PICTURE DIARY 0601WE2016
星のアトリエは明日から仕事初め。ゆっくりと休むことが出来た。もうすでに良いスタートがきれていると感じる。初詣する。
星のアトリエは明日から仕事初め。ゆっくりと休むことが出来た。もうすでに良いスタートがきれていると感じる。初詣する。
今日もひたすら休養にあてる。安息はあれど安泰は無し。今年の動向は松の内に現れると感じる。出来る限り自然に、感じるままに過ごす。太陽を浴びて昼寝は気持ちがいい。
さらにゆっくり休む。シルヴィ・ギエムのドキュメンタリーを見る。何か作り上げるのは、子供の遊びの延長だと改めて確認する。ルイ16世時代の女装の剣士の存在を知る。東洋と西洋の交わりについて考察。
渋谷ヒカリエに行く。BEAMS LIGHTSへ年始の挨拶と、取り寄せて貰ったSOLANGEシャツの受け取り。路上はそうでもなかったが、建物の中やショップには多くの人でごった返し驚いた。訊くと昼頃は閑散としていたらしいが、夕刻になり客足が伸びたという。皆溌剌と仕事をしていて気持ちがいい。今年もどうぞよろしくお願いいたします、と挨拶。渋谷郵便局に立ち寄り切手を購入。少しずつ動き始めた。
ぐっすりと眠りゆっくりと食事。体と心を休め手入れする。描き初めする。
そこにあるべき相応しいものがそこにあるセンス。何でもない当たり前が当たり前に存在し行われるセンス。美を求める気持ちと心の無言の交わり。語る必要のない深い理解。今から語り継がれる新しい伝説と神話。欠落し削ぎ落とされ忘れ去られた記録と記憶。よろこびと共に見えないものを存在させる力。
午前中いっぱいゆっくりと眠る。午後は残った片付けものなど少しする。やっと手を付けることが出来た年賀葉書を書きながら、今年出会った人や出来事、そして来年のことを想う。
撃つぞ!手を上げろ!という夢を見て眼を覚ますが、そう言ったのは僕だった。
会社の仕事納め。今年も星のアトリエのスタッフの皆には大変助けていただいた。充分な礼を出来たとは言えないが、大いなる感謝の気持ちは伝えたい。来年のテーマは「よろこび」。少しでも多くの笑顔を描く。微笑み、笑い声、歌声、響かせる。まずは身近なところから。
星のアトリエ大掃除。アトリエ周囲の枯葉などを片付けて、それぞれに分担した受持ち場所を掃除するが、案の定なかなか終るものではなく、明日の午前中も大掃除に当てる。それにしても、ぼくの掃除は模様替えの趣があるものだから掃いたり拭いたりでは済まない。今年の仕事に礼をし、来年の仕事に備える。陽が暮れるのが早いので、薄暗くなる前に止めるとする。
午前中から予定があり出掛けるが、何度か訪れたことのある場所なので時間も読めるし、リラックスして車を走らせたが、途中、歩行者天国にぶつかる。日曜日。そう言えば日曜日に通ったことはなかった。迂回路の案内もないので勘を頼りに走る。こんな時、ナビがあっても頼りたくない自分がいる。ほどなく目の前に見覚えのある交差点がいつもと違う角度で現れ、勘が正常に働くのを確認。約束に間に合う。
自分の思考回路がレコードの溝のように一定だなと呆れる。だからと言って針が飛ぶような変化では音楽を楽しむことは出来ない。回転数を変えたりしたらこれもまた根本的な解決にはならない。針やカートリッジを変えてみるか、レコード自体を取り換えるか、ターンテーブルからCDプレーヤー、とっくに配信だろう、と持ち前のレコードの溝的思考回路が働いてジャンプする。メディアは変化する、ハードも変化する、アナログでもかまわない、デジタルでもかまわない、何を伝えたいのかということだ。相応しい方法を探る。レコードの溝の埃が答である場合もある。出来た時、下ろし立てが一番美しいのではなくて、折々の美を慈しみたい。何かにつけて変化することを認識してその変化に合わせること、これがまたなかなか。
星のアトリエでクリスマスランチ。とは言ってもカジキマグロのお弁当で。チキンがいいなとリクエストしたのだが、目指した弁当屋にはクリスマスになぜかプルコギのチキンしかないらしく、辛いものが苦手なので何となくみんなカジキマグロのお弁当。ラベルをデザインしたお礼にと、送られと来た自家醸造ビールを飲むが、飲めないぼくは一口で大満足。本当に美味しい大人のビール、みんなは充分に堪能。小さなカップケーキとコンビーフの組み合わせが絶妙。
GONTITIクリスマスコンサート、紀尾井ホール。GONTITIの二人とバイオリン、チェロ各一台。クラシックのコンサートホールならでは、弦が入るとさらに活きる。今年はGONTITIと一緒に多くの時間を過ごした。来年も何か一緒に出来ますように。
Artcomplex Center of Tokyoで10号展のクロージングとクリスマスパーティー。怪しげなサンタクロースなど居て賑やか。来年の個展のことなど話す。やっと年賀葉書の準備に手を付ける。大切な仕事なのだが、つい自分たちのこととなると後回しになりがち。本当は自分たちのことこそきちんと予定通りに片付けるべきなのだが、そうもいかない。申の判子を押す。
さあ、大掃除と言って一度には出来そうにないので、毎日少しずつ小さい掃除をする。残すもの捨て去るものどうしたものか決めかねるもの、年の瀬のせわしなさが、拍車をかけるように判断を迫るので、いつもより努めて急がないようにする。ぼくの短気でてきぱきすると取り返しのつかない消失が生じる可能性がある。ありとあらゆるものをゆっくりと掃除する。新しい素晴らしい巡りがありますように。
会得したい、辿り着きたい境地はあるが、今は手応えはない。己の裡にあると感じるが、顕れない。毎日無我夢中でも、まだまだ年月が要る。すでに着ているものを脱いで裸になるのは難しい。難しいと思ううちはかなり難しい。人間本来無一物。己の言葉で語る、描く。善し悪しを感じる。
動きを鎮める。鎮めた心で動かす。筆が行きたい処に行かせる。
人の顔というのは、一番面白い画題だなと思う。感情や気持ちはもちろん、読み取るのは難しいが、人生や人間性までも表し、現れている。街を歩いて行き交う人の顔を見ると、口だけしかない人、眉毛だけの人、鼻の穴だけの人、のっぺらぼうではないのに何の印象も残らない人、色々不思議な顔に出会う。あまり見ると失礼なので、すれ違う一瞬や、それなりの距離のある場合だが、本当に色々な顔があるものだと思う。そして、美醜ではなく、見ていい顔とそうでない顔があることに気付く。それは、遺伝子的な記憶に遡るようなことだと感じるのだ。
年も押し迫り新年に向けての諸々が錯綜をし始める。良い準備をして良い結果を出したい。
LAD MUSICIAN 20周年記念展覧会。HANAYO+LADの写真展示と写真集出版。HANAYOライブパフォーマンスを代官山のAL GALLERYで。写真の写りかたと写っているモノがステキだ。LADのデザイナー黒田氏におめでとうを伝える。
小さい頃、デパートの展覧会で、エジプトのツタンカーメン王のゴールドとブルーの仮面を見た。あの金色の美しく幼げな顔立ち。深く記憶に残る。やはり子供の時、初めて訪れた上野の美術館で見たロダンの地獄門。こんなに恐ろしい物を作って平然と人々が見ているというのは、どこかおかしいと思った。だってこれは地獄の門じゃないか、こんな所にあるなんて、みんなは、そしてぼくはその入口にいる。近づかないほうがいい。黄金の仮面と地獄の門。その二つがぼくの内部で分離し相反し、融け合わないでいる。しかし実際は融け合わないどころか、記憶の中でお互いに冷たい熱を持って凝固している。時代や意味や文化や宗教やあらゆる点で彫刻作品である以外に共通点はないように思われる。たったひとつ、子供だったぼくの記憶の底に日向ぼっこして、体をほぐそうと並んで寝そべっている以外には。
写真家のH氏の誘いで九十九里の撮影に同行する。14時に東京を出て夕暮れを狙う。H氏の作品制作テーマに沿ったプライベートフォトセッション。自分の仕事ではなくロケーションの現場について行くのは初めて。潮風を身に受け撮影風景をスケッチしたりなどして、短い時間だったが非常にリラックスして、そのせいか単純な新しい創作世界を発見した。H氏にもそのような思いがあったらしく、共に喜んだ。撮影に誘ってくれてありがとう。
dipの忘年会。dip in the poolのお二人はお酒を飲まないこともあって、かどうか忘年会を主催するのは初めて。dipの音楽のように終始和やかで穏やかな会。来年もよろしくね。
ニキ・ド・サンファルを見に行く。初期の射撃の作品とニキの嬉々とした表情が印象的。一転してナナに託す女たちの時代の生理的衝動の素直な発露。日本の後援者YOKOとの出会いと作風の変化。精神世界の神と宗教に囚われない姿勢。晩年の大仕事、タロットガーデンに集約する表現の集成。実行する情熱と、やはり素直が一番だと感じる。影響を取り入れ消化する姿勢も見事。
自分の絵の仕事を大まかに分類する。夕方になり、作品を複写するためのカメラを見に行く。今のカメラは動くものをシャープに捕らえようというのが主流なので、全く動かないものをじっくりと撮るカメラの適性となるとかえって考えてしまう。もう少し知識と研究と絞り込みが必要。作品をデータ化して保存するにしても、どのような状態が最良か悩ましい。
夜来の雨が嘘のように上がり、昼前から代官山の聖林公司では店の横手を会場に餅つき会。ゆかりのある多くの人々が訪れて賑わう。浄めの雨。眩しい太陽に向かい、あたたかい風に吹かれて歩く。美空ひばりミュージアム前の坂を下って目黒川沿いを行く。りんごの歌を口ずさみ、立ち寄った豊前房で、まるで待ち合わせたように素敵な邂逅がありアトリエに帰還する。天狗殿の仕業。偶然というのはない。
夜になり雨が降りはじめる。濡れて、ショーウインドウや街灯、車のヘッドライトの反射に光る人々が急ぎ足で通り過ぎる。人影がなくなり、夜の黒に雨のグレイ、空からの賜物を受け取る街。
作文する一日。文を書くと、視覚的印象が具体性を帯びたり飛躍したりして面白い。絵に取り組む際に考えている、とりとめない印象を文字にすることはたびたび。文字の羅列から絵が立ち上がる。立ち上がった絵が、言葉を発するように語りかけて来るのはしばしば。ただ、その言葉の伝えようとする意味は印象として解るが、明確な言語になってはいない。絵の印象を言葉として記す行為は、実のところ困難なものだ。それなのでまた絵にする。言葉と絵が巴になってぐるぐると回転する眺めは退屈しない。
そういえば、くじ引きや抽選、ビンゴなどで何か当たったことは滅多にない。そういうくじ運や棚からぼた餅のようなことにはまるで縁がない。もっとも宝くじなどに積極的に参加しようという風ではないのは確かなのだが。すべては自分らしい働きで手に入れよということ。
朝からワンカップグラスの絵柄とデザイン。連想ゲーム。酒と言えば祝祭、乾杯、何に?神々に、宇宙の遍く神々に、星々に。酒は古来、神々に捧げられた。自分らしく星をあしらった絵のデザインにする。星を得る天使の恋人たち、星を愛でるユニコーンのペガサス。祝いのしるしをワンカップ飲み干す。
休養日。気ままに過ごす。ちょっとした片付けをしたりスケッチをしたり、近所に買い物に出たり。ぼんやりと、とりとめのない思索に耽ったり。ひらめきって素敵だな、単に気が付くということだけでも素晴らしいけど、「ひらめいた!」という言葉を聞くと、それだけでわくわくする。ひらめきはそれぞれが棲む広大な宇宙から来る。見えるもの聞こえること、感じることの全てを頭の中に投影し組立る、瞬時に。その結果のその場その時の一番素敵なこと。そんな時間を一緒に過ごすことの出来る友は得難い、など考える。
新宿、大京町のArtcomplex Center of Tokyoへ、描き上がったばかりの絵を搬入する。新しいタッチの作品なので、どのように受け入れられるか、あるいは受け入れ難いものか不安はあるが、時間や人や、何より自分自身が解決出来ることなので、不安と言うより、純粋な興味に近い。人知れぬ絵の旅が始まる。
今日は大分寒く感じる。東京もやっと本格的な冬に入ったのか、一日一日がいとおしく過ぎて行く。アトリエの磨りガラス越しに入る、柔らかな日差しの明るさが絵肌に暖かな印象と彩りを与え、筆先をその温度をなぞるように運ばせてみる。遠目に見るきっぱりとした線と線の組み合わせだが、近付くとグラデーションのある境目に、パステルトーンの色面が広がる。枯れて色を失った葉を残して、風に震えるように揺れる冬の枝の指揮棒。冷たさを増した空気の楽器をヒューと鳴らすこの季節に、目には見えぬ奥深くに、すでに春を隠し携えたオーケストラが、入念なリハーサルを繰り返している。
絵を描く一日。
ここのところ暫くは引きこもった生活が続く。作品制作の期間は、どうしても強く自己と対峙することになるので、集中のための環境が要る。アトリエの皆も静かにして音をたてずに過ごし、協力してくれている。不意に大きな物音をたてたり、無防備な姿を見られたりすると、インスピレーションの天使が逃げたり隠れたりしてしまう。そのようなことがないように、意気を込め、息を潜めている。
「遊ぶ」を辞書で引くと、まず、日常的な生活から心身を解放し、別天地に身を委ねる意。神事に端を発し、それに伴う音楽、舞踊や遊楽などを含む。とある。ネコたちと遊んでいて一体「遊ぶ」とはどんな意味なのか改めて考えた。イヌやネコ、ヒトと共にいてヒトと遊ぶイキモノ。当たり前のように遊んでいるが、辞書にある幾多の遊びの意味と照らし合わせると、可笑しさがこみ上げて来る。そして「遊び」の意味について真剣に考えてしまう。それがまた可笑しい。遊べ遊べ。遊ぶ遊ぶ。
コクリコ1/Coquelicot1
F10
Acrylic on canvas
04122015
コクリコ2/Coquelicot2
F10
Acrylic on canvas
04122015
X’mas ACT ARTIST EXHIBITION
アートコンプレックスセンター10号展
2015.12.16.WED-12.23.WED
11:00-20:00
The Artcomplex Center of Tokyo 2F ACT1,2
ミック・イタヤが参加する展覧会です。約50名の参加者は、全員F10号の作品を2点出品します。統一制限された範囲の中で創造される、各作家独自の世界をご覧ください。
The Artcomplex Center of Tokyo
160-0015東京都新宿区大京町12-9 B1F
INFORMATION 03-3341-3253
info@gallerycomplex.com
星のアトリエにて。月曜定例ミーティングの時間を除いて終日絵を描き続ける。余計なものはいらない。
昨日描き始めた作品の下絵を手直しする。下絵には完璧を期す。何の変哲も無いように見える絵に、幾層もの意味や思いを込めること、薄塗りで。込められた意味や思いの真意は語られることはなく、見て受け取るのみ。これから4日で仕上げる。
ゆっくりと穏やかに絵を描いてゆく。二枚並行して描き進める。同じ主題を持ち対になる少女は空想する。眼を閉じればそこにいる。眼を開けばここにいる。少女たちがくちずさみ歌うところに。
すべてえをえがくためのちからにする。すべてをいきるためのかてにする。
急に寒くなる。気候の変化に身体がすぐには馴染まない。外に出て身体を動かす仕事なら良いのかも知れないが、アトリエでじっとしていると固まる。日暮れる前に外出して身体を暖めほぐす。
午前中雨の中、お不動さんへお詣りに。午後、ファッションの仲間と話していて面白かったこと、五本指ソックスの話題。しばらく履いてみたことはあり気持ちはいいけど、朝急いでいる時にすぐにさっと履けないので今はもう履いていないという。そもそもスタイルとしてかっこいい感じではないイメージと、多分かっこいい五本指ソックスが少ないことも一因だろうが、一度履き始めると足指が気持ち良くて止められないのが五本指ソックス。人にもよるが快適に感じられ、健康に良いのも確か。普通の靴下との重ね履きをするのが上級者。
大人しくして力を蓄えたい気分。毎日が散漫にならないように意識を束にする。光を集めて暗いところに当てると、黒に向かう光は反射することなく突き抜ける。生まれたての幼い作品をあやし愛撫する。アンテナで感受する健やかな心。
姪の結婚式。美しく可愛らしい。三姉妹の末っ子は感情豊かな太陽娘。
星のアトリエに飾ってあるいくつかの作品を仕舞う。少し時間をかけて、新しいものに取り替えようと思う。アトリエに飾ってある作品は、特に脈絡はなく、何となくが始まりで、何となくずっとそのまま飾られている。あまり意思が働いていないのが気楽で良いのだが、作品に限らず、ものが増える一方なので少しは気にしようと思う。ものを減らして残るものが残るもの。残るものが良いものと限る訳ではないのだが。どのような理由でどのように残すか残るか、興味のあるところ。自分の内側を整理するのに似て。
外出して必要なものが出来、たまたま近くを走っていたので、昔アトリエへの通り路で毎日のように立ち寄ったスーパーマーケットに入る。駐車場も変わらず、店内の商品レイアウトも変わらず、ただ売り場のサインは見易くなっている。品揃えの内容も驚くほど同じ。しかし店長以下、スタッフは誰一人として見知った人はいなかった。5年も経てば無理もないか。便利は良いが、やはりずっとお馴染み、顔見知りでいられるような店が好きだ。
キャンバスの下塗りをする。乾くまでの間にマップケースの中を整理して、届いたグラシン50枚を収める。キャンバスの下塗り二度目。乾くまでの間に棚の上に積まれた仕事の資料などを分類し、ボックスに仕舞う。日が暮れてミーティングの時間になり続きはまた明日。
今日は何だか朝から気が乗らない感じではある。するべき事はたくさんあるし、何をすれば良いのか理解っているが、遠巻きにして近寄らない。一、二歩あゆみ寄って核心のテリトリー、引力圈にひとたび入れば、なすべきことの完成へ惹き込まれて行くのは必定。早くそうしたいと思うのと、もう少しこのまま怠惰でいたいのと、気持ちを徐々に盛り上げ、長い滑走の準備へとそわそわする。やがて現れる一番相応しい時を見付けようとしてキャンバスを引き寄せる。そわそわしているうちは散歩でもする。この数日の間に見聞きしたことが沈殿するのを待ち、自分の内部を澄んだものが流れるように、充ちるようになるまで。とめどないそんな毎日。