PICTURE DIARY 2209TH2022
ときどきある何もしたいと思わない日。特に何もしない。
ときどきある何もしたいと思わない日。特に何もしない。
水曜日はNHKfm、アルフィーの番組を楽しみにしている。20代の頃、出没する場所が同じ辺りだった、同世代の男たちの明るい話題がツボ。
早朝から出張。台風の影響が懸念されたが無事。
芙蓉と、朝顔が毎日次々に咲いて、心を慰め和ませる。きれいだね、すてきだね、と心の言葉をかける。そうして通い合うう人や植物、生きるもの、生きていたものの魂が世界を形創る。
強い勢力を持つ台風14号。これまでになかったような被害をもたらす可能性があるとニュース。命の助かる確率の高いところに避難をと言う。何年か前からたびたび聴く言葉だ。具体的な対策は?
展覧会前はそわそわするものだ。今回は、特に展覧会の為に用意した新作は少なく、いつもの日常を送っていたら、たまたま展覧会の期間に当たった、という風に捉えている。そわそわするということは緊張感も展覧の内。そこが面白いところ。
うつむいて長時間仕事をしていると、知らないうちに心が閉じて、内側を向いている。意識して、顔を上げ、文字通り胸を開かないと仲良くなれない。身体も心も硬くならず楽に、柔らかく開く。
八百屋に栗など並んで、街は秋の氣配。それにしても少し早い感じがするが、遅いというのも氣を揉んで、それはそれでいいものだ。
拗ねる子供に、さあさあ、そんなしかめっ面していると福の神が寄って来ませんよ。と母。真顔で福の神様を捕まえる!と言う子供に、笑いながら、ほら、もう捕まえた、あなたのお顔に帰って来ましたよ。母の笑顔を見て微笑む子供がいる。
何の問題も違和感も無く話しをしたりメールのやり取りもしているが、人としての決定的な立脚点の違いに、じんわりと、あるいは突然氣付くことがある。お互いが真摯に説明を試みて、言葉の表層は理解出来たとしても、真に理解し納得するの […]
毎日つけている日記帳がいっぱいになるので、買いに行かなきゃ、と思っているうちにいっぱいになる。わかっているのに。全くの安本丹。
亡き父の誕生日。受け継いだ家を手入れする。
中秋名月、見上げる丸い月に重ね合わせて、古来変わらぬ月を鏡に、照らし出される郷を想う。
重陽。大人の節句。旧暦10月4日。この日は雛人形を虫干しながら、見頃の菊など愛で、一献傾け祝う日。ほとんど下戸だが。
少し涼しいのは良いが、日常の調子に反映されるのは、順応しきれない振り幅のはみ出した部分。変化は欲しいがなだらかなのが好き。
今と未来の自分。自分の眼に映るように、頭の上から頭の中から実像を現そうとする。少しは納得出来るが、全体的にこの上なく不器用な絵。イメージは浮遊する。
作品を散歩させている。こうでなければならないという決まりは無いので、好きなように歩くが、人は元来、帰属を望み安住を欲する。時として自由に見えるものには、憧れと侮蔑の眼が向けられ、欠点の探し、見付けると恥を知れなどと言う。 […]
芸術は、心の栄養。涸れることの無い泉。この世を潤す命であり宝。人を、自然を育む礎。
昭和かどうかがひとつの判断基準になっている。考え方が昭和だなあ。善し悪しの問題というよりも、時代に合わない考えと行為。何かした後、今の昭和だった、なんて思っている。ここに記すこと自体が昭和かな。昭和の頃、明治は遠くなりに […]
夏が過ぎて行く。後ろも振り返らずに。忘れたものや、置いて来たものなど氣にしない。どこに行くのか訊ねても答えはしない。返事があるとしても、夏はいつも前を向いているので届きはしない。そんな夏を呼び戻すなど出来ようはずがない。 […]
初物の梨を笑いながらいただく。あまりに美味しいので、今年の梨はこれで充分。
いつでも遊びは大切だ。遊びから生まれる遊びは、さらに遊びを生み精神は衰えない。自分も楽しく、皆も楽しいこと。
新神話。人それぞれに内在する物語。過去から現在、未来への。その人それぞれが紡ぎ出す。
才能豊かな女性が到達した、柔らかく鋭く容赦無い表現の世界。そして抽象。2~3日経って効いて来る。
人は人があなた自身をどう見ているか氣になるもの。しかし、人があなたをどう思うかなど考えるだけ無駄。その人にとってのあなたは、その人にとってのあなたであって、あなた自身ではないのだから。
陰を見て光を知る。
欧米の作家たちの住居を取材した写真集を見る。それぞれの小説や詩の世界が、家に滲み出るものだ。興味深く面白い。あらかたの作家の仕事部屋には、景色の佳い窓がある。家や環境が作風や生き方、歴史を物語る。
ベートーベンの歌曲、歌とピアノの有機的な調和。ピアノは伴奏ではなく、歌い手を引き立てるでもなく。目立つ訳でもなく。楽しげに程好く。
宇宙と神々と神話について想う日々。今は亡き消しゴム版画家、ナンシー関女史には、ミックさんは蝶々を追いかけて迷子にならないように、と注意されたことがある。迷子の自覚はなく、浮世から離れそうなことは多いと感じる完全な迷子。
1日を諸々のプランニングに充てる。考えに詰まると、考えているよりやってしまえ!の性質が顔を出し、昭和だなと思う。
最近の朝食の定番。お椀程の器に、煮干を十尾程ほぐし、胡麻油と醤油、黒酢を適宜かけて軽く和える。その上にオートミールを大さじ5杯、熱湯をゆっくりと回し注ぎ、混ぜずに置き、ほぐした煮干を閉じ込めて蒸すような状態。上にきな粉、 […]
空調が肌に氣持ち良く適温だと感じていても、長時間ビルの中で過ごしていると、身体の芯まで冷えていることに氣付く。暑ければ適度に汗をかく環境が良い。
友人の自然写真家アジアさん、ヒマラヤの何千メートルもある山の上で、たくさんのアンモナイトの化石を見たと言っていた。地球は生命体、自浄する。果てしない変化。小松左京さんの”日本沈没”という小説がある […]
鯛を釣るには、自分が海老でなければならない。誰かさんの名言。
自分の好きなものを見付けると顔が輝く。そんな君素直で好き。アリス。
残暑、暑さひとやすみ。午後には晴れ氣温上がる。天氣の有りようは生活を左右する。天の思し召すまま。
墓参り。墓地には誰もいない。ゆっくりと花を手向け祈る。ただ感謝。
送り盆。寺に多くの人が集まること、そして、あまりの炎天を考えて、墓参りは明日にする。1日遅れ、赦されよ。
終戦の日。二度と戦争を起こさない。記念日という言葉では表したくない。個人的に終戦平和祈念日とする。
10月の個展の準備を少しずつ進める。世情は安定せず、未来は各々に委ねられ、不安は曇天のさざ波のように鈍く。引潮に残された貝殻を耳に当て、深い海の底、人魚の歌を想い出し、口ずさむ日常。
感じる全てに、それぞれ宿り司る天使がいる。
台風8号が来る。大きくはないが、たくさんの雨を連れて上陸すると予報。明日は迎え盆、墓参は無理せず台風が過ぎたら。時折まばらに軒を叩く雨音に、今は亡き、祭りや音楽好きだった人々を想う。
海の日があれば山の日もあり谷の日も。森の日も川の日も花の日も草の日もある。愛でたい目出度い芽出度い休日。
やる氣はあるが作品制作は進まず。こんな時は整理整頓する。ファイルに違う仕事の資料が紛れているのを発見。行方不明作品の理由大発見。大きな作品はいざ知らず、行方知れずになった小さなものは、予想外のところに隠れることが出来る。
三宅一生さんの逝去を知る。一生さんが卒業生だったのは、多摩美に入る大きな理由のひとつだった。一生さんを担任した教授の、「彼はどんな課題を出しても全部洋服にしちゃうんだよな」、という言葉が印象に残る。課題を咀嚼し、違反して […]
昔住んだ神宮外苑辺りを通る。新国立競技場は今日初めて見た。住んでいた集合住宅跡には、五輪のモニュメントと誰かの銅像が立ち、その奥に以前の国立競技場の聖火台が見えた。トーキングヘッズを観た日本青年館は無く、フリーマーケット […]
仕事で結果を出す。結果は数字だけに表われるものではないが、それでも数字にこだわる。数字で得られる見事はあるが、やや馴染めなくもある。
たいがいの男の子は子供の頃、戦争ごっこに夢中になる時期がある。ダダダダダッ!と機関銃を撃ち合い、叫び声を上げ、子供たちにしか見えない弾丸と血にまみれて、原っぱに倒れ込む。草の匂い、広がる青空と頬をくすぐる可憐な花。銃口か […]
マーチンこと、鈴木雅之さんの「スローバラード」。清志郎さんも喜ぶであろう素晴らしいカバー。本物の歌を聴いた。
花火と爆弾。火薬は使い方ひとつで喜びや悲しみを生む。全ては心の有りよう。人は一体何を顕そうとするのか。