、心が洗われるようで和む。もう一度ゆっくりと読みながら今まで聴いたことのない、あるいは聴き流していた気になる曲を抜き書きして聴いてみようと思う。音楽の愉しみの思いがけない角度と深さを知って重く軽く、新たな視点で接したいという気持ちが生まれている。音楽の美しさと楽譜の美しい様子、その関係や、美に対する気遣いは興味深い。美しい音楽は、見た目にも美しい。そうあるべきだと考える作曲者。それを見て感じて、静かに感嘆するライバル。谷崎潤一郎の小説や文章を書くにあたってのエピソードを思い出す。谷崎は美しい言葉の美しい配列を気遣った小説家として知られている。自身の書いた文章を声に出して読む、つまり音読して美しいものであるかどうか確かめていたという。文章、小説、を詠ずる。それは歌だ。美しい言葉が美しく連なり、文字がメロディーを生んだ。そんな風に絵を描きたいと思う。

一日外に出ない。雨だと言うこともあるけれど、ここのところ一日外に出ないで過ごす日の割合が高い。星のアトリエに籠りきりというのは、暦の上では啓蟄を過ぎてもまだまだ冬眠なのか、体調が冬から夏への移行中なのだろう、ぼんやりとしている。どんな絵を描こうか、どんな作品にしようか、やはりぼんやりと考える。そうして一見作品制作とは関係の無いような作業をする。気晴らしが内向しているのかな。爆発に備えている観測所の研究者を兼任した爆発物そのもの。するべきことは理解っているので、淡々と少しずつ少しずつ進めるだけなのだけど、動きや行動が伴わない分活力がない。淡々とした活力の冬眠の作品。創作への圧力は高くなっている。メールや電話でのやり取り、ニュースや情報が宙を舞って着地点を求めているのか、いないのか。メールや電話は仕事のことなので着地するしさせるものだけど、ニュースや情報はときどきうるさい。そのうるささを中和させようと、いい音楽、いい音を聴きたいと思う。いい、と言うのはむずかしい。今、吉田秀和氏の本を読んでいて、クラシックと言われる音楽に対して今さらながらに新しい認識を持ち始めたところ。吉田氏の本から言葉として得、感じた音楽に対する想いや気持ちを、音として音楽として体験したいと強く希望しているところ。アトリエに籠りきりになると、音楽から浮かんで来る情景の中に散歩する楽しみがある。

スカイツリーの竣工パーティーへ。素晴らしいチームと素晴らしい仕事が出来たと、嬉しく誇らしく思う。スカイツリー西街区の2階と3階に描かれた壁画と設置されたオブジェは、多くのスタッフの力で現実のものとなった結晶だ。特に壁画を実際に壁面に描いてくださったハナワ氏との出会いにはお礼と感謝を捧げたい。限られた時間と苛酷な環境の中、素晴らしい仕事をしてくださった。タイクーンのスズキ氏からお話しをいただいて1年。長い道のりだった。原画のグラフィックありがとう。流石はタイクーンだね。ベストは尽くした。ノムラの皆さんはもちろんのこと、スズキさん、ハナワさんとチームを組んで仕事に取り組めたことは大きな財産になった。未知の扉が開き、光の中に飛び込んだ。新しい出会いやトライはいつでも素敵なことだ。才能の豊かな人々と共に生き、仕事をすることは、自分たちを磨いて貴重な宝物に変える。同じメンバーでまた一緒に仕事をしたい。子供の時の砂場の遊びがリアリティを持った。

ドライブが好きだと改めて思う。今日は往復で4時間と少し、200キロ程走った。ドライブが目的で車を走らせるわけではないが、車を走らせている間は日常生活の中でも、絵を描いたりデザインしたりとは違う種類の集中と拡散をしている。時間の流れを切り裂いて分け進み、僕を乗せた車という現在は過去から未来の目的地に向けて飛ぶように走る。忘我至福の時。そんな時を共に過ごすのに、いつか乗ってみたい車がいくつかある。それらの人の手で作られた美しい乗り物に誘われて、旅をしてみたい。ただ走ればいいし、移動出来ればいいということではない。歩くにしても食べるにしても、ただそうすればいいということではないのと同じように、何をするにしても、癖とでも言うべき自分なりの無意識な作法がある。納得の出来る何か、ある種の美しさがなければならない。意識せず、あくまでも自然に選ぶ自分らしさ。人がどのように思い、どのように見ようとも構わない。それが身に付いた趣味だから。

銀座三越と松屋銀座が共同開催するGINZA FASHION WEEKが3月21日スタートしました。今年のテーマは「ジャパンデニム」。
MIC*ITAYAのDENIM LION ハンドミラーも銀座三越限定で販売開始です。
銀座三越B1F 化粧品売場
ビューティ セレクト クレ・デュ・ボヌール
http://www.mitsukoshi.co.jp/shop?omeNextPageName=/pc/store/jsp/1210/floorb1.jsp

浦和伊勢丹へ。搬出をするのだが、先の搬入の時には車を駐車場に入れて、従業員や出入り業者の受付口に行く際に、駐車場からの出入口を右に行けばほんの20メートル程のところを左に曲がってしまい、伊勢丹の大きな建物をほとんど一周することになって、助手Aにひどく睨まれた。それなら、ミックさん!道が違いますよ!と注意してくれればいいのに、と思うのだが、あまりに確信を持って左折する様子に半信半疑ながら良しとしたようだ。このように僕には人が言葉をかけにくい場面が多くあるらしく、人生の回り道をしているのに違いないと思う。今日は、右!と注意された。ありがとうございます。人は自然に心臓のある左に道を選ぶ癖がある。ぼんやりとして考えごとなどに気をとられていると左に曲がって行くものだ。散歩などして、目的地が曖昧な場合は特に左に曲がりたがる。僕の場合は目的があってもぼんやりだが。目的があって道を選ぶ時には最短距離を選びたいものだ。しかし、人の世はなかなか思い通りにはならないものだ。早くとは思うけれども、長い道のりを行かなければならない運命には、自ずとそれなりの理由がある。素直に従うべきだと思う。縁があることなら、いずれ自分の思いの通りになるものだから。搬出完了。

ひと雨ごとに暖かくなっていると感じる。ニューヨークから昔馴染の友人が帰って来ていて、仲間で食事会。Coolie’s Creekにて。料理のセレクトはケンザエモンさんにお任せして。彼女はニューヨークで日本のアンティークを扱う店のオーナーなのだが、性格そのままに奔放な価値観で品を選ぶので、玉石混淆している風で面白い。人がいらないと思う物を売るとうそぶく。ニューヨークの店を訪ねたことはないので皆の話しから想像するしかないのだが。Coolie’sの料理はいつもながらに美味しく、蜆や芽キャベツ、古老肉、カニ春雨、鳥のパリッとした焼き具合など、どれをとっても文句はない。身体に合った中華料理だ。もっともケンザエモンさんが皆の調子を考えて組んでくれているので更に折り紙つき。彼女は年に一度か二度は仕入れのためもあり帰国するのだが、京都や金沢など、温泉宿好きでもありいい宿と骨董のある日本のあちらこちらを廻るらしい。海外居住者用のパスがあるらしく、JRはのぞみ以外2週間乗り放題だという。山城温泉を薦めてくれた。行ってみようかな。

ブルージーンズに白い星を描く。白い星々に想いを込めて。雑念も大いにある。それらの雑念は生きる証し。ブルージーンズに記される星の模様は新しい星座になる。星座に運命と意味が現れる。見る人の心に点る灯になるかも知れない。ブルーデニムが少しだけ起毛していて描きづらい。想いは走るが、同じように筆が走るというわけにはいかない。やがてブルーデニムの夜空に満天の星が瞬く。単純な仕事と構図のなかから底知れぬ景色が生まれる。これを身に付ける人は星と星の間を飛ぶように移動するだろう。そして星の煌めきを身にまとい、誇りを持ち振る舞うだろう。人の手により作られ愛されるものは、喜びと微笑みを携え、空気に溶け込んでそこにある。

雛祭。Power Of Beauty 24年目の誕生日。ミユキから「おめでとう!」と電話がある。Power Of Beautyは、カオリと3人でSTELLAFINEと言う架空の王国をモチーフにしたプロジェクトを立ち上げ、それぞれがファッション、ミュージック、アートとデザインの分野を担い、全体の活動を支えマネージメントするチームとしてスタートした。現在STELLAFINEは休止中だけれど、三者三様の活躍は続いている。女の子の幸福と健康を祈るこの日に、ミユキと話していてSTELLAFINE、”最後の星”、あるいは”素晴らしい星”の物語は今も続いて、これからも続いて行くことを知った。どんなかたちであろうとも、20年以上も前に共に夢見たイメージは、今もこれからも美しく、たとえ色褪せることがあったとしても、ゆるぎはしないと言うこと。I believe power of beauty. 美しいもの・ことがみにくくなり、みにくいもの・ことが美しくなる。素直に感じて、素直に表現する。そして携えた美しいイメージは、ゆっくりと磨かれながら今もすこしずつ現実のものとなっている。

ミック・イタヤが、ブランド”BEAMS LIGHTS”にテキスタイルデザインを提供しました。レディースの先行予約会が2月28日より3月12日月曜日23時59分までBEAMS ONLINE SHOPでスタートしています。数量限定の予約会ですのでぜひチェックしてみてください。
http://shop.beams.co.jp/news/20120228_5667418.html


MIC*ITAYAが、浦和伊勢丹のイベントショップに参加します。
CURONECOMICタオルハンカチのデビューです。
4コマ漫画がそのままに。
期間:2月29日火曜日ー3月6日月曜日
会場:伊勢丹浦和店2F婦人服売場/エスカレーター横 イベントスペース
お問合せ:048-834-1111 代表番号

GALLERY SPEAK FORで作っているiPhone CASE。ところがミックiPHONE使ってない。
iPhone case for iPhone3/4/4S
Color White, Back
Size H118. W60. D12mm
Material Polycarbonate
Design Mic*Itaya Inspirational
http://www.galleryspeakfor.com/?pid=39776540