PICTURE DIARY 0406MO2012


「MOTT THE HOOPLE すべての若き野郎ども」を観る。プロデューサー、ガイ・スティーブンスが狂気と正気の間で作ったバンドだ。CLASHのLONDON CALLINGをプロデュースした時の、ホームビデオで撮影した映像が残っていて、ガイがCLASHのレコーディングスタジオでメンバー達の演奏にちょっかいを出したり、けしかけたりする様子が記録されているが尋常ではない。梯子を投げつけたり、椅子を叩き壊したり、果てはエンジニアとつかみ合い、殴りあいの状態でレコーディングをしていたのだ。そんなガイ・スティーブンスの激しい妄想を現実にするための力をMOTTは持っていた。初期のアルバムにはそんなプロデューサー、ガイとの苦悩と苦闘が記録されている。MOTTはグラムロックの全盛期から終りにやって来て、当時何枚かのアルバムを好んで聴いたものだが、DAVID BOWIEとの出会いでサウンドが大きく変化した。そしてアルバムセールスも。その辺りの経緯がこのドキュメンタリー映画の中でも中盤のハイライトになっている。全編を通して感じたことではあるけれど、人と人とのつながりの、ほんの少しの気紛れが大きな変化への前兆になる。面白いと同時に怖くもある。もしも、たまたま同乗した車の中で、BOWIEに写真家のMICK ROCKがMOTTの解散の危機を伝えなかったら、「ALL THE YOUNG DUDES」と言う名曲は生まれなかったかも知れないし、その時MOTTは解散をしていただろう。しかし、バンドは生き返りイングランドの田舎町から出て来た彼らの情熱は底知れず、ライブは抜群だけどいまいちダサイバンドが、世界一のロックバンドになるかも知れない直前で崩壊すると言う物語は、バンドのメンバーや取り巻くスタッフのMOTTへの愛情が溢れて、思ったほど悲しくはなかった。メンバー達は純粋なロック魂を持っていたから。ステージの上で示せるものを持っていたから。セールスと言う別次元の怪物には勝つことは出来なかったけれど、闘う意志は持ち続けたから。その後の、あるいは昔も今もロックミュージシャン達が必ず通る危険な道を通って転がり落ちる姿の手本になったのかも知れない。アメリカツアーをして成功し、その成功が元で神経を病むミュージシャンは少なくない。MOTTのイアン・ハンターは精神的にも肉体的にも健康な男だったのだと思う。自らの危険を感じて身を引くことが出来たということだろうから。彼が二度目のアメリカツアーへの不参加を表明したのは、自身が自分らしく生きるためのギリギリの選択だったのだろう。本当に壊れてしまう前に。ライブの素晴らしいバンドとして大きな人気を持った初期の時代のMOTTの追っかけをしていた少年時代のMICK JONESも同じような経験をしたかも知れない。彼は後にTHE CLASHのギタリストとして成功したが、その代表的なアルバムである「LONDON CALLING」のプロデュースをした後、ガイ・スティーブンスは38才で亡くなっている。この映画の中で、たびたびガイ・スティーブンスの語録が引用されて特異な個性を伝えているのだが、なかでも気に入った言葉の一つは「この世界にフィル・スペクターは二人いる、そのうちの一人が俺だ。」

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