PICTURE DIARY 3005SU2021
COSMYTH4楽日。開催期間中は雨もあり、今日は晴天。人それぞれを守護するは千差万別、思いもよらない存在でもあり、ものであり人であり、かたちの無い何かであり。古からの有形無形の連なりでもあり。
COSMYTH4楽日。開催期間中は雨もあり、今日は晴天。人それぞれを守護するは千差万別、思いもよらない存在でもあり、ものであり人であり、かたちの無い何かであり。古からの有形無形の連なりでもあり。
仕事の休憩時間。ソファに深々と腰をおろすと、アリスが膝の上に乗り、しばらくするとナイスがお腹の上に来る。アリスは必ずソファの右側から跳んで、膝の上を通り過ぎ、くるりと戻ってピタリと膝の上の定位置に。ナイスは必ず左側から、何の前触れも無くソファの肘掛けに跳び上がり、ゆっくりとお腹の上に降り、慎重に横になる位置を定める。しばし平和な休憩時間。しかし、突然外で猫の鳴き声。アリスとナイスは遠慮なく膝とお腹を思い切り蹴るように飛び窓辺へ。休憩終了。だから腹筋は鍛えておく。
夕方アートコンプレックスセンターへ。ロンちゃんこと伊藤桂司御夫妻来る。奥さんには初めてお会いした。とても素敵。伊藤氏の世界がより立体的に見える。
真舘くんが参加する展覧会初日。朝子さん、晴子さん、二人のお嬢さんと絵理子さんの活躍で見事な展示になった。真舘くんも雨雲の上で喜んでいるだろう。
以前は、季節の変り目に喉がいがらっぽい感じがすることなど、さほど氣にはしなかったが、近頃では大事をとり、外出などを控えるようにしている。展覧会の開催中だが人と会う約束が難しい。
世に、価値のないものはない。
葛餅、大好物。黒蜜と黄粉のコントラスト、葛餅の簡単に混じり合わない不屈の食感に、和の風土が育む発酵文化の妙味がある。
夕方、アートコンプレックスセンターへ。訪れる度に不思議な情緒を感じる場所。異国の空氣、あるいは無国籍な。
自分自身にも言えることだが、世の道徳観は麻痺しやすい。物事をはっきり言わなければならないような生活と生き方は性に合わない。言わずに暮らしたい。ぼんやり生きるという意味ではなく。今さらながら教養が身に沁みて大切。
展覧会場に安齋 肇、伊島 薫の両氏来る。三人で写真を、という段になり、20代からの付き合いだが、スリーショットの写真は無かったことに氣付く。
モチーフとテクニックとコンディションとマインドのバランスがふわふわしている。全てが定まらず、それが面白いと言えばとても面白い。とりとめない作品が湧き出る。
毎日毎日色々なことがあるが、取り立てて何も記すべきことが浮かばない夜に眠る。
2021年5月30日日曜日 COSMYTH 4 楽日を迎えました
ありがとうございました
The Artcomplex Center of Tokyo が制作してくださった会場の様子とオンラインショップのご案内です
購入受付は2021年6月6日日曜日17:00迄とのことです m*
YOUTUBE
https://www.youtube.com/watch?v=gV373WV4dGg
ONLINE SHOP
https://gallerycomplex.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=2608702&csid=141
展覧会場に来た若いアーティストがミックさんの絵は参考にならないという。なぜ?と訊ねると、ぎりぎりまで線を少なくしようとする画風の模写は恐ろしくて出来ないという。超絶技巧の油画などは模写して技術を得ようと思うが、描けそうで描けない一本の線はあまりに難しい。唯一無二の抽象へと向かう先は、何も描かずに絵が在るということ。
杓子も定規も必要だが、杓子定規は好まない。猫なのに犬歯か。猫舌の犬。
展覧会の準備追い込み。作品数が200を超えそうだ。それぞれに守護する絵があるかも知れない。
描く時、無心になる場合もあるが、実は、優しさや愛しさ、強さや速さ、慈しみ育む心、喜び、哀しみ、夢や希望など、様々な想いが去来する。心持ちの不安定なことがあるとしたら、そのような時に何かを表現するべきではないと考える。その心で人を捕らえてはならない。決め事として。
自叙伝。この絵日記もそのようなものだが、過去を振り返るものではなく、過去の中に未来を見付け、未来を想像することが過去とつながるものであればよい。
美術学校での授業二日目。担当先生の都合が付かず、美大の後輩たっての願いとあれば、柄では無いが引き受けた。配布した課題のプランニングシートを個別にチェック。学生たちの考えや発想がそれぞれに面白い。残り三回の授業で各々B全ポスターを仕上げる。
個展の開催準備終盤。ギャラリーの安全対策は充分。個々色々な考えや、やり方がある。出来ることを精一杯。開催しないというのも精一杯出来ることのひとつ。
小さなペン画のドローイングを700%に拡大プリントする。巨人が描いた絵ということ。
「好き」とは何だろう。どういうことだろう。「好き」が好き。
世界の新しいバランス。地球上の生物の一種である人類へ自然界からメッセージ。世界の未来のために、いつでも個々が感じ考えて行動する機会があることを忘れない。
我が言霊の国。美しい言葉で彩り、美しい魂を携えた人々の生きるところ。ものごとは言葉の示すとおりになる。
たくさんの不思議が枕元に。伴に夜を過ごし眠りから目覚めたら、夢は一足先に出かけていた。残されたたくさんの不思議は、所在なげに浮世の風に吹かれ、鼻先を持ち上げ、微笑みを忘れてはいない。日暮れて夜になり、ただいまと夢が帰ったら、たくさんの不思議は夢の土産話を聞きながら、枕にすがり深い海を泳ごうとする。しかし、夢はいつも不思議の数々をはぐらかそうとする。
星のアトリエの門柱でその時を待ちわびた蔦薔薇が一氣に咲く。淡いピンクの花の様子と香りに野趣があり優雅。
代々、柏餅を買う店は決まっている。漉餡と味噌餡。昔から変わらない味わいに、時代が変わっても変わらないように作る丹精が忍ばれる。先祖代々の意味と大切を想い、謹んでいただく。夜、菖蒲湯に浸かる。
余計なものを取り除く作風の絵。必要なものを足して行く作風の絵。余計か必要かすぐに分かることもあり、分からないこともある。つい、どうでも良い、と思うようなことこそ大切に扱う。
憲法記念日。太陽の光を浴びる幸せよ皆に等しく。人の上に立とうとするものは、あまねく太陽のようであるべき。陽光が迷惑なのはもぐらとドラキュラだけ。上に立つものに翳りがあると、氣迷いが増える。だからとてほらどうだ!太陽だぞ!と威張られると困るが。
昼食後、ペン画のスケッチを一枚、ゆっくりと丹念に描く。旅の思い出として。旅行などままならない今、心の中に仕舞ってあるささやかな印象を添えて。
午前中に宮城県沖を震源とするやや大きな地震。東京でも家々を揺らし、無事を祈る。夜、雷雨。電光、雷鳴が窓ガラスを揺らし、振動に驚く。深夜、原始人が火の周りを踊る夢に心を揺らし、仲間に入ろうと目覚める。
FLOWER HEART STAR/2021/FELT PEN on PRINTED PAPER/297x420mm Copyright 2021 Mic*Itaya Power Of Beauty
5.18tue.-5.30sun.2021
The Artcomplex Center Of Tokyo ▶︎MAP
Open 11:00-19:00/Last Day 11:00-17:00
Closed On Monday
■社会情勢により開催日程や入場方法が変更になる可能性がございます
■最新情報はアートコンプレックスセンターHPをご確認ください
▶︎https://www.gallerycomplex.com/schedule/ACT215/mic_itaya.html
■新型コロナウイルス感染防止への対応について
▶︎https://www.gallerycomplex.com/v.html
飯の上に海苔をのせ、箸でくるむように巻いて食べる。海苔の表に醤油を付けて裏を飯の側にするか、海苔の裏に醤油を付けてそのまま裏を飯の上で巻き食べるか、あるいは表に醤油を付けて表を飯の側にするか、裏に醤油を付けて表を飯の側にするか、はたまた両面に付けるか。醤油が付いていればどちらでも良いか。何も付けずに喰うか。海苔巻きのように箸で海苔を作り食べる。どうでもよい話ではある。
昭和の日。雨の朝は眠りが深い。目覚めるといつもの起床時間を過ぎている。耳を澄ませて雨音を聴く。もう一度瞳を閉じ、瞼の裏に雨空の灰色を見る。また眠らないように氣を付けて。
田端のギャラリー「WISH LESS」に絵を届ける。「NEW WAVE COSMOS 2021」展が30日からオンラインでの開催。音楽と美をあいする仲間の企画するグループ展。昨春の開催予定を延期したが、今回の緊急事態宣言が明ける、会期終盤の4日間だけ会場で作品を展示をするそうだ。
アトリエの花木が美しい。水戸から来たサボテンは少し大きくなった。挿し木した蔓薔薇が驚くほたくさん蕾を膨らませている。三月にやって来たマーガレットは次々に花を咲かせ、伯母の水仙から、今はツツジ、梅の実、苺、南天の実は赤い色を付けてもう三ヶ月、母の赤と白いゼラニウムも鮮やかな小さな庭。
あれダメ、これダメ。大声をあげたり、みんなで歌ったり、飲んだり食べたり。ダメ。楽しいこととは何だろう。嬉しいこととは何だろう。皆と分かち合いたい喜びがたくさんある。
今日から5月11日まで緊急事態宣言下。色々な予定が思うようには進まないが、出来ることを出来るだけ淡々と。
花木にたっぷりと水をやる。土がすぐ乾いて、とてもたくさん水を欲しがっている。この季節は人も同じ。午前中にたっぷり水分をとる。
幼時から親しんだ素材に木がある。父方の家業が材木商で、我が生家の隣が建具屋であり、木片を積木のように細工したり、大鋸屑、鉋屑で遊び、木の香りが大好きだ。紙も木から成るが、たまに木を意識し使用した作品が生まれる。永遠は幼時の記憶、感性と共にある。
夏日続く。自然体が一番。身体も心も柔らかくして。
生まれ育つ土地の自然や空氣、文化や人々の氣質と生活環境が個性を決定付ける。自己を考えると、水戸で生まれ育った17年間の体験は動かしがたい。後は経験による更新可能な肉付け。この時世、自分を無理に変えようと考えるより、自身が何者なのか思い出す良い機会だ。
言葉とは本来合意のためのものであり、共感のためのものであろう。更には意義異論をやりとる言論のためのものでもある。言葉を用いて戦おうとするのであれば野暮で野蛮である。論戦然り。議論、論議という表現が良い。
作品製作に要する時間は千差万別だ。作品それぞれに相応しい時間のかけ方がある。時間をかけ過ぎると大概良い結果にならない。短ければまだそれなりに。何をするにつけて、丁度良い間合いを持ち行えば、心持ちも晴れやかになる。間に合うということ。