PICTURE DIARY 1503WE2017
だんだん絵の線が少なく、単純化されて抽象画のような見映えになる。あるいは音楽の世界でも音数が少なくなり、メロディーやリズムがメロディーともリズムとも捉えようのないゆったりとしたグルーヴを生むようになる。料理でも素材を充分に活かして、味付けやだしも取らず使わずに、食材そのもののありがたさをいただく。そのようなことのおさまりは最初から、あるいは一日で出来たり身に付くことではない。かといって時間をかけることで身に付くことでもない。見る、聞く、味わうといった準備が整ってこそ。そのような成長の有り様の果てを成熟というのであるとすれば、それはむしろ出発点だろう。その先にあるものこそ、経験を超えた魂と意識の果てしない旅の融合と再生による永遠というものか。目には見えない絵、耳には聞こえない音、口で味わうことのない食物。