PROFILE
ミック・イタヤ/MIC*ITAYA
ビジュアルアーティスト
Power of Beauty Co.,Ltd./pob design/Mic*Itaya Design Inspirational/Mirrors Mic*Itaya 代表
雅号:ミック・イタヤ/Mic*Itaya
本名:板谷充祐/いたやみちまさ
肩書:ビジュアルアーティスト、デザイナー/Visual Artist,Designer
1954年3月22日茨城県水戸市に誕生。幼年期にはハンマーでラジオを叩き壊し、父親の万年筆で落書きし全て使い物にならなくした。小学校、中学校と野球と図画工作が得意な少年時代を送る。小学生の時に描いたうさぎ狩りの絵がフィリピンのイメルダ・マルコス大統領夫人の目に止まり献上される。担任教師にデザインの道を勧められるが女の仕事と反発。中学時代は野球部のキャプテンをつとめ17歳の高校卒業まで水戸で過ごす。高校の学園祭「放蕩祭」が事件となりデザインしたポスターで有名になる。この頃一転してロックミュージックとアート、デザインの関係性に注目。小学校の先生の言葉を思い出し美術大学を目指す。1年浪人後の1972年、多摩美術大学デザイン科に入学、グラフィックデザインを専攻する。アメリカ軍横田基地の街、福生のハウスに居住。アメリカ兵とバンドを組み基地のフェスティバルや軍関係のクラブなどで演奏活動をする。美大時代はバンド活動とファッションデザインの仕事に明け暮れる。卒業を迎え就職先に漠然とデザイン会社や広告代理店を希望したがいずれも「君には向いていない」と断られる。外資系広告代理店でグラフィックデザインのアルバイトをしながら、イラストレーターとして雑誌「装苑」や「MEN’S CLUB」などでイラストレーションやモデルの仕事を始める。広告代理店から正社員にと勧めがあるがフリーランスの道を選択。当時流行のブランド「BIGI」、「MELROSE」などでグラフィック及びテキスタイルデザインの仕事もするようになる。1980年、美大時代の仲間3人と共にアバンギャルドなロックバンド「Zazou/ザズー」を結成し、同じメンバーでデザインスタジオ「Tabou/タブー」を渋谷センター街のキャバレーやピンクサロンの入る雑居ビル内に設立。音楽とデザインの妖しげな恋愛関係を楽しむ。1982年、カセットテープ付きのサウンドとビジュアルの雑誌「TRA/トラ」をプロデューサー式田純、写真家伊島薫とともに共同プロデュースし創刊。世界中の新進アーティストを紹介する新しいメディアのグラフィックデザイナー、アートディレクターとして国内外に知られる。1984年、渋谷並木橋の倉庫屋上にスタジオを移し独立する。同じ倉庫に伊島薫、グラフィックデザイナーでありイラストレーターの安斎肇が撮影スタジオ「STUDIO 56」を開き不夜城と化した。2年に満たない短期間だがこの時期にオペラロックバンド「Cioccolata/ショコラータ」の映像作品「黒い月のニーナ」や多くの音楽、ファッションの仕事と知己を得たことは大きく強い基盤となる。たびたびロンドンを訪れ、アンドルー・ローガンやダギー・フィールズをはじめ多くのアーティスト、ミュージシャンと交流し影響を受ける。デザインとアート、ミュージック、ファッションを統合し融合しようとする独特のスタンスを探りながら自信を深める。TRAがニューヨーク近代美術館に永久保存される。ミュージックとファッションの仕事で多忙を窮め、スタジオを並木橋から、渋谷区松濤の一軒家に移転。ビジュアルディレクターとして「UNICLO/ユニクロ」設立とショップ展開の広告などに関わる。1988年、「Cioccolata/ショコラータ」のボーカリスト「Caoli Cano/かの香織」をイメージキャラクターに、スタイリスト森美幸と共に架空の国バンビーナ王国のプリンセスカオリーナをモチーフにしたファッションやグッズなどの作品群「STELLAFINE/ステラフィーネ」を制作発表。移動するアートショップは各地で評判となり注目を集める。1989年、自身のマネージメントとアーティスト活動をバックアップする株式会社パワー・オブ・ビューティを設立。1990年、「PRESENT」と題した赤と青の二冊の作品集を同時出版。大阪と福岡で開催された初の大規模な個展は大成功をおさめる。1993年、画集「Angel」とシンクロしたCDアルバム「Angel」を音楽プロデューサー佐久間正英と共に制作し発表、絵と音楽の新しい関係を示す。この頃から以後約10年、世田谷の築150年になる茅葺きの古民家を第二のアトリエとし、実生活の中から日本の美に触れる日常を送ようになる。1995年、ラフォーレ原宿にて、東京では初の大規模な個展。同展を記念した詩画集「APOLLONIA ODYSSEE/アボロニアオデッセイ」の出版。太陽と天使、そして光をテーマにした作品の製作が続く。1996年より京都のギャラリー「そわか」にて定期的な展覧会を開き、度々京都を訪れる。アトリエを祐天寺に移し「星のアトリエ」と呼び、星や天使、女神をイメージしモチーフにした多数の作品を生み出す。星やハート型に託して、世界中の誰にでも伝わるシンプルなメッセージの作品を製作。1997年、1年間の出来事を綴ったスライスオブライフな作品集「STAR CASTLE/スターキャッスル」を発表。京都、福岡、東京で展覧会を開催しライブペインティングやワークショップにも力を入れ、森雪之丞、FPM田中知之、GROOVISIONS伊藤弘ら音楽家や詩人とのコラボレーションを頻繁に行う。1999年、ミレニアムを記念する「新千年紀」と題した高さ2メートル、全長40メートルの壁画を京都駅「POLTA」でライブペインティング。「新神話時代」を謳う。同じ1999年、誰もが手に入れられるアート作品を念頭に、現代の自然界と人間との関わり方をギリシャ神話のイカロスになぞらえ、ラミネート加工した300点の作品で会場を埋めた「IKAROS展」を原宿のギャラリー「ROCKET」で開催する。2000年、鏡の作品シリーズを発表。アート作品とデザイン作品のマリアージュであり、人や世界を愛そうとするのなら、まず鏡に映した自分を愛することから、というメッセージをミラーブランド「Mic*Itaya Mirrors」に託して商品化する。「MIRRORS展」は毎年開催され現在に至っている。2002年、リミティッドエディションの作品集「白い天使」の出版と展覧。白い箱、白いリボン、白いデニムのブックカバー、すべてが白で統一され、ポエジーに溢れる線画を銀色の箔押しで表現した詩画集は、白が失われていくことによって、白い天使が世の中の汚れを引き受けるとメッセージ。ミック・イタヤが生み出したキャラクター「天使スターピッド/Starpid」は、天使の存在や天使のもたらすような素敵な出来事は、いつでもどこでも自分の気持ち次第でもたらされると語りかける、ブックマークエンジェルのデビューとなった。続いて文庫本ストーリーブック「Starpid~星のアトリエより」の出版と展覧会、ソーラーパネルが光を感じて天使の羽を動かすStarpidのオブジェを制作。2004年、Starpidは「日本赤十字社」のキャンペーンや、2006年から3年間百貨店「松屋」のクリスマスキャラクターとして活躍した。2009年、軽井沢「田崎美術館」にて明治、大正、昭和を生きた巨匠、田崎広助画伯へのオマージュを捧げる展覧会の開催を機に、日本の美、幽玄や禅味、日本の伝統工芸に興味を深め、2010年春、東京代官山のギャラリー「SPEAK FOR」での「提灯展」開催はその始まりである。生まれ故郷、水戸の江戸時代から続く水府提灯を、「SUZUMO提灯」として発表、斬新なデザインと機能は内外から熱い注目を集めている。世界の中の日本という東の果ての地域に生まれた者として、東洋の心、日本人の心を表すことは重要な務めだと考えている。前と後ろや表と裏、光と闇、さらに男と女のように、異なるものは隣り合い、一体であり、または一体になりたいと求める。ミック・イタヤの仕事はジャンルを超えた幾多の閃きを視覚化し融合することにある。軽やかに、優雅に。フューチャーロマンティックなアーティスト、ミック・イタヤの「ビューティ道」は続く。