PICTURE DIARY 2710TU2020
描きたい人は何でも自由に描けばよい。人の迷惑にならないように氣を付けて。描いたもの自体が迷惑なモチーフの場合もあるが。道徳的であろうが不道徳であろうが、描きたければ自由に描けばよい。
描きたい人は何でも自由に描けばよい。人の迷惑にならないように氣を付けて。描いたもの自体が迷惑なモチーフの場合もあるが。道徳的であろうが不道徳であろうが、描きたければ自由に描けばよい。
アシスタントAが鰹のたたきを持って来る。土佐の高知、四万十の生まれ育ち。お返しにという訳ではないが、頂き物の鮭の切身を分ける。こちらは築地から。美味しいものを一緒にいただき、分け合う。この時世ではなかなか大変だが嬉しい。
店頭に蜜柑が並び始めた。蜜柑を昔のように食べなくなった。冬といえば炬燵にTVと蜜柑の団らんを思い浮かべるが、今時は炬燵も無く、TVも視なくなり、団らんする家族もいないとなると、蜜柑を食べるシーンが少ない。近頃の生活ではタッチパネルなど指先を使うので、それも大きな理由かも知れない。蜜柑を買いテーブルの上に山盛りにしてみる。
朝陽と共に仕事を始め、夕陽と共に仕事を終える。空と海の瞳、空と大地の瞳、空と草原の瞳、空と森の瞳、星空と月の瞳、夜空と夜の森の瞳、瞳には全てが映る。空の青と太陽の輝きの瞳。
心、技、体、環境、材料の均衡が定まらずに、しばらく腰の入った作品に取りかかれずにいた。毎日の調子に合わせた絵やスケッチ、依頼作品は進めたが、行く手の道筋にあるものを、中途で下描きや彩色のまましばらく眠らせていた。作品は、楽しみや喜びの中でこそ育まれ、憎しみや悲しみ、疑いから生まれるものではない。
九段ハウス、二度目の訪問。1927年、関東大震災後に建てられた、強固なコンクリート造りのスペイン風住宅。地下には全館セントラルヒーティングのためのボイラー室や金庫室、収納室、一階は応接室やリビング、二階を居住スペースとダイニングキッチン、三階は主に収蔵にあてられていたようだ。大理石の手摺の階段や、鉄製の全館統一された照明器具や装飾は、媚びない造作で、アールデコの時代の施主と設計者の感覚が偲ばれる。つい何年か前まで住居として使用され、心ある人々によって取壊しを免れた。収蔵、保存の大切を感じる。
早起きして車を走らせる。目的地に到着すると一仕事二仕事。大分時間が経った氣がして時計を見るとまだ8時だ。11時にはあらかたの仕事が終了し、休憩する。一日を長く感じる。「早起きは三文の徳」とは氣持ちの徳のことと知る。
心の安らぎが一番。氣持ちを平らに、微笑むように過ごしたい。何がこの世の不安を作り出しているのだろうか、かつて不安のない世界はあっただろうか。絵を描き、現れたものを喜ぶ。美の喜びを分かち合える仲間が一人でも居れば嬉しい。幸せを感じる美を描く。
決まった生活習慣はなかなか変え難い。毎日7~8時間は眠らないと充分ではない、と自分に甘い顔をし、あと1時間早く寝て、1時間早く起きたいと思うが続かずにいる。目下の目標。
日曜日。晴れ。夢を考える。なかなか実現出来ずにいる夢。諦めた訳ではないが、時々思い出すだけになっている夢の数々。偶然に叶うこともあるが、目標を定めて歩む。夢の実現に、早いも遅いもない。
急に寒い。猫たちはヒーター前に板付き、朝から石油ストーブを出した。エアコンも暖房運転する。一氣に冬支度。こんな日はスープが美味しい。のほほんとした春産まれのせいなのか、暑さにも寒さにも弱い。スープが身体を暖め、器から立ち上る湯氣が嬉しい。
今夏の暑さのせいだろう、庭がジャングルになった。庭師も今年はどこも大変だと言う。素人には高すぎる二本の柿の木と枇杷の木を剪定してもらうことにする。剪定は自分でやるには限界がある。何事もやってみるべきと思うが、知らずに行って面白いことと、知らないと申し訳ないこととがある。知識と経験と感のある職人の仕事振りを見るのが好きだ。
「神はサイコロを振らない」と誰かが言ったが、神様の氣が変わりやすいのは確か。神様の創造するものは偉大だが、人もまた神様が創造したものだとすると、人が造ったものは神様が造ったと言えるだろう。振られたサイコロは神の創りしものである。サイコロは振られるものであるという役割と前提、結果について。
折に触れて感じることだか、絵であったり、その他の作品を製作して、自分が良いと思うものと、人が良いと思うものとが違うという事実。人がどう言おうと自分が良いと思えばそれで良い、万人が素晴らしいと称賛するものを創ろうという訳ではないが、釈然としないことのうちのひとつである。精進が足りないといえばそれもそうだが、その分、まだまだ巧く描こうとしている。やはり素氣ないものが良い。
日記に何か書かなければ、と思う日がある。そんな日は無理をしない。
徒然草を読む。短い言葉に多くの情景や想い、感情が表れ、音読すると更に美しく好いものだ。
試合は10対9で負けた。附属中学は強く、シーソーゲームで、見物していた人々には面白かっただろう。あれほどライバル心を燃やして、県大会で優勝したチームと試合し絶対に勝つ、と意氣込んでいたが、力いっぱい試合して、ゲームが終わると爽やかな氣持ちだけが残った。お互いにエールを交わしてグランドを後にしたが、試合内容や、自分の成績など、何一つ覚えていない。ただ、ひとつの明確な区切りとしての記憶があるだけだ。高校では野球部への誘いもあったが、他の道を選んだ1969年秋。
中学時代は野球部だった。近くに国立大の附属中学があり、私立の進学校の僕らは、附属中学をライバル視していた。野球部のキャプテンとして3年生最後のシーズン、チームは市の大会で3位になり、直接対戦することのなかった附属中学は優勝して、そのままの勢いで県大会に優勝した。監督に、中学最後の試合を附属中学とやりたいと申し出ると、自分たちで申し込みに行けと言う。部員の申し出による試合なので、監督や部長先生が出る幕ではない。自分たちの氣持ちをそのまま伝えろということだ。早速、副キャプテンと共に相手の練習グラウンドに行き、附属中学のキャプテンに中学生活最後の試合を申し込んだ。キャプテンの怪訝な表情が、よし、やるか!という笑顔になり、日を置いて承諾の連絡を受け、次の日曜の午後、附属中学のグランドで試合の予定となった。
つづく
馬の民芸品や玩具がある。午年に生まれ、おそらく祖父母が旅行のおりや、父が出張のさいに求めたものだろうと思う。小さな時には遊び道具で、背に乗ったつもりでヒヒーンといななきながら空を翔んだ。今も回転木馬に跨がり、果てしないイメージの旅は続く。
台風の影響か終日の雨。小降りになった隙に、柿の木に小鳥がたくさんやって来て柿の実をつついたり、虫をつまんだり可愛らしくやかましい。雨と一緒になり、百日紅の花と小鳥の対照が美しい。虫には災難、柿の実を楽しみにしていた我が身はなすすべなく、心穏やかに眺める。木の実や花など、自然を愛する皆のもの。
整理整頓するように人間関係も変化する時世。強い関係はより強く、希薄な関係はより薄く。人との往き来が少ない。隠遁など考える。世田谷の150年以上経た古民家に10年程住んだ時代は、早い隠居と称した。自ずと作風も変化し、和の生活を楽しんだ。現状では隠遁など不思議なことではないだろう。山奥に住まう生活や創作を思う。
知恵や工夫があり、それらが氣持ち良く感じられるものが好きだ。知恵や工夫があり、それらを感じさせない氣持ち良さは、より好きだ。知恵や工夫をせずに、それらがあることさえ覚られず、感じさせない氣持ち良さは、さらに好きだ。
でしゃばりは良くない。人を見てそう感じることはあるが、自分を省みると果たしてどうだったろうかと思う。積極性とでしゃばりの境界が曖昧になることがある。そういうことを考えるので消極的な引っ込み思案になる。ゆえに、案外どうでもよいことに時間を費やしている。やることをさっさとやるのがよい。
星のアトリエ隣に相次いで建った2軒の集合住宅には、短期滞在人向けの部屋が幾つか用意されているらしく、聞こえる声や物音、様子が早いサイクルで変わる。善くも悪しくも、通過点なのだろう。東京はどこに行っても似たり寄ったりな街になる。自分たち独自の考え方生き方、文化をよく考えて未来への道を求めた結果なのだとしたら。喜びと信頼出来ることがあまりに少ない。
人生の岐路に立ち、未来への不安におののいていた頃、ふと占いを見ると「灯」と出た。他に「太陽」、「大地」、「宝石」などある中、「灯」か、と少し不満を感じた覚えがある。占いを信じる信じないは各々だが、占いには必ず理由がある。その後、幼時からの縁で提灯の仕事に係わることになり、古来暗がりを行く人々の行列に先んじ、行方を明るく照らしながら先頭を進む提灯の役割は、いかにも自分らしいと自負し、今は不遜にも、時代の提灯持は我が定めであると思う。灯。
影響を受けたものを昇華する様子を、日々の創作の内に素直に現す。隠す力や氣持ちが在るわけでも、器用でもない。毎日の生活で見知った素晴らしい物事が、自分の内でどう生き、活かせるか、人にどう届くのか。全ての芸術は模倣を赦す。模倣で満足は無い。常に途中。秋。
草を刈る。鉢植に水を遣る。空は高く晴れ渡り、十五夜の月が赤みを帯びて昇る。たまたま丸い煎餅を目の前にして、月見団子も良いが、この丸い煎餅の方が、よほど月のようにも見えると思いながら噛る。パリッと割れた月は、腹におさまり月見団子の番になる。食いしん坊。甘辛甘辛。
9月が終わり10月に入る。1日は十五夜だ。明日の日中は雨の予報で、夜になると晴れるという。晴れるといいな。近頃の天氣予報は細かく、はずれないのでありがたいが、天邪鬼なので正確に知りたくないとも思う。天氣を、空の様子や風や匂いで感じていたい。時々痛い目には遇うが、そうしていたい。
仕事をしながら内省的になるのは発散が足りないから。かといって発散ばかりでは仕様がないが、何にせよ足りないのは良くない。仕事場の模様替えをしてみよう。素直な流れが生まれるように。何にせよ流れが滞らず滑らかに、それでこそ生きるものが活きる。
星のアトリエの小さな庭に挿し木した蔓薔薇が成長し、門柱に絡み付くほどになった。この季節は茎が柔らかく、言うことをきいてくれるのは今の時期が一番だとのこと。どこへ伸びて行きたいか、たずねてみよう。
多くの人は、写真や動画などで毎日の出来事を残す。自分もそのようなことをしている。千年も経った頃、優れた日記ブログとして残るものもあるかも知れない。あろうがなかろうが、何かを残そうとしている。後世に伝えたいビジョンより、欲求と楽しみのために毎日が過ぎる。少しずつでも考えをかたちにして積み重ねる徒然。
朝、神楽坂辺りを通る。暮らしてみたい誘惑に駈られながら。雨がしとしとと降り、季節の奴、秋を飛ばそうとしている。秋の味覚、芸術、夜長、読書、虫の声愛しく。そういえば、昔から決まり事を作るのは苦手だな、などと考える。季節も気儘になった。
音楽の女神をスケッチする。人々を鼓舞し、慰め、見守る。左右一対の女神。その音は全天から隅々まで交わり、永遠の美を奏でる。美しい音楽に充ちた空間に憩う時を想い描き、微笑みと慈しみを生む。
昨日、ジュリエット・グレコが亡くなった。好きな国、好きな街、好きな時代、好きな文化、好きな出来事、好きな芸術、好きな音楽、好きな歌、好きな映画、好きな人々、好きな人、好きな女性。拍手は止まない。アンコール!アンコール!アンコール!ミューズありがとう!
台風が近付いて来る。HAPPY ENDの曲が頭に浮かぶ。「ドドドドドッドーほうら来たー」。渋谷に住んでいた頃、東口近くのMaxroadは行きつけの珈琲店だった。まだトレスコープを持たなかったので、デザインのため、金王坂下のクロスタワーにあった伊東屋に毎日のように通い、その道筋にあるMaxroadは重宝で、仕事の打ち合わせなどでもよく立ち寄った。後に作詞家の松本隆さんゆかりの喫茶店と知るが、風街を襲った台風が吹き飛ばし、今は記憶のなかにだけに残っている。「ほうら来たー」。
彼岸墓参。住職と世情の短い立話。皆が手など清潔にするので眼医者が暇になっているなど。そこここに仏花美しい。夕陽速い。
絵具を整える。瓶の中で固まったものを剥がして洗う。作り置いたものを混ぜ、新しい色を作り瓶に入れる。自然に自分好みになるもので、そういう色を覚えないようにする。いつも新鮮であるように。氣持ち良く新発見できるように。忘れる。
寒くなり、猫たちが甘えて寄ってくる。ここのところ毎日、漠然と頭にあるイメージを大きく小さく想い描いている。それが秋口の氣温の低下と共に固まり始めたようだ。どんなかたちで取り出せるか楽しみだ。猫たちの自由な寝姿にも似て。
久し振りの電話。声を聞くのは嬉しいこと。他愛のない用事と他愛のない会話。いつでもどんな時でも印象が変わらないのが信条。しっかりと自分のペースで生きる人。
子供時分には良さが分からず、食べる必要もなく、子供には不味くて食べられないものがあったように、大人にならないと分からない言葉があるものだ。今だから理解できる言葉に再会するこの頃。
コンラン卿が亡くなり、小さな男の子が持つ夢のことを想う。子供の頃は、夢の中に生きる時間をたくさん持ち、未だ見ぬ世界を自在に往き来し、日夜冒険に余念なく、空想の世界に笑い、泣き、怒り、途方に暮れながら勇氣を奮い起こしていた。枕元にはお氣に入りのおもちゃが並べられ、寂しい夜に寝ずの番をしている。中でも信頼のあついぬいぐるみは、一緒に眠ることをゆるされ、王様の寝言を間近に聞くことができた。コンラン卿の生涯がそのようであったろうことを想う。
一日中眠る。子供のころのように眠い。タオルケットにくるまり、猫と同じように眠る。
この世情、自己を押さえ込み過ぎて、自家中毒の発生に注意。発酵ブームが続いているとは言え、食えなければ仕方がない。
近年、伝統工芸品のデザインや展覧会に関わりを持ち、意義深い仕事をする機会を得て痛感したのは、伝統工芸品について知識のある人はもちろん、知識も興味もない人を含め、どのようにその存在を知らせ、手に取る機会を作り、使用イメージを具体的に示し、どこで購入でき、どのように生活に使用するか、総合的な未来生活へのビジョンを道案内しプロデュースできる人材の育成と組織の必要だ。