PICTURE DIARY 1804WE2012
風の薫る季節に入って来た。住宅街を歩くと、家々の庭に植えられた樹木が若々しくあおい香りを風に乗せて運ばせる。庭の木の名前は知らない。白い花をつけた枝を、老人が拝むように植木ばさみで切ろうとしている。背の届く低い位置に幾本かの花を咲かせた枝があり、どこを、どのように切ったら良いか迷うのだ。ややあってここと思う所を優しく労るようにいただく。きっとご自分の部屋の一番大切な所に生けるのだろう。花はそうして生けられて生きるものでもある。野にある花を野にあるがままに眺めるのは好きだ。雑草もむやみに抜くのではなくて、手入れをしているかしていないのかよく解らないような状態を好む。美しく整えられていてもこれ見よがしなのは好きではないし、かと言ってまるで手入れがなされていない風なのはより好まない。何につけてもそのような適当が良いとする、そんな癖があり、机の上や仕事場の片付け方整え方もしてあるようなしていないような、しかし、全てに手と手入れが行き届いている状態が最上だと感じる。綺麗に整理整頓されているのは面白くない。気持ちは良いけれども、神経質な気持ちのよさを感じる事が多い。ただ、その様な神経質も楽しい。何かやどれかに決めてしまう事が一番つまらないと思う。決めるのも自由だし決めないのも自由。自由が貴い。