PICTURE DIARY 2101TH2021
こまごまとした片付けに費やす時間が楽しい。今日はマップケースの中。特にストックしている紙に重点を置いて。白い紙、水彩紙、ケント紙。色紙各種。カットして使い、不規則なサイズになった紙を集める。次回はA版、B版などの定型にカットする作業。こういう事を始めると思わぬ発見があり面白い。
こまごまとした片付けに費やす時間が楽しい。今日はマップケースの中。特にストックしている紙に重点を置いて。白い紙、水彩紙、ケント紙。色紙各種。カットして使い、不規則なサイズになった紙を集める。次回はA版、B版などの定型にカットする作業。こういう事を始めると思わぬ発見があり面白い。
大寒。1月に産まれたばかりの妹に、何かの拍子で水がかかり、ヒャーッ!と声を挙げたのを、父がそんな声は漫画の中だけかと思ったと笑うのを、だって冷たかったんだものというつぶやきと共に覚えているという妹。0歳の記憶。
5月開催予定の展覧会準備に入っている。作品製作や選定をしながら、過去と現在と未来に向き合う。いつでも未来はその先の未来からやって来る。美しいイメージを具体化し、視覚化し未来へつなげる。未来も過去もねじれた現在に切り取られ、メビウスの輪のように表裏一体に連なっている。
手水の水を替えるとすぐに鳥や猫がやって来る。今朝はつがいの頬白がやって来て代わる代わる喉を潤した。すると少しの時間差で野良の雉猫がそそくさと水を飲み、固いつぼみを付けた梅の木から塀に跳び乗り、悠然と視界から去って行った。やはり台本があり、出を待っているに違いない。そう考える僕の役は。
人間に冬眠の習性は無いが、冬眠を考える。必要な食料を蓄えて巣穴に籠り、暖かく安全な春を待つ。冬眠の方法は経験が無いので熊やいたちに聞く。ここを乗り切るには、分かりやすく参加しやすく納得のいく仕組みがあるとよい。リスやコウモリも遊びで冬眠している訳ではないが、遊ぶような楽しさがあるとなおよい。全て自然の中に答がある。氣持ちの良い世界に生きたい。
神社境内の日向に座る。絵馬が風に揺れてからころ音をたてる。目を閉じてじっとしていると、願いが風に抱かれ、光に融け込み、踊り跳ねながら成就に向かうのが見えるようだ。正殿では柏手の音が様々な人々の詣でを表し、氏神様が静かに聞き入れている。
すべての存在は表裏一体をなしている。自然や宇宙しかり。物体も思想も物理も化学も歴史も人物も何もかも。表を見るなら裏も見る。わかる、わからない。何か感じることがあるとすれば、それこそが存在の本質。
夢というのは、認識している日常と平行し同時進行する、隣り合う世界の出来事が交差して現れたもののような氣がする。
以前は、寝しなに思い付く素晴らしいアイデアがあって、枕元にはいつもメモ帳とペンを置いていたが、最近はあっという間に眠ってしまうので何かを思い付く暇もない。眠ると面白い夢を見るので、起きたら記そうと思うが、面白かったという印象だけ覚えていて、内容は思い出せない。
生きるのに近道も抜道もない。出発点も終着点もない。あるのは心だけ。
成人の日は1月15日。福生のハウスから多摩美に通っていた。福生市から式典の案内が来ていたが出席はしなかった。友人たちと祝ったかどうかなど記憶は無い。酒も煙草も身近に有り、二十歳の成人を祝う意味を感じなかったような氣がする。心の内にくすぶるように、可愛らしい悪魔の尻尾を持つ、優しい天使を住まわす反逆者。その天使とは今も仲好くしている。
二匹の猫たちの部屋は、二階南側で一番陽当たりが良い。ソファーと仕事用の組立式のテーブル、工具等があり、主は猫の手も借りたいような仕事にも使う。猫たちは主が大切な仕事をしていることが判るらしく、邪魔はしない。絵などの作品が出来上がると絵の前に揃い鑑賞する。どうだ氣に入ったか?出来に満足すると、伸びをして、絵の前でポーズをとる。自分たちの絵だよと言わんばかりに。氣に入らないものは無視する。どちらにせよ猫たちの許しを得て作品は南の部屋を出る。
この冬三度目の鍋焼うどん。寒い夜の定番である。細い身体なので、寒さも暑さもこたえる。春や秋が最良の季節だが、近年それが有るのやら無いのやら。少しは筋肉を付けるか。
東京に昨日、緊急事態宣言が発出された。世の不自由は続く。星のアトリエの日常は、主の仕事が元来引きこもり氣味で、日頃多くの人に会うのを好まないため一見大きな変化はない。大作に取り組み、製作出来る場所まで自由に往来できないことが悩みだという。人の心を晴れやかにする作品を生む務め、不平を持つ暇も余裕もない。作品は逃げはしない。
七草粥。身体に優しく芯から温まる。窓。壁に意図的に開けた穴。穴は覗きたくなるものだ。絵画も写真も画面も窓には光や灯りが付き物。粥を食べながら窓外の暗がりに光を探す。月星の明かりが窓の外から粥を覗き込んでいる。
霧は幻想的で素敵だが、すーっと霧が晴れたように生きたい。霧や霞がかかった世界は時々でよい。
仕事始め。「花の妖精」のと「街角風景」のペン画を数点描く。他に雑誌連載の8ページ分。年賀葉書返信用の絵など。
計画を立てるが人に伝えるのが苦手なところがある。自己完結しがちな性格には困る。言ったつもり、伝えたつもりでいる。そこにせっかちが輪をかけて、思い付くと目的めがけて矢のように飛んで行く。周りを見てよく考え、冷静に。
描き初め「太陽天使」を描く。同じモチーフを描いても当然毎年毎回違う。今年も淡々と違いを積み重ねる。旅のスケッチを6枚描く。どこで何をしていようが人生は旅。旅の徒然。
何となく棚にあるファイリング前のスケッチや資料を取り出す。見ているうちに分類し始め、ファイルにまとめだす。忘れ去られた遺跡の発掘隊が掘り出すものは、創作史的な価値があると思えるあれこれ。なぜ?と首をかしげたくなるものの数々は、経年による評価を待ったもの。発掘隊員が、隊長!と大声を上げるので、見ると歴史を覆す大発見もしばしば。次回は日時を決めて発掘する。
初日を浴びる。光の圧倒的な実。虚と実。映像の日の出は虚である。実があるから虚に対応出来る。実を取り、調和を図る新年。一年の計。
ラジオから懐かしい音楽が流れる。ラジオを聴かなければ、懐かしい曲に出会う機会は少なく、懐かしいと感じる心も開かない。童謡や民謡、歌謡曲、色々。師走大晦日の選曲は、明るく感傷に耽ることが出来るように、暗黙の工夫がなされているようだ。ゆく年くる年、大晦日から元旦をさかいにして、人々の氣持ちは変わり、新しい歌を紡ごうとする。
諸々やっと一段落。少しは余裕を持って年を越し、新しい年を迎えることが出来そうだ。無邪氣に笑い合い、互いに肩を抱いて喜びを共にする日を願いながら。
70’年代のサウンドを聴いていると、グルーヴィなノリに惹かれる。ラフでノーブルでハイセンス、ハードでデリケート。圧倒的な華と色気。コンピューターやデータに支配を許し、思い切りや大胆、やんちゃが影を潜め平均化した様は、義務教育のようだが、いつだってはみ出すやつはいる。今時あえて平均値を狙う例もあるが大概は貧しい。ただ楽しい音楽を聴きたいだけ。もうジャンル分けはいらない。
冬用のタイヤに替える。門松を飾り鏡餅を供え、年越しの準備のあれこれ。細やかであり大きなグルーヴを生む年末の譜面。ビバーチェ。
冬至を界に風の時代に入ったという。それを識り、感じる人々が新しい時代を担うだろう。風にまつわる言葉や出来事、役割を考える。風の吹く街に生きて。
亡き人々の意志に沿って生きる活かす変化する。
いばらきデザインセレクション表彰式。水戸にて。選考委員として出席する。念入りな感染予防対策に担当スタッフの心遣いや緊張を感じる。速やかに段取り好く、予定した半分程の時間で終了する。デザインの質は上がったが、平均化も進んでいると感じる。各デザイン界の融合と専門化、手作業の大切。起承転結。
クリスマスイブ。何かとても大切なことに氣付かないまま生きているような氣がする。危ういこの世界。
スキップして帰る。最近したことがない。けんけん跳びも。
風を切って走る。いつも音楽が聴こえる。
乙女の肖像画、混合した画材の相性で、絵具がカンバスから剥離する。表情が予期せぬものになり新しい。剥がれ落ちた仮面のように、絵具の下に潜んだ顔が、乙女の本性を感じさせるようだ。今加える筆は無い。
終わりは始まり。長年続けたことを止めるとしても、後を引き継ぐ者が居るように進められればよい。はたからどう見えるかは関係なく、して来たことを止めても必ず続きがある。今日、旧知の美容師がサロンを弟子に託し東京を離れた。時々戻ると言うが、新たにすることの内容や意味は語らず。聞きもせず知らないまま。
砂利道を掃除していると、急に霰が降り始めた。白い天使は小石の上でぴょんぴょん跳ね、暫くすると溶けて、丸い水跡を残し小石の中に消えた。通りかかった散歩の犬が、黒く光った毛並みの表面に白い天使を遊ばせ、鼻を鳴らす。その鼻先にも天使が弾け溶けて犬を喜ばす。天使は分け隔てなく伝言する。冬の訪れ、自然の行い。天上の意思。
朝から少し間合いがずれる日。やはり朝起きたときが肝心。ひよこが生まれて最初に見たものを親と定めるかのように、朝の氣分や出来事が一日を支配し、決定付けることが多い。
来年はどんな年になるだろう。どんな年に出来るだろう。どんな年にしよう。計画や氣持ちが、いつもの年末と違う。自分が出来ること、人の役に立つこととは。
ベートーべンの誕生日。モーツァルトと共に、とても世話になっている。星のアトリエで聴かない日はない。
創庫に入れる前に作品の掃除や確認など。アトリエに還って来た作品を手入れしていると、どこか優しく誇らしげな安心感に包まれる。
星のアトリエ入口への小路は砂利道だ。この季節の掃き掃除は、風に枯葉が次々枝から離れ、舞うにまかせて、適当な案配に残し掃き取る。砂利が地面にめり込むように埋まっているのは少々氣になる。小石がフワッと浮いて立体感を保ち、踏み歩くと微かな音をたてる程度が好い。箒で起こし均す。
以前、森雪之丞さんとの共著「天使」という詩画集を出版した。今日来廊し、その「天使」を持参した女性にサインを求められた。久し振りに手に取って見ると、懐かしさよりも今を感じ、しばし見入った。永遠が記されている。早速、雪之丞さんに連絡する。
小さな時から勉強が嫌いだ。算数、理科、社会等々。やれば出来るはずなのに、と言われ続けながら。歳を得て必要なことを自然に身に付けている。自ら好きで夢中になることの傍らで、知らず知らずに学んでいる。
自分の絵が一同に会し、見る機会は少ない。展覧会場に架けられた作品の数々を、何氣なく見ることが出来るようになるまで時間がかかる。場の空氣や、見る人の目が絵を磨く。自分の目が他人の目になる。
箱書する。漆工芸作家の辻 徹さんとの協業作品。八溝塗錫彩盃十六客揃。「太陽讃歌」、太陽、星、雲、波、雷、雨、山、滝、川、木、花、人、月、魚、海、そしてまた太陽。自然界の水の循環を顕す十六客揃。基本。
毎日出来るだけ穏やかに過ごしたい。