PICTURE DIARY 0108SA2020
梅雨明け。昨年よりも8日遅い。夏が短く、夏休みも少ない。量より質への切り換えということ。蝶々を追いかけるよりも、眺め愛でる日々。
梅雨明け。昨年よりも8日遅い。夏が短く、夏休みも少ない。量より質への切り換えということ。蝶々を追いかけるよりも、眺め愛でる日々。
COVID-19の紙芝居を描く。小さな子供たちのために。描かずにいることが出来ればと思っていたが、少しでも役に立てば。
ゆっくりうねる大きな波のような。身をまかせていると感じない酔うような。泳ぎは下手で浮くのもやっとだが浮遊する。氣持ち健やかなら全て善しの日。
水曜日。週の真ん中は休み休み遣り過ごす。力まず力を使い、掴まえたものを逃がさないように。または、掴まえに行く準備をする。閃き煌めきときめき。
意志と魂がこもり、熱と命の息吹が宿る。白い紙の上に。シロイカミノウエニ。
古い友達から便りがあると、想いと思いが繋がり、互いの記憶が甦り、当時の空気が漂い風が吹く。昔話は伝説のようだ。懐しさより、今を生きている愛しさを感じて、弾む心が互いの間にこだまする。
靴がカビにまみれてビックリ。革靴を履いて出掛ける機会がないこともあり、それにしてもただならぬ湿気。靴磨きの午後。
アーティスト、デザイナーということではなく。それらを超え、それらの一部であるように仕事をする。
自然に対して音楽を創り奏でる。自然に対して絵を描き捧げる。美は人のみに向けるものではない。神や自然に手向ける。人もまた自然の一部である。
長梅雨に苔が美しい。庭のあちらこちらに。長梅雨にカビが悩ましい。部屋のあちらこちらに。
思い込み。ロゴデザインを進めて社名のJAPANとTOKYOの間違いに氣付かず、クライアントに確認用のデザインデータを送る。即、社名は◯◯JAPANではなく◯◯TOKYOです。と連絡があり大笑い。最近ビックリした出来事。社名を◯◯JAPANに変えようかな、というクライアントにホッとする笑い話。恐ろしい。
何事も、万事順序よく丁寧に。
温度差。寒いとか暑いということではあるが、寒い季節のなかで、あるいは暑い季節のなかでの2~3度の温度差には、氣が付きにくく認識しにくい分だけ調子に影響するようだ。
午後をぼんやり過ごして、ぼんやり感じたこと。世は無常、時間と存在は多重、多次元で、我々の実存、実体は瞬間の連続である。過去も未来も無く全ては幻。同時に無限の実在が少しだけずれながら時間の数だけ無限に存在する。現在時間だけが個と共に有り、実在は無限、無常。毎日こもっているとつい考える。
インスピレーションは光よりも速く、イマジネーションは渇れることはない。
流線型に夢や未来を感じる。訳知らぬ幼少時に流線型の物が好きで集めていた。なかでも車のウインカーやスモールランプなど、赤やオレンジの流線型のプラスチックパーツは、近所にあった廃品回収置場でゴミとなり、さらに不用品として棄てられた欠片を拾い集めた。流線型の乗物の絵を描いてはカーデザイナーに憧れ、後年スーパージェッターの流星号が登場した時には、自分の絵とそっくりなのに驚き、TVに夢中になった。流線型や楕円形が好きなのも、祖父が0歳の誕生祝いにくれた、セルロイドのアヒルのくちばしの流線型に恋してからずっと。
蝉が鳴いた。ミーンミーンと鳴いた。短く季節を告げた。ピタリと鳴き止み、また雨が降り始める。何があろうとも移ろい動き変わり行くこの無常の世界。
今日は芥川賞の発表がある。小説家太宰治の孫娘が候補にいる。太宰が欲しくて欲しくて仕方のなかった芥川賞。孫娘が取れると良いな。太宰は公私共に誤解されていると思う。
子供の頃、写生大会などで、皆の絵には必ずと言っていいほど太陽が描かれていた。赤色や橙色や黄色い太陽がぐりぐりと元気いっぱいに。空にあって直視出来ない眩しい太陽は、世界を照らす。太陽の冠コロナは美しい。疫病を「コロナ」と呼びたくない。
故郷をテーマにユニサスをモチーフにした小作品がある。空を飛ぶ2頭のユニサスは1頭は都会を振り返りながら故郷へ還り、もう1頭は真っ直ぐ都会へ出て往く。故郷の山はいつも見守る。
自由が丘の「six」が閉じる。ステーショナリーなど洒落た物が多く、好きな店だった。実店舗のみ閉鎖とのこと。今後を楽しみにしている。
今日から父の故郷、下館の「しもだて美術館」で安齋肇の展覧会が始まる。一昨年、安齋氏がぼくの展覧会を見に来た折り、学芸員のラブコールで開催が決まった。コロナの影響などで、開催が危ぶまれたが無事スタート。愛のこもった展覧会になるだろう。
やっと大仕事が一段落。各メゾンのコレクションが始まり色々な工夫が見られる。曲がり角に来たら左右はもちろん上下にも氣を付けて耳を澄ます。一段落した仕事も二段目からが本番。普段は聴こえない声を聴く。言葉を超え心地好い。
ブラームスのピアノ曲を聴く。子供時分、家族の生活と学資のために弾いていた、酒場や宿屋の残照と埃っぽい空気。旅芸人の気儘、高貴と下世話の類希な音色が心地好く、その人となりが現れ、関わりのあった人々の名が浮かんでは消える。シューマン、クララ、ヨアヒム、シュトラウス、ワグナー、ドヴォルザーク、そしてべートーベン。
大雨。人類の問題が自然界に反映している。
七夕はいつも雨。雨雲の上で逢瀬の織姫と彦星。
銀行、郵便局、役所など廻る。電話や窓口の対応の様子で分かることは多い。
叔父さんは特別だね。ジャック・タチの映画「ぼくの伯父さん」、いつか映画を撮ることがあるならジャック・タチのような。そう思う人は多いかも知れないけど、とてもとても。なかでも「プレイタイム」は輪をかけて凄い映画。叔父さんたちを想う。
先日深夜、隕石と思われる大きな火球が空を横切り、千葉方面に落下したのではと言う。地球に墜ちて来た男か女か、性別はあるのかないのか。宇宙人を差別しないようにしなければならない。宇宙人に差別という概念はない。
テレワーク中のアシスタントA、午後2時間程、星のアトリエに来る。開口一番髪を切りました!と元氣良い。黒いニット帽とマスク、黒縁の眼鏡を外すと可愛らしいマッシュルームになっているが、やおら、虎刈りになった!と刈り上げた襟足を見せる。髪は自分で切りステキだが、刈り上げが上手くいかず、虎になり自宅で悶々としていたらしい。それを隠そうと、ニット帽に眼鏡と目立ち過ぎる変装をしていた。準備万端バリカンを持参したので、あとで刈って欲しいと言う。帰り際に刈ったが、余程すっきりして嬉しかったらしく、今日はこのために来たとうそぶいて、跳ねるように帰って行った。
マスクをして生活している。人が衣をまとうようになるのはどうしてだったのだろう。環境変化、古代宗教、ヒエラルヒー、理由は色々あるだろう。現代人は無毛に近いが、果たして全身を覆っていた体毛が、着衣による退化、あるいは進化によっての現在なのだろうが。長く着用するであろうマスクによって、人類の鼻や口周辺の造作や機能は退化するのだろうか。進化するのだろうか。
良い無農薬レモンを手に入れたので、皮ごとスライスし蜂蜜レモン漬にする。酸味と甘味と苦味の三味一体。バランス良く、甘味を抑えて。温かい紅茶に入れても冷たくしても、炭酸で割っても。これからの暑さに備えて強い味方。
久し振りの出張。厳かな緊張感がある。
三位一体。何事も三拍子揃うと強い。三人寄れば文殊の智慧だし、三本の矢は束にすると折れないという。三種のものの見方や角度を満足すれば、大概のことはクリア出来る。裏を返すと、三つのマイナス要素が重なると何事も上手く行かない場合が多い。
世の中の価値観や習慣は変わるもので、昔、煙草を吸うのは格好良いことだったが、今では隠者の嗜みのようになっている。格好良い車を持ち運転する楽しみやガソリンの匂いなど、いずれ、まだそんな野暮で野蛮なことをしてるの、という位置になるのだろうと思う。
海外トピックス、台湾のピザチェーン店が世界初のラーメンビザを発表したとある。今まで日本に無かったのが不思議。何となく蒸し暑い土曜日らしいニュース。美味しいかな。
集中困難を気候や天気せいにする。こらこら。とはいえ。
紀尾井町サロンホールでミーティング。小さくて素晴らしいホール。音響への工夫と配慮が美を生む。
毎日新しいことに氣付く、氣付かされる。鈍感だった神経が敏感になる。この時勢、敏感過ぎると憂鬱になるので少し鈍感にする。
おやつに小豆煮。天然塩の薄い塩味つぶ餡という仕上り。十日前に漬けたらっきょうを食べる。こちらも自然な醸造酢と薄い塩味。共に美味。甘味が苦手な訳ではないが、甘さの性質が好みに合わないものが多い。
急に涼しいと、暑さに馴れた体には、過ごし易く感じる分だけ、いつ知らず体が冷える。ご用心。
壁画の構成とスケッチに長い時間をかける。モチーフは決まり、構図を練る。実作業の何倍もの時間が要るのは当然。多くの人と毎日接して、永い間変わらぬ景色になる。さて、ここから。
曇りの夜空を見上げる。月もなく、星もなく、ただ都市の灯りをほんの少しだけ吸収した朱く暗い灰色。もうすぐ雨が降り始める。海に還るために。
急に肌寒く一日雨。過熱氣味な仕事の手を休め、パーセルの歌曲でくつろぐ。ブリティッシュバロック、芸術文化の伝統的国民性やテイストは、時代や分野が違っても変わらない。