PICTURE DIARY 1707TU2012


朝、敬愛する知人からジャン・コクトーの映像作品”la villa santo sospier”が届く。高速道路を走る。森へ行く。渓流で涼み、木漏れ日が起伏のある流れの表面を輝かせ、岩の上で、川面の上方50cm程をうっすら煙らせる霧のような飛沫を浴びてほっとする。少しの買い物をしてコテージに入る。つかの間の、早目の短い夏休み。うとうととする。ジャン・コクトーを知ったのは、ぼくが高熱を出して学校を数日の間休んだ10才の時、偶然にTVで毎日ジャン・コクトーの映画を見たのが最初だ。ジャン・コクトーの名も、ジャン・コクトーの何たるかも知らなかったが、その不思議な映像の世界は、子供だったぼくに別の種類の熱を与えた。最近になって思い返すと、高熱を出した日はジャン・コクトーが亡くなった時にあたり、日本でも人気の高かったコクトーを偲んで、毎日のように追悼の映画などが放映されていたようだ。そうして、ジャン・コクトーは、高熱にうなされながらTVを見る少年のぼくにとりついた。その火傷の跡に気が付いたのはずっと後になって30才もなかば頃だっただろうか。その頃知人に贈られた「僕の初旅世界一周」と言う堀口大学訳のジャン・コクトー世界一周旅行の紀行文集などは、あまりに大切に読むために、今だに読了していない

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