PICTURE DIARY 1608MO2021
この国に住みながら、この国への想いや、憧れを充分に表せないまま時は流れる。この国よ人よ自然よ魂よ、健やかであれ。
この国に住みながら、この国への想いや、憧れを充分に表せないまま時は流れる。この国よ人よ自然よ魂よ、健やかであれ。
終戦から76年。各地で大雨。戦いは日常の一番遠いところにいる獣のようなもの。無闇に近付いたり可愛がったりしてはならない。ましてや飼い慣らそうなど。
不満や憤りを溜め込んでいるとしたら、健康で快活な毎日を過ごせはしない。氣持ちを切り換えて、知恵を働かせ、楽しみや喜びを見付けることが出来る。深呼吸すると、一瞬であれ、一欠片であれ、面白い物事がこちらを伺っているのに氣が付 […]
祈りは必ず届く。どんなに小さく些細な願いでも、どんなに大きな望みでも。祈りは積極的な力、夢を実現することの始まり。無駄になることは絶対にない。
少し涼しくなった。夏が過ぎて行く。昨日までの狂騒が嘘のように。十代の頃、これから何回の夏を経験出来るだろうかと、蝉のように、ひたすら懸命に夏の日々を過ごした。今も暑さに辟易しながら、やはりそんな夏が好きだ。
同世代の友達。同じ時間を呼吸して、暖めあったり冷やかしあったり。考えや、生き方がY字路のように離れて行っても、お互いを感じることは出来る。表すことも出来る。今までのように、そしてこれからも。
健康と集中力のために、45分仕事して15分休むようにと思うが、なかなかそうは行かない。少しでも嫌だと感じることをしていると、時間の経つのが遅く、氣になる。かたや好きなことなら時間のことなどきれいに忘れてしまう。すてきなチ […]
僕が自分の絵を言葉で説明しているのを見たり聞いたりしたら、先ずそれは全部出鱈目かも、と思うのが正しい。その場の閃きで、全てがもっともらしく聞こえる話をしているかも知れない。絵は本来言葉では説明出来ないので絵なのだから。
休む。休むにしても余裕が無いとゆっくりと出来ない。するべきことの幻影に脅かされ右往左往する。しないこと、出来ないことへの焦りに促されるように、貧乏揺すりに氣付いて苦笑いする。わらび餅のありがたい午後。
永年の友を見送る。いつものように「じゃあね、また」。出会った時から変わらない氣持ちに、想いを携えて時は流れる。戻ることのない懐かしい風景に、新しい場面と精一杯の台詞が加わる。「ありがとう」。
現在を懸命に生きる。お世辞にも順風満帆、万事快調とは言えない。ただただ平和を願い、日々を過ごす。差し伸ばされる手があるなら、その手を見極めようとする美しくも悩ましきこの世界。
徒然考えるに、日常生活の取るに足りないことであれ何であれ、美を表したり追求する物事以外、然したる興味はない感じ。
今は少し遠くに暮らす大切な友達。彼女とやり取りをしていてあらためて思う。一緒に居てくれてありがとうという感謝の心と、共に笑い合う時間がこの上ない宝ものだということを。
茨城の農園に注文したブルーベリーが届き、早速好きなだけ食べる。やはり美味い。必要な食べ物だと深く実感。ブルーベリーも僕を必要としているに違いないと思う。口の中で心が踊るさまを見るようだ。
美大に入り、音楽やデザイン、アートの話が合い、卒業後もデザインスタジオとバンドを一緒にやったり思い出は宝。一昨年のオバンドス、U.F.O.クラブが最後のステージになった。扁桃炎で高熱を出し参加出来ず。来てくれた皆や仲間た […]
DVDで¨華麗なるギャツビー¨を視る。ロバート・レッドフォード、ミア・ファーロー、脚本フランシス・フォード・コッポラ、男達の衣装はラルフローレン。久し振りに視ると、以前は見えなかったものが見える。フィッツジェラルドが小説 […]
月末土曜日。子供の頃の夏休みの楽しみは、母の実家での田舎暮らし。街の生活には無い自然との交わりの日々。冒険旅行から帰りたくない。
黒揚羽が悠々と庭を飛ぶ。格別好きな蝶々。理由は判らないのだが、神聖な氣持ちになる。
新しい絵の下描きをするが、依頼人は誰が描いたか知られて欲しくないという。世界的に有名な遊園地の仕事などではそのような匿名の約束があったが、絵やデザインを見れば、誰の作かすぐに分かると思うのだが。
はて、今日は何をしただろう。ただ暑かった。子供時分の夏は、30度を越える日は余り多くなかった氣がする。炎天下の原っぱでさんざん遊び、井戸水を頭からかぶると、冷たさに頭の芯からキンキンした。あの夏はこの夏ではない。
台風8号、東京からは逸れる。所用があり外苑付近を通ろうとするが、バリケードがあり絵画館や競技場には近付けない。以前、神宮球場前の集合住宅に住んだことを思い出す。お陰でスワローズファンになり、時々試合を観に行った。
この季節は特に、絵を描いているとカルシウムを消費するスピードが速い。幼時から人一倍必要な体質なのだろう、不足を補うため、かかりつけの医者からカルシウムの注射を受けた記憶がある。海の中の生活の遠い記憶。
久し振りにのんびり過ごす。氣持ちを楽に、心に余裕を。世俗を忘れ、魂が生き生きとする世界に遊ぶように。いつものんびりしているか。
大いなる勘違いに氣付く。
東京上空でブルーインパルスが展示飛行をした。五輪を描く練習。高度な技。見ることは無かったが、五輪以外に描くモチーフがあるとしたら。
アトリエのサンルームでお茶。さすがに暑いが、風を感じながら、だらだらとくつろぐ時間が好きだ。一体何度あるのだろう。計ろうかと思うが、何度あるのか数字を知るのは野暮。ここは想像する楽しみ。
根氣よく、粘り強く続けることが、ただひとつ出来ること。生きる。生かす。
外に出たら、眩暈がするような暑さにたじろぐ。緩やかな風の通り道を見付け、ネコの氣持ちになる。風の通り道を流れるのは、風だけではない。
“ムー一族”で日吉ミミが歌った¨世迷い言¨が頭に浮かぶ。阿久悠作詞、中島みゆき作曲。「真夜中 世の中 世迷い言 上から読んでも 下から読んでも ヨノナカバカナノヨ」。
なかなか描けなくて四苦八苦していた絵がすんなり描ける。いつも聴くラジオ番組が急に違う番組になり、そうなると一日は違うリズムになるものだと面白がっていたら、良い方に効いた。仕事用潤滑剤の成分と効能は表示通りではない。
19日の月曜日は休日だと思っていた。既に組んでいた予定の通り。融通が利かないところがある。融通を利かせないところがある。
絵を描く。ひたすら描く。蝉が鳴く。ひたすら鳴く。蝉を描く。ひたすら描く。絵が鳴く。ひたすら鳴く。絵が描く。ひたすら描く。蝉を鳴く。ひたすら鳴く。蝉が描く。ひたすら描く。絵を鳴く。ひたすら鳴く。絵を描く。
人と人と出会いの縁は尊い。軽んじてはならない。去るからと云い追うはならない。季節に似て巡り来るもの。
アトリエで夏の呼鈴を鳴らしたが蝉は鳴かない。夏はそこまで来ているはずと思い、窓を開けて伺っていたが、夏は挨拶なしで部屋に居た。どこから入ったのか遠慮を知らない。カーテンを揺らすこともなく。
写真家¨零¨、最初の展覧会。場所、環境、写真、映像、装置、暗闇を作るスポットライト、未来の懐かしさ、楽しみ、可能性について、伝える言葉は無い、暗闇に向けられたレンズがある。
昨日は大きな雹が降ったところがある。今日アトリエ辺りは晴れ、機嫌良く暑い。空模様を伺いながら挨拶を交わす。空からの挨拶はいつも飾り氣なく素直だ。
世の中の、拭い去れない重苦しい空氣にまみれても、それらを消し去り、見る人を明るくする作品を描こうとする。
あたらしいものは、あたらしいひとからだけうまれるわけではない。ふるいものが、あたらしいひとのやくにたつように。あたらしいやふるいがもんだいなのではない。よにでるふさわしいじきや、ありさまがだけがある。
曇り空、時折雨が街を濡らす、頬を濡らす。晴れた空、街を渇かす、頬を照らす。心の中には日常を解き明かす分水嶺がある。
仲の良い犬と猫。犬の散歩に付いて行きたい猫。公園で犬の集い。犬たちの仲間に入りたい猫。散歩の犬の振りをする猫。猫のままでいいじゃない。猫なんだし、と犬。友達になりたいなら猫のままでね。
天の川。空に光る小さな点の星々。その一つ一つがどんな大きさなのか想像する。同じものが、それらの全てが身体の中にある。
緑生い茂る庭を、蜘蛛の巣を払い、草を掻き分けながら進む。ほんの二週間程で熱帯雨林のようになった。いや、ここは熱帯雨林だ。眼の端に蜥蜴が這うのを見た。得体の知れない鳥が鳴いている。黒い薄羽蜉蝣を道案内に進む小さな庭。何処へ […]
今では立派なグラフィックデザイナーとして独立したアシスタントA。彼女とアトリエのネコたちが仲好しで嬉しい。ナイスとアリスがアトリエに来た時に、「ネコとわたしとどっちが上ですか?」と真顔で尋ねた表情が忘れられない。
以前読んだ高階秀爾”西洋の眼 日本の眼”を再読し始める。美の観点から西洋人と日本人の自然や空間、環境認識の差異を解きほぐそうとする。多岐に渡り、思わぬところで大きく深い。異文化の常識と非常識を知る […]
展覧会、展示会、映画、演劇、演奏会など、行きたい、見たいものは沢山ある。見たものは極端に少ない、その分見たものの意味は大きくなる。
伝統工芸は自然環境と共にある。伝統工芸を育むことは、自然環境を保護し整えること。根本に疑いのない正しさがある。地球の未来を考える。
雨中横須賀方面へ。アトリエから一時間。思ったより速やか。イメージと実際にはギャップが付き物。イメージしたら動くこと。
氣もそぞろになりがち。見るものや聞くことに適切な反応が難しい。過剰、あるいは足りない。アンバランスを楽しみながら。
笑っているのか、泣いているのか、判らない顔をしている。そんな顔を見ると抱き締めたくなる。ありがとうや、ごめんなさい、こんにちはや、さようなら、そんなありきたりで素直な言葉が溢れ出る。
タブレットでツールのハイライトを視る。以前は放送が始まると、終了までTVにかじりついていたものだ。景色や駆け引きなどロードレースへの興味は尽きない。ピースな競技でありながら、勝ち負けの有るものは嫌だと感じる。「戦う」とい […]