PICTURE DIARY 2105MO2012


金環日蝕。自分の作品について時として気付く事だが、意志や意識を集中して作品製作をしていると、果たしてそれらが強く現れた作品になるに違いは無いが、その主作品と平行し複数の作品を同時に進行させる時、むしろその主作品よりも同時進行した脇役的作品の方が面白くて良いと評価する場合が多くある。強さに対して、少しの気持ちの隙間とでも言うべきものが生まれ、程好い緊張と安心が有るように見える。しかし、とは言えここで言う主作品を巡る出来事は、自分の製作テーマに従った王道を歩む際に、脇役的作品あるいは習作と言われる素材や技術的にも雑多で異なるものが力を得て、王を打ち負かす事が何ら不思議の無い必然であると思えるのも事実で、それは内在する無意識な表現の要求による下剋上である。意志や意識の集中は、必ずしも良い結果を生むとは誰も保証はしない。度を越した緊張は、それこそ破綻を来す。破綻結構。さらには、自分の携えたテーマに従おうが従うまいが、テーマを持った自分が製作し、手を下す以上、王道からは外れたように見えて、俯瞰して見ればむしろおおらかに全てを包括し、異形とも言える外見的に類似性の無い一卵性の面白味を持ち得る。主作品を集中して製作する場合に、務めて気楽に主人公を盛り上げる色々な性格の脇役たる作品を配することによって、物語は生まれ披露される。脚本も無く、特に台詞は要らない。今日迄をそこに注ぎ込む。

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