PICTURE DIARY 2107FR2023
夢は叶えるもの、獲りに行くもの。いずれにせよ諦めないこと。
夢は叶えるもの、獲りに行くもの。いずれにせよ諦めないこと。
軒下に簾を下げる。情緒が醸し出される。引戸のレールを取り替え、障りを解消する。いつも感じること、何事であれ小さなことを積み重ねる日々の大事。
朝から訳もなく楽しい。そんな日。
長い期間に渡る仕事に段落が付いた。かけた時間の高い密度は他に類を見ない。しかし、密度は別として、長期の取組になる仕事が3件ある。それぞれに愛しくはあり、手離し難い訳ではないのだが。
昨夜は珍しく夜更かししたので、昼間氣怠く夏の暑さ更に堪えがたし。
ジェーン・バーキンの訃報。”カトマンズの恋人”を観た高校時代。以来アイドルになった。ゲンズブールとバーキン。僕の構成要素の一部。
何かアイデアを思い付くと、連鎖的に発展させ拡張する癖がある。迷走することもままあり、身の程をわきまえず呆れる。しかし、それが原動力でもある。
出来た時が一番素晴らしい物よりも、時を重ねて美しくなる物が好い。
この頃、筑波の西では、夕刻を過ぎると毎日のように竜巻注意報が出る。筑波は霊峰、神の山である。
朝日がすでに熱線を放つ。暑い一日の始まり。
何かが上手く行かなかった訳ではなく、朝からあたふたして、一日あたふたした日になった。みんみん蝉の鳴くを聴く。
ずっと思案していた仕事、突然閃く。何ことはない、アイデアの奴、すぐ隣に澄まして座っていた。
スクリャービン、プロメテウス火の歌、色光ビアノ、焔に向かって、ピアノソナタ第6番以降の謎。神秘主義的な作曲家。時々聴きたくなる。
手鏡を磨く。手仕事、手作業で製作したものは、あらゆる点で均一性が見られない。同じ絵柄とデザインでも全て違う。どこまで許容するか。
七夕の夜、何年振りか、久々の晴れ。会いたかったね。
飛石の上を歩く。這う虫を踏まないように。
納豆は毎日食べる。以前はご飯に乗せ、混ぜて食べたが、今は納豆だけで食べる。今はそれが好み。水戸で産まれ育てば納豆は空気や水に近い。
庭の百日紅が桃色の花を開く。桃色、百日紅色だ。
ツール・ド・フランスがスタートした。世界中に平和を望む。
千年も経って、自分の書いた日記が美術館などで展覧され、誰でも読めるようになるとは、定家は想像もしなかっただろう。
海開き、山開き、心開き。裸の夏。
微笑みと太陽。
“かえるの合唱”がラジオから聴こえて来た。小学校の給食の時、食べ終わったら校庭に遊びに出たいのだが、早く食べ終わった順に前に出て、歌を歌わなければならなかった。 人前で上手でも歌いたくもない歌を歌 […]
ジーンズの穴、縫い付けなきゃ。永く着られるものが好き。
少し早いが大祓。輪くぐりして祈る。
籠りきりで仕事。身体固まる。
昔馴染みは姿かたちは変われども昔馴染み。思い出の小箱に納められ、開けば重ねた年月を微笑みに変える。
太宰治の”津軽”。素晴らしいエッセイ。
庭に群生するどくだみを摘んで茶を作るのが目下の目標のひとつ。
男には独特の決め事が多い。ロッカーの番号は絶対○番とか。近道でもないのに通りたい道筋とか。時々自分が可笑しいと思う。
夏至。その日のコンディションによって仕事の運びを調整する。季節の変り目は気候も不安定なので、一定のコンディションを維持するのは難しい。仕事は生き物だ。
幼時、急に白米を食べなくなり、親を心配させた。同じ米で出来たものということで、煎餅を渡され、しゃぶる。両親はホッとして、しばらく煎餅食が続いたようだ。以来、毎日食べる訳ではないが、煎餅を絶やすことは無い。
水戸へ行く。生まれて17歳まで暮らした街。だが、この街について知らないことは多い。時を経て、新しい関わりと、水戸に産まれ育った理由が見える。今までもこれからも大切な場所。
草苅。雨の頃は成長著しい。今のうちに整え。枇杷を採る。今季最終。無疵のものは痩せていて、肥ったものは鳥につつかれている。鳥たちも熟すのを楽しみにしている。
あらためて、わたくしめはデジタルにございます、な感じは自分向きではない、と感じるこの頃。やはりアナログとデジタルの間が好きだ。
世の中は、理を知る者には優しいが、知らない者には氣難しい。昔から生きるのは簡単ではなく、難しいぞ、ということを伝えるのが教えの役割であったろうか。今となっては知識を積み重ねるよりも、ひとつひとつ剥がし去ることが面白い。
“ててて”商談会、青山スパイラル、日本の手仕事など紹介振興し始めて12年目だと言う。長年先駆的な取組を続けている主催者に敬意を表する。次のステップが見えて来た頃なのかと思う。
世の中も人も自分も、今が肝心、本当にこれからだと思うこの頃。
人が流れるように通る。子供の頃、生まれた街にあったデパート前のベンチに座り、人を眺めるのが好きだった。顔かたちや着ているものから、どんな人なのか想像し観察する。ときどき宇宙人を見た。
頭で理解しているだけで、実際が伴わない。何しろ実行する。
子供の頃、鉛筆をおぴんちと言った。鯉のぼりをコッポリーと言った。祖父はムとミが怪しく、鉄腕アトムをアトミと言ったし、ジャムをジャミと言った。可愛い。
興味あることのひとつに顔がある。人と言わず物と言わず、あらゆるものに顔がある。意外なものに顔を発見して驚いたり見とれたり、面白く楽しい喜びが生まれる。何かが顔に見え出すと顔以外には見えなくなる不思議。そんな厄介とも言える […]
男闘呼組いいな。
朝、鳥のさえずり、屋根を跳ね歩く音、遠くの犬、寝惚けた咆哮、露の光る草木、縁側で陽を浴する。
そう言えば、右手の人差し指と親指に一つずつ、二個の血豆が出来た。夢中で力仕事をした結果、何かで挟んだような記憶はあるが、いつの間にか。子供の時以来ではないか。とにかく近頃血豆など見たことはない。そんなことがちょっと嬉しい […]
作品の保管倉庫を創庫と表すことにする。確かに、場合により作品創庫内で作品製作することもある。
キラキラとした太陽の照らし出す風景が眩しい。印象派の作品のようになる。湿り氣を帯びたこの国の佇まいは、ラジオから聞こえる西洋の音楽も、心なしかくぐもり、奥まって響く。
美術学校の授業、学生たちの完成した課題の講評日。それぞれがそれぞれらしく出来た。好きなことを好きなように定めて生きる、自由な厳しさ。
木の葉で雨樋が詰まっている。大雨が降り氣付く。何かにつけて、流れ、水の流れは特に大切。
枇杷を採る。小さく甘く酸っぱい。完熟した途端、鳥たちがついばむ。その前におこぼれを。