PICTURE DIARY 3004MO2012
子供の頃になりたかった職業を思い出してみた。建築家、カーデザイナー、カーレーサー、戦闘機乗り、寿司屋の板前、アメリカンフットボール選手、天文学者、ロックミュージシャン、映画監督。思い出せたのはこれくらい。大好きだったこととなると、野球、鬼ごっこ全般、空想、天体観測、ドラムス、焚火。そして得意だったことは、野球、鬼ごっこ全般、図画工作、ドッジボール、薪割などが思い浮かぶ。こうして軽く思い返してみると野球は大好きで得意だったけれど職業にしようとは考えなかった。鬼ごっこ全般が大好きで得意と言うのは、今では信じられない位足が速くてすばしっこかったので誰にも捕まらない自信があったし、ドッジボールも同様に絶対にボールを当てられない自信と、どんなボールもキャッチ出来る運動神経があった。たとえ身体に当てられても、ぶつかって跳ね上がったボールをキャッチした。野球は強く速いボールを遠くまで投げることが出来た。多分、テレビで視たのだろう、そんな自分が活躍出来るのは、ヘルメットやユニフォームもカッコいいアメリカンフットボールの選手だと思い、なりたいと憧れたが、町にはそんなクラブやプレイヤーの影も形も無かったし、いつの間にか興味は移って行った。今ではおぼろげではあるけど、子供の頃の強い憧れだった。こうやって書き列ねてみると、子供の時代の自身の未来への夢や希望のなかに、今の自分の源像がひそんでいるなと思う。当たり前のことかも知れないけど、いつでもイメージする、なりたい自分になって行こうとしている。戦闘機乗りや天文学者になる夢は、諦めたのではなくてイメージするのを忘れていたのだ。
ミックさんが育った町で僕も少年時代を送りました。
曙町五差路は,小学校でさんざん注意するように言われたものです。
同じ町で育ったのに,ミックさんのなりたかったものは格好いい。
僕なんて,バスの車掌さんが憧れでした。
でも,中学生になる頃までには,バスはみんなワンマン化され,
夢ははかなく消えていったのでした。
車掌さんがいるバス。復活するといいね。何が必要で何が余計なのか良く考えてみる。バスに乗り降りする老人や子供たち、手助けが必要な人たち。車掌さんがいるといいね。