PICTURE DIARY 2007SU2014
二、三日前に訪れた街で蝉の声を聞いた。今日は星のアトリエでみんみん蝉の遠くで鳴くのを聞いた。夕方から夜にかけて雷雨。空を覆った雲のあちらこちらで間断無く稲妻が光り、雷鳴が響く。一つ光ってドーンではなく、ドラムのロールとシンバルにティンパニーの感じ。現代風なアレンジのベートーヴェン。
二、三日前に訪れた街で蝉の声を聞いた。今日は星のアトリエでみんみん蝉の遠くで鳴くのを聞いた。夕方から夜にかけて雷雨。空を覆った雲のあちらこちらで間断無く稲妻が光り、雷鳴が響く。一つ光ってドーンではなく、ドラムのロールとシンバルにティンパニーの感じ。現代風なアレンジのベートーヴェン。
土曜日の夜のレストランの大きなテーブルに女性ばかりの客。子供からお婆さんまで。4人姉妹とその子供たち。一目見て家族とわかる。全員同じ体型と顔。そう言えば、ぼくも母の父方の体型と顔をしている。細くてひょろっとして、骨格のしっかりしたヨガの行者のような。
この蒸し暑い夏、少し涼しく感じる日もあるが、どう過ごそうか。これからが本番。
心と体をのびのびとさせる。心と体に浮力を与える。充分に呼吸をさせて素直な反応をするようにする。イメージと表現にギャップを生まないように。
急に蒸し暑くなった。降った雨が、そのまま湿気になって上がって来る。注意しないと何でもカビる。ひょっとしたら頭の片隅のアイデアさえも。
打ち合わせ帰りにAlaskaに寄って黒糖入りの豆乳と、クリームチーズを塗ったベーグルを食べた。黒糖は少し少な目にしてもらって。昨夜の眠りが薄く、夢や現実や空想やコンディションが多重多層になっている。そんな日は日常の細々したことを根気良く積み重ねる。ここAlaskaでは食べるものと飲むものの調和がバランスを和ます。柔らかで明確なサインが勇気をくれる。「行けてる」。
少年の頃愛用したテープレコーダーが今、目の前にある。少年時代の一時を一緒に旅して人の声や好きな音楽を録音した。専用のマイクロフォンとはいつしかはぐれてしまった。電池ボックスの蓋も行方が分からない。リールに巻かれた、かなり劣化した録音テープが1本残っているが、再生して聞いてはいない。正確には、聞いたことはあるのだが、記憶にあるほど最近のことではない。再生機能が働くかどうか分からない。ここから何が出て来るのか、今はこのままで充分だ。
体のメンテナンス。更に休息の一日。夕方、隣街まで散歩。二元論について考えながら、星のアトリエの未来について考えながら。
休息の一日。
台風が去って蒸し暑い一日。オブジェのような、真白いはぐれ雲が浮かぶ空の青さと、微かな風に、大袈裟な振りで振動するように揺れ動く葉の未成熟な緑が、頭上高くで、望んでも、どうにも混ざりようのない色の対比を見せている。
台風8号が近付いて来る。午後から雨の予報が出ている。湿気を多く含んだ、肌にまとわりつく濃密な強い風が、嵐の遣いとなって前触れている。雨は繰り返し短くザッと降って止む。夕方と夜と二つの打ち合わせのために外出した。音楽の雑誌社にロゴタイプデザインのプレゼンテーション。渋谷のホテル、ロビーラウンジでファッションジャーナリストI女史、百貨店バイヤーK氏とミーティング。仕事をご一緒するのは久し振りなので、とても楽しみだ。一方、更に風雨は強さを増し、こんな夜には巣穴で身を潜めているものだろうと思う。
ワールドカップ準決勝、ドイツがブラジルに7対1で完勝。誰がこのような試合を予想出来よう。イメージの領域を超えている。
昼の定食に、やりいかと大根の煮物を食べて美味しかった。いかの形は神秘だ。太古の生き物そのものの様子で、飴色になって、見るからに旨味の染み渡った、大きな大根二切れと一緒に、目の前に横たわる大小二杯のやりいかは、店のカウンター席から一気にデボン紀の海の断崖へと連れて行くようだ。やりいかの先の尖った部分にかぶり付く。とても柔らかく調理してある。自然界の連鎖のサイクルの中で、太古の一体どんな生物がこいつを食べたのだろうか。やりいかに連なる祖先の記憶をもいただいて、雨季の合間の一時の青空を見上げると、恐らくはあの日のあの青空と同じように見えているのだろう。ぼくはデボン紀の水辺で、両生類のように生きた時代があったということを思い出しているのかも知れない。
渋谷SHiDAXギャラリーへ。柿沼さん、雪之丞さんの「アートの壁」展覧会最終日。会場の360度パノラマ写真撮影に立ち合い。カメラの石黒女史がてきぱきと素早い仕事。それでいてほんのり温かく。七夕の空は晴れるか。ハッピーな願いを送る。
日本人は、何か一つのことに集中し秀でることを尊び、あれこれと色々なことに興味を持って、幅広く好きなことをするのを喜ばない風があるが、色々なことに興味を持って好きなことを好きなだけすることこそが自然なことだと思う。そしてまた、あれこれ上手に出来るために、飽きっぽくなってしまうので、この一つ、と言う道を極めて、その他は趣味として受け止めればそれも良いと思う。
今日からグランツール、ツール・ド・フランスが始まる。華やかで迫力に満ち、美しく洗練された、まるで予想のつかない3週間余り。自転車ロードレースの最高峰。ゴール直前のスプリントでイギリスのスプリンター、カベンディッシュが無理な体勢で前に出ようとして落車。二人の選手を巻き込んで。イギリススタートの今年のツール、そして母の故郷でのステージレース。さらには勝利者にキャサリン妃からマイヨジューヌの授与とあれば、自転車ロードレースの世界を代表するスプリンター、イギリス人、優勝候補カベンディッシュは今日、絶対に勝ちたかっただろう。怪我が軽く、明日から走ることが出来れば良いのだが。
蕎麦屋にぎりぎり滑り込み、せいろをたぐる。そのまま公園まで散歩して草野球を1イニング観る。通ったことのない道を選んで、星のアトリエに戻ろうとするが、気が付くと馴染みのある道に出ている。霧雨が音もなく降る。
毎日色々なことを感じながら生きている。必要なこと、不要なこと、皆それぞれのフィルターで分けている。ときどきフィルターのクリーニングをする。
暗闇で足を一歩踏み出すのは勇気がいる。白日の元で考えも無く踏み出した一歩が暗闇を生むことがある。
桃のよい香りが部屋いっぱいに広がっている。皮を剥く間もあればこそ、口いっぱいにほおばり、その瑞々しい美味しさに眼を剥く。そのまま眠りの中で、安眠を通り越し桃源郷に遊ぶ夢を見る。
いにしえより多くの哲学者や文学者そして科学者、あるいは音楽家や画家など芸術家たちが口を揃えて言う。歩けと。とにかく、机の前に陣取っているだけでは素晴らしい考えは浮かばない。鳥や動物や植物が、風や匂いや天気が伝えてくれる。歩け。
午後4時頃、出たとたん突然の豪雨。雷鳴と共に。バケツを引っくり返すどころか、車に乗ったぼくにとっては潜水艦で水中を行くようなもの。ドアを開けて外に出たら溺れそうなほど。ワイパーも役に立たないので路肩に車を停めて様子を見る人も多い。あまりの勢いに通行人も居ない。石鹸と手拭いで、頭から爪先まで洗う人が居る。心も。
なんということもないへいぼんないちにちのすばらしさ
ある仕事を、10年、20年、30年、40年と続けるということは、凄いなと思う。良い時も、そうではない時もあるかと思うが、とにかくどうであれ、続けると言う力は並大抵ではない。近頃、周辺ではそんな記念の年を迎える人が少なからず居る。日々淡々と進もう。先日、大陸の偉大な茶人の言葉に、「中途半端で良い」。と言うのを知って、ほっとしている。
星のアトリエの小さな庭に3匹の蜥蜴が棲んでいる。そのうちの1匹が出て来たが、尻尾が切れて無い。先日も別の蜥蜴に尻尾が無かったので、多分この辺りを縄張りにするネコに出くわしたのかも知れない。尾を切り離してその隙に逃げる訳だが、もう既に置き土産にするべき尾が無いので注意したまえ。
2日続けて昼は魚。湿気や雨で水中生活が恋しくなった訳ではあるまいが、昼になると魚を食べたくなる日が2日続いたと言うこと。昨日は鯛のあら煮、今日はいさきの塩焼き。さて、明日の昼時も魚を食べたい欲求に駆られるや否や。昨日今日と同じような天気であるなら可能性は大。現時点では昼は魚。
ぼくらの街を吹き抜ける風はいつも渇いていて、雨のシーズンになっても優しくはない。じめじめとしたものであろうと、それは潤いには違いなく、受け手として上達するには絶え間ない繰り返しが必要になり、練習は厳しい。何となく練習するのでは充分とは言えず、目的を強く意識する。風と雨は太陽の力であまねく働きかけ、すべての存在は太陽の意志のある不断の練習による。
月曜日はスタッフミーティングの日。先週の出来事や今週の予定、再来週以降の計画など。京都の友人のヘアサロンが20周年。以前デザインしたロゴマークの手拭いが届いた。オリジナルの練り香水とヘアワックスと共に。おめでとう。
ショパンmagazine
LOGOTYPE DESIGN
Direction:MIC*ITAYA
Design:MIC*ITAYA INSPIRATIONAL
Client:Hanna Co,.Ltd.
やはり人生は旅だと思う。日本人の日本人たる由縁について考える。伝統や儀式、道徳や民度、日本人として古来大切にして来て、これからも大切にすべきこと。日本美術の源流、日本文化として成熟に向かうべく伝播した、数多くの道の元と果て。束にして太いものを見たい、感じたい。美の旅。多美。太美。
夏至。渋谷SHiDAXギャラリーへ書家の柿沼康二さんと森雪之丞さんのトークイベントを見に行く。「ムンズと夢ヲ掴む」。アートの壁第2回のアーティストは柿沼さんの書だ。書家としての考えとその言葉に触れて充実した時間を過ごした。書の奥深さ、臨書の意味など、書と絵の融和、あるいは相剋について。五反田の東京デザインセンターへ。鬼怒無月さんと鈴木大介さんのギターユニット、DUOのコンサート。フィールドの違う二人の超絶技巧に、溜め息。
心身を爽やかに一新して、生命力を整える旅をする。
ほとんど終日外の一日。随分自転車で走り、歩いた。大分陽に焼けた。
旧知のミュージシャン、ドラマーG氏の結婚披露パーティー。懐かしくご無沙汰していた人々に会う。ピテカンの世代。ミュージシャンたちが演奏し、歌い、華を添える。それは大きな屋敷で開かれる豪奢で親密な、太い絆で結ばれた朋友たちの美しい祭り。喜びに満ちた一夜。
昨日に続き生地を探しに出かけたが不猟。理想とイメージと現実とセンスを折り合わせて。
生地屋廻り。なかなか良い生地が見付からず。良いと思う生地は高価で予算に収まらない。それでもこれはと思う生地を幾つか選ぶ。きっと素敵なものになると思うが、明日の朝の光で見て決めよう。
ワールドカップ、日本とコートジボワールの試合。1対2でコートジボワールの勝ち。日本は見えないドログバにやられてしまった。コートジボワールのカリスマFWドログバはそれぞれの日本選手の中にいた。さらにコートジボワールの選手一人一人の中にもいた。
良い天気。体を太陽に。砂浜で1時間程。太陽と一体になる。梅雨の合間の晴れの日、多くの家族連れが思い思いの時を過ごす。肌が少しヒリリとする。
何か、どういうものか解らないが太い表現をしたい。
細かい霧のような雨が降っている。星のアトリエの庭の梅の木に、怪しいキノコが生えたと思ったら、キクラゲだと助手Aが教えてくれた。ただならぬ湿気に思わぬモチーフだが、食べる勇気はない。
午前中から上野の東京都美術館へ、バルテュス展を見に行く。バルテュスさんご夫妻は、知人であり尊敬する今は亡き日本人女流画伯と旧知の間柄であったので、今日はその世代の美の世界に触れ、おこがましい感想だが、懐かしい知り合いに再会したような気がする。暖かく、すんなりとしながら謎めいた作品の数々や、写真、愛用品などの展示は、展覧会を監修した節子夫人の手によって理解しやすい健やかな薫りを漂わせている。アトリエ内部の再現などは、とても興味深く見た。バルテュスさんの言葉のなかで、大切なのは「光だ」 と言うことが、当たり前のように特に強く記憶に残る。
明るく、いつも笑顔で笑っているって本当に美しいこと。
昨夜もだいぶ雨が降ったようだ。今日は雨が止んで陽射しが戻ったが、それもつかぬ間、夜9時になった今、激しい雨になる。
NHK交響楽団定期演奏会、NHKホール、マチネ。ウラジミール・アシュケナージ指揮。ステージ下手より出の時にいつもちょっと小走りなのが失礼ながら可愛らしい、そして、たいした間を置かずに指揮棒を振る。演目、1曲目グラズノフの交響詩「ステンカ・ラージン」作品13、2曲目プロコフィエフ、バイオリン協奏曲第2番ト短調作品63、バイオリン、ぜひ見てみたいと思っていたコパチンスカヤ、ネコのように音楽にじゃれつく、あるいはじゃれあうようなキュートな演奏スタイルで、とても魅力的だ。もっと見たい聴きたい。休憩後、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」。バレエダンサーたちが目に浮かぶようだった。チャイコフスキーの持ち味である豪華絢爛が可愛らしい主題のバレエに収まって、アシュケナージのテンポのある指揮。降り続いた雨も上がり足取りも軽い。
雨。休養日。昼寝。散歩。
6月6日にはなぜかいつも思い出して歌う。「6月6日に雨ザアザア降ってきて、コッペパン2つくださいな」、なんて囁くようにくちずさみながら、傘をさして散歩する。足元はびしょ濡れになり、雨用の上着もかなり濡れた。しかし結構この雨の中を走る人や、自転車に乗る人が多い。上から下までレインウェアを着る楽しみがある。長靴を履いわざわざ水溜まりを選んで跳ね歩く子供のように。
南青山へ。ファッションデザイナーのKさんとお茶。久し振りだったので近況報告。一緒に知り合いのギャラリーを訪ねる。住宅街の、エントランスにテラスがある快適な場所。近くの古い小さなビルの一階の奥にある花屋に行く。不思議な花と器が並ぶ。奇をてらう風ではなく、何気なくでもなく。小雨降るなか、歩きながら、可憐な野性を放つ小さな花束と共に話の続き。Kさん宅前で別れる。駐車場で出庫を待つ間、スタイリストのSさんに偶然出会い、出庫までの間立ち話。その途中、丸の内にある素敵なカフェにお勤めの女性Hさんが通りかかり、挨拶のお声掛けをいただく。Kさんとはまたお茶の約束。ギャラリーではいつかぜひ展覧会を。花屋さんにはまたあらためて。Sさんとは機会を持ってゆっくりと。丸の内のカフェは必ず寄る。
太陽が眩しい。身体のコントロールが難しく、暑さの分だけ体内を冷やさないようにする。助手Aと共に打ち合わせで新宿まで行くのだが、激しい暑さに自転車はやめにする。
真夏のような日が続く。