PICTURE DIARY 2506MO2012
まだ1歳にならない頃の記憶の一つに、セルロイドで出来た、くちばしの黄色いアヒルの起き上がり小法師のオモチャのことがある。それを誰が与えてくれたのかは覚えはないが、水色と黒のクリクリとした目をしていて、揺り動かすとコロンコロンと良い音を鳴らした。0歳の僕は、その黄色いくちばしの滑らかさが大好きになって、好きの余りよくしゃぶったり舐めたりした。しゃぶったり舐めたりしやすかったので好きになったのかも知れなかったが。オモチャのアヒルのくちばしは、まさしく原体験で、その流れるような線を、視覚と触覚と臭覚と味覚と聴覚で体験し記憶している。流れるような線、流線型については成長の過程で、僕の好みに色々な影響を及ぼしている。プラスチックや金属、あらゆる素材の製品や自然の中に流線型を発見する喜び。幼時から現在に至る時の流れの、目には見えない描線のスムーズな流れの心地よさ。小学生の頃には流線型の乗り物の絵をたくさん描いた。人の身体や動物の身体の線。アウトラインと面。幼い子がとらわれて記憶することは、大人には理解出来ないことが多い。そして今日の自分の理解をも超えている。人の五感と第六感が生んだフォルムが好きだし、信じる。
あぁ流星号…
流線型には,スピードと未来を感じていました。